五月五日の朝、蓮は足立区の小さな公園のベンチで目を覚ました。ネットカフェに入る金がなくなって、もう二日が経っていた。瞼を開いた瞬間、視界に広がったのは曇天の空だった。ぼやけた灰色が目に染みて、蓮はしばらく瞬きを繰り返した。
体を起こそうとして、背中に走る鈍い痛みに顔をしかめた。木のベンチの板が脊椎の両側に食い込んだ跡が、皮膚の下にくっきりと残っている。首は左に曲がったまま戻らず、無理に動かすと筋が引き攣れるように痛んだ。四月の終わりからずっと持ち歩いている上着を丸めて枕にしていたが、それで防げる負担には限界がある。
空腹は三日目に入っていた。最後に口にしたのはドリンクバーのコーンスープで、それも一昨日の話だ。胃の中はとっくに空っぽで、空腹という感覚すらもう薄れかけている。代わりにあるのは、胃壁が自分自身を消化しているかのような鈍い灼熱感だった。
ベンチから立ち上がると、めまいが来た。視界の端が暗くなって、足元が溶けたように頼りなくなる。三秒ほど何も見えない時間があった。膝を曲げてベンチの背もたれを掴み、ようやく体を支えた。立ちくらみだ。血糖値が下がりすぎている。
公園の水道まで歩いて、蛇口をひねった。冷たい水が手のひらに当たり、その温度に一瞬だけ意識が鮮明になる。顔を洗い、口に含んだ水を飲み下した。空っぽの胃に冷水が落ちて、鳩尾のあたりがきゅっと収縮した。体が異物を入れることに抵抗しているような感覚だった。
歩き始めた。どこへ行くかは決めていない。歩いていれば何かが見つかるかもしれないし、見つからないかもしれない。どちらにしても、公園のベンチに座ったまま衰弱していくよりはましだった。足を動かしている限り、まだ生きている側にいる。そう思わないとやっていられなかった。
住宅街を抜け、線路沿いの道を歩いた。踏切の遮断機が降りていて、黄色と黒の棒の向こうを電車が通過していく。窓の中にぎっしり詰まった通勤客の顔が、一瞬だけ見えて消えた。あの中の誰一人として、遮断機の向こうに立っている蓮のことを認識していない。
朝の通勤時間帯で、スーツ姿の人間が駅へ向かって歩いていた。蓮の横を早足で追い抜いていく。革靴の底がアスファルトを叩く規則的な音。誰も蓮を見ない。フードを被った痩せた少年が朝の住宅街をふらふら歩いていても、通勤途中の大人には視界に入らないのだ。透明人間になったような感覚が、蓮の胸の底に薄く積もっていた。存在しないことと、存在を認識されないことは、実質的に同じだ。
商店街に差しかかったとき、既視感が来た。
この三日間で三度目だった。最初は公園のトイレで手を洗っているときだ。蛇口をひねった瞬間に「これ、前にもやった」という感覚がはっきりと走った。水の跳ね方、タイルの色、壁の染み。その全部に見覚えがあった。二度目はコンビニの前を通り過ぎるとき。ガラスに映った自分の顔を見て、「この角度で自分を見たことがある」と感じた。頬のこけ方、目の下の隈、フードの影。まるで写真を見ているかのような正確さだった。
そして三度目。商店街のアーケードの下を歩いていると、左手の八百屋の店先に並んだトマトの山が目に入った。その瞬間、全身に鳥肌が立った。見たことがある。この光景を、確かに見た。トマトの積み方、値札の角度、白いエプロンをつけた店主の立ち位置。何一つ違わない。全部、前に見た。
だが蓮はこの商店街を歩くのは初めてだった。少なくとも、記憶の上では初めてだ。足立区に潜伏してから、この方角には来たことがない。地図で確認するまでもなく、それは確かだった。なのに体が覚えている。目が覚えている。この場所を知っていると、全身の細胞が主張している。
既視感は疲労のせいかもしれない。睡眠不足と栄養不足で脳が誤動作しているだけだ。医学的にはそう説明がつく。側頭葉の一時的な過剰放電、記憶の照合エラー。知識としてはそういう言葉を知っている。
だが蓮の中で、別の説明がじわじわと頭をもたげていた。否定しようとするほどに、それは輪郭を増していく。
あの壊れたスマホの画面に映った「微妙に違う風景」のことだ。交差点で信号の色が違っていて、人の数が違っていた、あの景色。もしあの画面が「あり得たかもしれない現実」を映しているとしたら。蓮が「見たことがある」と感じるのは、実際に見たからではないか。スマホの画面越しに、別の可能性の中のこの商店街を。
馬鹿げている、と蓮は思った。飢えた人間が妄想に逃げ込んでいるだけだ。だが否定しきれなかった。否定するための証拠が、蓮の手元にはなかった。
ポケットのスマホを取り出した。ひび割れた画面をじっと見る。黒い画面に蓮の顔がぼんやり映っている。痩せた顔。目の下の隈。それ以外は何も映っていない。だがひびの線が、前より増えている気がした。
画面の右上から左下に走る大きなひびは最初からあった。あれは落としたときにできたものだ。でもその周りに、細い枝分かれのような線が広がっていないか。まるで霜が降りるように、ガラスの内側から表面へにじみ出てくるように。蓮は画面に顔を近づけて、ひびの一本一本を目で追った。
分からなかった。ひびの数を数えたことがないのだから、比較のしようがない。増えたような気がするだけだ。気がするだけ。その「気がする」が蓮の中で小さな棘のように引っかかっている。
スマホをポケットに戻して、歩き続けた。空腹で足元がふらつく。膝が笑うという表現があるが、まさにそれだった。踏み出すたびに膝の関節がぐらついて、次の一歩が出るかどうか確信が持てない。
残金は二百四十円。ポケットの中で硬貨が擦れ合う感触がある。百円玉二枚と十円玉四枚。缶ジュース一本の値段だ。それを使えば所持金はゼロになる。ゼロになったら、次はない。働く手段も、頼れる人間もない。
このまま行けば、蓮は餓死する。追手に殺されるのでもなく、スマホの力で壊れるのでもなく、ただ金がなくて飯が食えなくて死ぬ。トクリュウから逃げ出して、ようやく自由になったはずの体が、最も原始的な理由で止まる。それが一番ありそうな末路だと蓮は思った。
笑えた。声は出なかったが、口元が歪んだ。笑えるほど情けなかった。十八歳の逃亡者の死因が「餓死」だなんて、ニュースにすらならないだろう。誰にも知られず、誰にも見つからず、ただ消える。ポケットの中のひび割れたスマホだけが、蓮がここにいた証拠として残る。
それすらも、いずれ誰かに拾われて捨てられるのだろう。蓮は足を引きずりながら、五月の曇り空の下を歩き続けた。