祖父の書斎は線香と古い紙の匂いがする。仏壇のある部屋ではないのに、壁や書棚の木に匂いが染みついて離れない。千早が子どもの頃からこの匂いだった。
禁足地から戻った翌日、千早は渡に聞いた。
「あの場所で私が感じたこと。深山さんも感じてましたよね」
「ええ」
「あれは何なんですか」
渡は社務所の板の間で、茶を淹れる手を止めなかった。急須に湯を注ぎ、蓋をし、三十秒ほど蒸らす。その所作を見ながら千早は待った。渡が黙っているとき、手が動いているか止まっているかで、嘘を考えているのか真実を選んでいるのかが分かるようになっていた。今、手は動いている。嘘を選んでいる。
「土地の気です。山間部には、地脈の流れが強い場所があります。体の敏感な人は、それを何かの存在として感じることがある」
千早は茶を受け取った。飲んだ。
嘘だ。
嘘だと分かる。渡が「土地の気」という曖昧な語彙を使うのは、本当のことを言えないときだ。本当のことを知っている人間は、知っていることを迂回するとき、正確さが落ちる。渡の普段の説明は具体的で正確だ。享保の地震、明治の修繕、楮紙の糊。数字と年号で語る人間が「土地の気」とだけ答えるのは、答えを省略している証拠だった。
「分かりました」
千早はそれ以上追及しなかった。追及しても出てこないものは、別の場所から探すしかない。
午後。祖父が本殿で祈祷をしている間に、千早は書斎に入った。
祖父の書斎は八畳の和室で、壁の二面が書棚になっている。神道の祭式書、仏教の経典解説、地域の郷土史、民俗学の概論。そして一番奥の棚に、宮守家の私的な記録が収められている。
千早が探していたのは家系図だった。
宮守家の家系図。巻子装で、桐箱に入っている。祖父が「大事なものだから触るな」と言っていた記憶があるが、今日は触る。触らなければ進まない。
桐箱を開けた。白い和紙に墨書きの系図。縦に名前が並んでいる。右端が最も古い。
千早は巻子を静かに開いていった。現在の宮守家は千早の祖父で二十七代目だと聞いている。二十七代を遡ると、計算上は六百年から千年前後になる。一代を三十年として八百年。だが初期の代は長命だったり飛んでいたりするかもしれない。
系図の右端。初代の名前。
「宮守国津」。その横に、「養老年間に此の地に社を建つ」と添え書きがある。
養老。養老年間は西暦七一七年から七二四年。奈良時代の初期。
千三百年前。
千早の指が系図の上で止まった。奈良時代から続く家系。自分の家がそこまで古いことは知らなかった。祖父は「古い家だ」と言っていたが、千三百年とは言わなかった。
系図を追っていくと、途中に空白がある世代がいくつかある。名前の横に「早世」「嗣子なし」「養子入り」などの注記がついている。血統が途切れかけて養子で繋いだ代もある。千三百年を一本の線で繋ぐのは無理だ。
だが系図そのものが千三百年分存在するということは、この家が千三百年分の記録を維持し続けてきたということだ。
千早は系図の余白を見た。余白にも字が書いてある。各代の宮守が残した注記。祭祀の変更、社殿の修繕、天災の記録。
そしてそのうちのいくつかに、見覚えのある筆跡があった。
宮守家の当主の字ではない。注記の中に、別の人間の字が混じっている。縦棒の終わりに力を抜く癖。横棒の入りが少し右上がり。
蔵の封印の札と同じ筆跡。帳簿と同じ筆跡。渡の筆跡。
千三百年分の系図の中に、渡の字が混じっている。
千早はノートを開いた。十番目の事実を書き加えた。
十、宮守家の家系図は養老年間(八世紀初頭)から続いている。系図の余白に、渡と同じ筆跡の注記がある。複数の時代にわたって。
千早はペンを置いた。十の事実が並んでいる。一から十まで読み返した。
深山渡は、四十年どころではない。この神社と同じくらい古い。千三百年かそれ以上。
そう結論づけるのが合理的だった。合理的だが、信じがたい。人間は千三百年生きない。
だが渡は「長く生きている」と、禁足地の帰りに言いかけた。言いかけて止めた。
千早は窓の外を見た。管理棟の屋根が見えている。あの中で渡は今も、古文書を直しているのだろう。千三百年分の記録を体で覚えている人間が、紙を継いでいるのだろう。
怒りはなかった。恐怖もなかった。あるのは、理解したいという欲求だった。
この人は何者なのか。何を守っているのか。なぜ一人で守り続けているのか。
千早はノートを閉じた。系図を桐箱に戻し、書棚に返した。
夕暮れの境内を歩いた。石段の三段目の欠けた角を踏んだ。享保の地震で欠けた石。渡はそれを覚えている。渡がそれを覚えているということは、享保の頃にここにいたということだ。三百年前に。
千早は石段を降りた。足元の苔を見た。苔は何も知らない。石段の上で、ただ生えている。
人間だけが、知りたがる。