小説置き場

第2話「定時巡回報告」

2,603文字 約5分

午後十一時、手島清はアパートの台所で素うどんを啜っていた。六十七歳。独り暮らしの台所に、湯気だけが相手の夕食だ。出汁は昆布から引く。若い頃は面倒でインスタントばかりだったが、五十を過ぎたあたりから、出汁を引く時間が惜しくなくなった。急ぐ理由がないからだ。

 妻の幸恵が病気で逝ったのが十五年前で、息子の拓也は大阪で所帯を持っている。月に一度、電話がある。先週の電話では「膝の具合はどう」と聞かれた。「人工関節のほうが自前より調子がいい」と答えたら笑っていた。  うどんを食べ終え、丼を洗い、腰の袋を点検する。白い粉——清め塩を特殊な方法で精製したもの、小筆、墨汁、和紙の短冊。四十年間、この袋の中身は変わっていない。道具が古びることはあっても、種類が増えることはなかった。

 蓮華院ネットワーク東京支部の結界保全員。それが手島の肩書きで、仕事の内容は単純だ。夜の街を歩き、目に見えない膜を点検し、亀裂があれば補修する。誰にも知られず、誰にも感謝されない仕事を、四十年続けてきた。

 午前一時。手島はアパートの玄関を出た。十月の夜気が頬を撫でる。風はない。膝のサポーターを確認し、左足から歩き出す。いつもの癖だ。

 左膝に人工関節が入ってから、左足の着地を意識するようになった。意識しなければ歩けない膝で、毎晩七キロを歩く。週六日、木曜だけ休み。休みの日は膝が楽だが、体が落ち着かない。四十年も歩いていると、歩かない夜のほうが異常になる。  結界というものは目に見えない。正確に言えば、手島には見える。四十年かけて見えるようになった。電柱の根元、マンホールの蓋、神社の鳥居の柱、公園のベンチの脚——そういう場所に張られた薄い膜が、手島の目にはうっすらと光って見える。

 正常なときは淡い青。劣化が始まると白く濁り、亀裂が入ると赤い線が走る。赤い線を見つけたら補修する。和紙を貼り、筆で梵字を一文字書き、清め塩を振る。膜が元の青に戻る。

 それだけの仕事だが、手島以外にこの区域でできる人間は三人しかいない。後任の候補は二十八歳の桜庭涼太。真面目な青年だ。ただ、まだ膜が見えない。見えるまであと何年かかるか分からない。

 一箇所目、千代田区某所の電柱。膜は淡い青。正常。二箇所目の交差点のマンホールも正常。三箇所目から十七箇所目まで、すべて正常だった。

 今夜は平穏な夜だ。亀裂のない夜は四時前に帰れる。帰ったら録画しておいた大河ドラマの続きを見よう、と手島は思った。先週の放送で主人公が城を追われたところだ。六十七歳になっても、続きが気になるものは気になる。  十八箇所目。文京区の住宅街、路地裏の古い石垣。手島は足を止めた。

 亀裂があった。だが赤い線ではない。黒い線だった。石垣の表面に張られた膜を、墨汁で引いたような黒い筋が横切っている。

 四十年間、手島は赤い亀裂しか見たことがなかった。赤は劣化、赤は修復可能。マニュアルにも赤い亀裂の対処法しか記載されていない。黒い亀裂は、どの資料にもない。  手島の指先が冷たくなった。十月の夜の冷たさではない。恐怖だ。四十年この仕事をしていて、知らないものに出会う恐怖。膝の痛みも忘れて、石垣の前に立ち尽くした。

 この亀裂を放置したらどうなるか。膜が破れる。膜がなくなると、向こう側から来る。何が来るかは、手島は知っている。一度だけ見たことがある。三十年前、先輩の結界保全員が補修に失敗した夜に。あのときは先輩が体を張って塞いだ。先輩はその後いなくなった。

 腰の袋から道具を出した。和紙、筆、墨汁、清め塩。手順は同じでいいのか分からない。分からないが、手順以外の方法を手島は知らない。六十七年の人生で、この仕事以外のことをほとんどしてこなかった。だからこの手順を信じるしかない。

 和紙を亀裂の上に貼った。筆を持ち、墨汁をつけた。梵字の一画目を書き始めた瞬間——和紙が黒く染まった。墨汁ではない。亀裂の黒さが和紙を透過して、手島の指先に黒い筋となって這い上がってきた。  冷たかった。温度のない冷たさだ。触れたものの熱を奪うのではなく、そこに熱という概念がない、そういう種類の冷たさ。

 手を引こうとしたが、指が和紙に貼りついている。石垣の隙間から黒い膜が染み出し、手島の手首に巻きついた。声を出そうとした。出なかった。声帯が冷たい。肺が冷たい。  右手だけがまだ自由だった。ポケットから携帯電話を取り出し、蓮華院ネットワークの緊急連絡先に発信した。

 三コールで出た若い声に、手島は必要なことだけを告げた。「十八番、文京区、黒い亀裂。処理できない。応援を頼む。桜庭くんには朝まで近づくなと伝えてくれ」。電話の向こうで名前を呼ばれている。手島さん、手島さん。電話を地面に置いた。右手にも黒が広がり始めていた。

 手島は石垣に背を預け、座った。巡回中に座るのは四十年で初めてだった。膝が悪くても立って歩いた。それが誇りだった。小さな、誰にも見せない誇り。今夜だけは許してほしいと思った。

 空を見上げると、東京の空にも午前三時なら星が見える。幸恵が好きだった冬の星座にはまだ早い。黒い膜が胸まで来て、呼吸が浅くなった。

 四十年間、毎晩歩いた七キロ。二十三箇所。それだけの仕事だった。それだけの仕事を、自分はやり通した。目を閉じた。

 午前三時二十七分、手島清の携帯電話のGPS信号が途絶えた。  午前五時、応援チームが到着した。石垣の前には和紙が一枚、貼りついていた。梵字が途中まで書かれている。一画目だけ。墨は乾いていた。

 石垣の亀裂は消えている。黒い線も赤い線もなく、膜は正常な青に戻っていた。手島の体は見つからなかった。清め塩の袋だけが地面に落ちていて、口が開いて、塩が少しこぼれていた。

  殉職報告書 第2号   氏名:手島清(67)   所属:蓮華院ネットワーク東京支部 結界保全班   死因:結界補修中の異常接触による侵食・消失   備考:遺体なし。担当区域の結界は復旧済み。後任は桜庭涼太(28)。      手島保全員の巡回記録は14,600日分が保管されている。欠勤は生涯で3日。

 翌晩、桜庭涼太は午前一時に出発した。手島と同じルート、二十三箇所。十八箇所目の石垣の前で足を止めた。膜は見えない。桜庭にはまだ見えない。

 だが石垣の根元に、塩の粒が一つ残っているのは見えた。拾わなかった。手島さんが置いたものだから。そのまま十九箇所目へ歩いた。左足から踏み出した。誰に教わったわけでもないのに。