三好節子は毎朝五時半に起きる。六十五年間、ほとんど変わらない時刻だった。布団をたたみ、顔を洗い、やかんを火にかける。白湯を一杯。朝食は食パンに薄くバターを塗ったものと、インスタントの味噌汁。テレビはつけない。新聞は取っていない。静かな朝が好きだった。
窓を開けると、団地の四階から銀杏並木が見える。十月末。葉が黄色く色づき始めている。毎年この時期になると、三好は思う。今年もこの色を見られた、と。来年も見られるかは分からない。六十五歳の体はそういうことを考えさせる。
七時に家を出て、地下鉄を二本乗り継ぎ、内閣府特務管理局の裏口から入る。職員証をかざし、エレベーターで地下三階へ。記録管理課。蛍光灯と除湿機とスチール棚二十四本。三好の世界はここにあった。四十年間、この部屋で働いてきた。
三好の仕事は殉職報告書の受領、分類、整理、保管だった。報告書には統一フォーマットがある。A4一枚。氏名、所属、死因、備考。四項目。どれほど壮絶な最期であっても、その人の死はA4一枚に収まる。収められてしまう。
二十五歳で着任した日、前任者からの引き継ぎは三十分で終わった。「報告書が届いたら、日付順にファイルに綴じてください。年度末に集計表を作成してください。それだけです」。それだけの仕事を四十年やってきた。それだけの仕事に、四十年分の重みが積もっている。
今日届いた報告書は三枚。三好は封筒を開き、一枚ずつ確認した。
一枚目。塚田義明。四十九歳。玄庫ロジスティクス配送部。封印物暴走による消失。
二枚目。手島清。六十七歳。蓮華院ネットワーク。結界補修中の異常接触。
三枚目。笠原由紀。三十四歳。特務管理局情報保全課。認知汚染による自我崩壊。
穴あけパンチで二つ穴を開ける。ファイルの金具に通す。日付順に綴じる。手順は四十年間変わらない。
三好は備考欄を読まないと決めている。名前と日付と所属だけ確認して綴じる。最初の五年は読んでいた。読んで、この地下の部屋で一人で泣いた。
「遺体なし」「遺族への説明不可」「享年二十三」。そういう言葉を読むたびに、A4一枚の裏側にある人の生活が見えてしまう。朝ごはんを食べて、電車に乗って、仕事に行って、帰ってこなかった人。
六年目からやめた。読まないことだけが、この仕事を四十年続ける方法だった。
三枚を綴じ終えて、集計表を更新した。手書き。パソコンは使える。使えるが使わない。殉職報告書が紙で届く以上、集計も紙でやる。四十年間の一貫性が三好の誇りだった。
二〇二五年度。累計七十三名。
七十三。例年は二十から三十の間で推移する。今年は十月の時点で七十三。異常な数字だった。なぜこれほど多くの人が死んだのか、三好は知らない。知る立場にない。報告書が届いたら綴じる。それが仕事だ。
だが七十三という数字を書いたとき、ペン先が紙の上で止まった。七十三人。その一人ひとりに名前があり、所属があり、死因がある。
備考欄には三好が読まなかった言葉が並んでいる。読まなかったからといって、書かれていないわけではない。
腰が痛んだ。椅子を引き直して座り直す。来年の三月で定年退職。残り五ヶ月。後任はまだ決まっていない。五年前から「検討中」と言われ続けている。引き継ぎには最低三ヶ月は必要だと上に何度も言った。返答は変わらない。
三好は立ち上がり、書庫を見回した。スチール棚二十四本。一九八五年から二〇二五年。四十年分の死。合算したことはない。合算したら数字の重さに潰される。だが、棚を見ればおおよそは分かる。千は超えている。千人以上の人がA4一枚になって、この棚に収まっている。
今日は残業だった。過去のファイルの背表紙ラベルが劣化しているのを貼り替える作業がある。こういう地味な維持管理を三好以外にやる人間がいない。
一九九七年。一九九八年。一九九九年。一枚ずつラベルを剥がし、新しいものを貼る。一九九九年のファイルは厚かった。四十二枚。その年に何があったかは知らない。ただ四十二人が死んで、四十二枚の報告書が綴じられている。
午後十時。地下三階に三好一人。蛍光灯の光が白い。除湿機が低く唸っている。
ふと、三好は思った。自分が初めて綴じた報告書は誰のものだっただろう。一九八五年のファイルを開ければ分かる。だが開かない。開けば備考欄が見えてしまう。四十年間読まなかったものを、最後の年に読むわけにはいかない。
手が止まった。左胸が痛い。
息苦しい。椅子に座った。デスクの上のマグカップに手を伸ばした。お茶が入っている。冷めている。朝淹れたまま飲むのを忘れていた。指がマグカップに触れた。持ち上がらなかった。
三好はゆっくりとデスクに突っ伏した。頬が木の天板に触れて、冷たいと思った。
目の前に今日綴じた三枚のファイルが見えた。塚田義明。手島清。笠原由紀。三人の名前が読める距離にあった。三好は——四十年ぶりに、一番上の報告書の備考欄に目を落とした。
読めなかった。文字がぼやける。視界が暗くなっていく。
来年、後任が来たら、あの引き継ぎの言葉を伝えなければ。「報告書が届いたら、日付順にファイルに綴じてください」。
それから——伝えたいことがもう一つあった。読まないでください、とは言いたくなかった。本当は、読んでほしかった。誰かに。一枚ずつ。
蛍光灯が点いている。除湿機が唸っている。スチール棚が並んでいる。三好節子の頬はデスクの上にあった。
午前六時。出勤した庶務課の職員が、デスクに突っ伏したまま動かない三好を発見した。心肺停止。搬送先の病院で死亡確認。急性心筋梗塞。
三好のデスクの引き出しに、白紙の殉職報告書が一枚入っていた。A4。統一フォーマット。氏名欄、所属欄、死因欄、備考欄。すべて空白。三好が自分のために用意していたのか、それとも次の誰かのために用意してあったのか、分からなかった。
翌週、記録管理課に新しい職員が着任した。二十三歳の岡崎。引き継ぎは——三好がいないので、マニュアルだけが残されていた。手書き。三十二ページ。ファイルの綴じ方、ラベルの書式、集計表の記入方法。最後のページの余白に、三好の字でこう書いてあった。
「備考欄を読むかどうかは、自分で決めてください」
殉職報告書 第10号 氏名:三好節子(65) 所属:内閣府特務管理局 記録管理課 死因:急性心筋梗塞(勤務中) 備考:本報告書は後任の岡崎が作成した。 勤続四十年。殉職報告書の取扱件数は千二百件を超える。 岡崎は着任初日、すべてのファイルの背表紙ラベルが 新しく貼り替えられていることに気がついた