面接に落ちた。
二十三社目。
渋谷のビルの一室。面接官は三十代の人事担当者。丁寧だが、目が事務的だった。五分で終わった。
「学生時代に力を入れたことは何ですか」
この質問が来るたび、俺の中で二つの回答が衝突する。
本音:異世界で三十年間生き延びました。帰還術を独力で研究し、四十七回の実験を経て成功しました。チームマネジメントの経験もあります。二人の協力者と十九年間共同研究を行いました。異文化コミュニケーション能力には自信があります。人間ではない存在との交渉経験もあります。
実際の回答:「ゼミの研究に力を入れました」
面接官は頷いた。そしてこう聞いた。
「ゼミでは具体的にどのようなことを」
「民俗学のゼミで、地方の信仰儀礼について調査しました」
「いつ頃のことですか」
「三年次の——」
止まった。
三年次。俺が飛ばされた年だ。三年次のゼミ活動の記憶がない。正確には、大学一年の記憶はある。それ以降は——三十年の異世界が上書きしている。
「三年次に、フィールドワークを行いました」
嘘だ。三年次にフィールドワークはしていない。異世界にいた。
面接官の目が曇った。嘘を見抜いたのではない。回答の歯切れの悪さに引っかかっている。
「他に何か、課外活動やアルバイトの経験は」
「アルバイトは……」
ない。こっちの世界では。向こう側では何でもやった。狩猟、採集、製薬、建築、通訳。三十年分の職歴がある。だが履歴書には書けない。
「飲食店で少し」
大学一年のとき、三ヶ月だけ居酒屋でバイトした記憶がある。三十四年前の記憶。ディテールはほとんど消えている。
面接は五分で終わった。「結果はメールで」と言われた。メールは来ないだろう。
渋谷駅のホームで電車を待ちながら、スマホを見た。就活サイトのマイページ。エントリー済みの企業一覧。ほとんどが「不採用」のステータス。残っているのは二社。
ガクチカ。学生時代に力を入れたこと。
俺のガクチカは異世界で三十年生き延びたことだ。面接で言ったら精神科を勧められる。
電車に乗った。御影坂行き。窓の外に東京の街が流れている。ビル。看板。人。三十年前より――密度が上がっている。
御影坂駅に着いた。改札を出たら、史乃が立っていた。
「久瀬さん。お疲れ様です」
「……なんでここに」
「今日面接だって言ってたから。帰りの時間、たぶんこのくらいかなって」
待っていたのか。駅で。面接帰りの俺を。
「結果は?」
「いつも通り」
「……そうですか」
史乃は「大丈夫ですよ」とは言わなかった。代わりに、缶のお汁粉を差し出した。自販機で買ったやつだ。温かい。
「甘いもの、疲れたときにいいですよ」
お汁粉を受け取った。プルタブを開けた。甘い。向こう側には小豆がなかった。甘味は蜂蜜か果実だけだった。こっちの甘さは、違う。人工的で、でも悪くない。
商店街を歩きながら飲んだ。史乃が隣にいる。
「久瀬さん。就活、つらいですか」
「つらくはない。慣れてる。——落ちるのには」
「慣れてるって……」
「四十六回実験に失敗した男だぞ。面接二十三回落ちたくらいで凹まない」
笑おうとした。笑えなかった。嘘だ。凹んでいる。
四十六回の失敗は、帰るためだった。失敗しても次がある。次の実験をすればいい。それだけだった。
でも就活の失敗は違う。次がないかもしれない。企業は有限だ。業界は有限だ。二十二歳の大学四年が就職できる窓は、刻一刻と閉じていく。
しかも、閉じていく窓の向こうにあるのは、普通の社会人生活だ。俺が三十年かけて帰ってきた、この世界の日常。その日常の入り口に立てない。
帰ってきたのに、入れない。
「久瀬さん」
「ん」
「エントリーシート、見せてもらっていいですか」
「なんで」
「気になるんです。何を書いてるのか」
帰宅後。アパート。史乃がまた来た。おにぎりとお茶を持って。マグカップが一つしかないから、史乃は紙コップを持参していた。
エントリーシートのコピーを見せた。
史乃が読んだ。三分ほど黙って読んで、首を傾げた。
「久瀬さん。これ、嘘ですよね」
「嘘というか……」
「『ゼミで地域調査を行い、チームでの課題解決を学びました』。久瀬さん、チームで課題解決したことないでしょう」
「……あるぞ。向こう側で」
「向こう側のことは書けないんですよね」
「書けない」
「じゃあ、書けることで嘘じゃないことを書きましょう」
史乃が紙とペンを取り出した。いつの間に準備してきたんだ。
「久瀬さんが今やってること。案件の処理。あれ、言い換えたら何ですか」
「言い換え?」
「普通の言葉に。『異常な現象を調査して、関係者と対話して、解決策を見つける』。それって、コンサルティングとか、カウンセリングとか、そういう仕事に近くないですか」
「……まあ、遠くもないが」
「じゃあ書きましょう。嘘にならない範囲で。『地域の課題を個別に調査し、当事者との対話を通じて解決に導く活動をしています』」
「それ、ガクチカか?」
「ガクチカでしょう。ボランティアの一種として」
スマホが鳴った。理澄からのメッセージ。
『久瀬さん。就活の話、聞きました。史乃さんから。面接で聞かれる質問のパターン分析、やりましょうか。過去三年分の面接レポートをデータベース化して、出現頻度の高い質問を抽出できます。回答のテンプレートも最適化できます。統計的に有意なアプローチです』
理澄らしい。感情じゃなくデータで殴ってくる。
史乃がスマホを覗き込んだ。
「理澄ちゃんも心配してるんですね」
「心配っていうか、研究対象が就活に失敗したら、観察が続けられないからだろ」
「それは違うと思いますよ」
史乃が笑った。
エントリーシートの書き直しを、史乃の提案で始めた。嘘を書かない。でも本当のことも全部は書けない。その間を縫うように、言葉を選ぶ。
折り合いをつける。
案件の処理と同じだ。願いを叶えるのではなく、現実との折り合いをつける。
俺自身が、自分の人生と折り合いをつけている。三十年の異世界体験と、二十二歳の大学四年生という現実。その間で。
「久瀬さん。一つ聞いていいですか」
「何だ」
「就職して、何がしたいんですか」
答えられなかった。
就職して何がしたい。向こう側にいた三十年間、帰ることしか考えていなかった。帰ったらどうするかは——考えていなかった。帰ることがゴールだった。ゴールの先が、空白だった。
「……分からない」
「分からなくてもいいと思います。分からないまま、とりあえず就職するのも」
「折り合いの一種か」
「そうです」
窓の外が暗くなっていた。十一月の夜。エントリーシートの下書きが、机の上に散らばっている。
マグカップのお茶が冷めていた。史乃の紙コップのお茶も。
「……ありがとう。史乃」
「名前で呼ぶの、珍しいですね」
「気が向いただけだ」
史乃が帰った後、スマホのメッセージを見た。理澄からの追加メッセージ。
『ちなみに統計的に最も面接通過率が高いガクチカのジャンルは、第一位が長期インターン、第二位が留学、第三位がサークルのリーダー経験です。久瀬さん、どれもないですね。大丈夫です、私もないです』
最後の一行で少しだけ笑った。
エントリーシートを見つめた。書き直した文章。嘘ではない。でも全部でもない。
これが——俺の折り合いだ。今のところ。