小説置き場

第12話「キャンパスの見えない糸」

3,117文字 約7分

理澄から連絡が来た。

 『久瀬さん。学内でまた変なことが起きてます。食堂の前に来てください。データ見せます』

 昼休み。食堂の前のベンチ。理澄が待っていた。タブレットを抱えて、眼鏡の奥の目が真剣だ。

「これ、見てください」

 タブレットに画面が表示されていた。大学のSNS、学内の掲示板のような匿名投稿アプリ。

 投稿が一つ、赤い丸で囲まれている。

 『彼氏欲しい。まじで。誰でもいいから。神様お願い🙏』

 いいねが三百十二。学内の投稿としては異常な数字だ。

「これが問題?」

「問題はこの投稿じゃなくて、投稿した人に起きていること。この投稿者、たぶん経済学部の三年生。投稿の翌日から、見知らぬ男が彼女の後をつけ始めたんです」

「ストーカー?」

「ストーカーっぽいんですけど、おかしいんです。その男、警備員に捕まったとき、自分が何で女の子を追いかけてるか説明できなかった。『気づいたらここにいた』って」

 気づいたらここにいた。

 願いの引力だ。

 「誰でもいいから」——そのフレーズが問題だ。特定の相手を指名しない願い。不特定多数に開かれた願い。しかもSNSに投稿されて、三百十二人がいいねを押した。

 向こう側で学んだ理論。願いにはベクトルがある。特定の対象に向かう願いは収束する。不特定の対象に向かう願いは拡散する。拡散した願いは、近くにいる人間を引き寄せる。

 三百十二のいいねが、拡散を加速した。いいねは共感だ。共感は願いの密度を上げる。「彼氏欲しい」に三百十二人が共感した。その三百十二人分の「分かる」が、元の願いに重なった。

 結果、願いの引力が強くなりすぎて、物理的に人間を引き寄せた。

「……SNSが増幅装置になってる」

「増幅装置?」

「願いの。いいねが共感のエネルギーだとしたら、三百十二のいいねは、三百十二人分の願いの上乗せだ。元の投稿者の願いが三百倍になってる」

 理澄が目を細めた。メモを取っている。タブレットのノートアプリに、指で高速入力している。フリック入力。俺の三倍は速い。

「つまり、SNSの投稿が、願いの増幅装置として機能している。いいねの数に比例して、願いの実現圧が上がる」

「そういうことだ。祠に一人で祈るのと、SNSに投稿して三百人に共感されるのとでは、エネルギーが桁違いだ」

「じゃあバズった投稿は……」

「やばい。理論的には。万単位のいいねがついた願い事が実在したら、街レベルの案件になる」

 理澄の顔がこわばった。

「それ、定量的に分析できませんか。いいねの数と願いの実現確率の相関」

「できるかもしれないが、今はまず、この女の子の案件を処理する」

 投稿者を探す必要があった。匿名投稿だが、理澄は特定済みだった。

「投稿時間のIPログと学内Wi-Fiのアクセスポイントのログを照合しました。投稿時間に該当エリアにいた端末を……」

「待て。それ合法か」

「学内ネットワーク管理の観点からは、グレーです」

「グレーか」

「限りなく黒に近いグレーです」

 理澄に罪悪感はなさそうだった。データが取れるなら取る。それがこの子の倫理だ。向こう側の学者連中にも似たタイプがいた。

 ——比べるな。

 投稿者は経済学部三年の女子学生。名前は橋本さん。講義後のキャンパスで話を聞くことになった。

 理澄が声をかけた。俺がいきなり話しかけるよりは自然だ。

「すみません、橋本さん。ちょっと聞きたいことがあるんですけど」

「え、何? 鷺沢さん……と、そちらは?」

「同じ大学の久瀬です」

 橋本さんは小柄で、髪を染めていて、スマホケースにキーホルダーがたくさんついていた。見るからに今どきの大学生だ。

「あの、変な人につきまとわれてるって聞いたんですけど」

 橋本さんの顔が曇った。

「うん。もう三日目で。警備員さんに捕まえてもらったけど、また違う人が来て、昨日は二人。なんか、私の方に吸い寄せられてくるみたいに」

 吸い寄せられる。まさにその通りだ。

「橋本さん。最近、SNSに何か書いた? 願い事みたいなこと」

 橋本さんが目を丸くした。

「……あ。あの投稿。『彼氏欲しい』ってやつ? 冗談半分で書いたんだけど、まさか関係ある?」

「ある。たぶん」

「えっ。でもただの投稿だよ? みんな書いてるじゃん。願い事とか。冗談で」

 冗談。この街では、冗談の願いでも力を持つ。御影坂は願いが集まる土地だ。しかもSNSの増幅効果がかかっている。

「橋本さん。あの投稿、消せる?」

「消すの? いいねめっちゃついたのに」

「いいねがついたから問題なんだ。信じてもらえないかもしれないけど、あの投稿が、人を引き寄せてる原因だと思う」

 橋本さんは俺と理澄を交互に見た。信じていない顔。当然だ。

 理澄が一歩前に出た。

「橋本さん。私は工学部です。非科学的なことを言うつもりはありません。でもデータ上、あなたの投稿時刻と、つきまとい被害の開始時刻に有意な相関があります。投稿を消して、被害が止まるかどうか。実験だと思ってくれませんか」

 理系の説得。感情ではなくデータ。

 橋本さんが少し考えて、スマホを取り出した。

「……消すだけでいいの?」

「消すだけでいい」

 橋本さんの指が画面をタップした。削除の確認。「はい」。

 投稿が消えた。

 俺の目に、見えた。橋本さんの周りに薄くまとわりついていたオレンジ色の光が、散った。風に吹かれた花びらのように、四方に散って消えていった。

 三百十二人分のいいねが、解放された。

「消えた?」

 理澄が聞いた。俺にしか見えないものを、理澄は聞いて確認する。

「消えた。これで明日から、つきまといは止まるはずだ」

 橋本さんはまだ半信半疑の顔をしていた。

「ほんとに止まるの?」

「止まる。でも、橋本さん。一つだけ」

「何?」

「次から願い事を書くときは、もうちょっと具体的に書いたほうがいい。『誰でもいい』は、範囲が広すぎる」

 橋本さんが少し笑った。

「何それ。願い事のアドバイス?」

「……まあ、そんなもんだ」

 橋本さんが去っていった。友達に手を振りながら。軽い足取りで。

 残された俺と理澄は、ベンチに座った。

 理澄がタブレットにデータを入力している。

「久瀬。一つ確認したいんですけど」

「何だ」

「いいねの数と願いの強度が比例するなら、この街のSNS上には、今この瞬間にもたくさんの願いが増幅されてるってことですよね」

「ああ」

「祠に溜まる願いだけじゃない。SNSにも溜まってる。しかもSNSのほうが、拡散速度が速い」

 理澄が俺を見た。眼鏡の奥の目が、怖いくらい真剣だった。

「この街、願いが叶いやすすぎませんか」

 御影坂。「帰りたい」「やり直したい」の願いが集まる土地。そこにSNSという増幅装置が加わった。祠や神社に静かに溜まっていた願いが、デジタルの速度で拡散し、増幅される。

 答えは、分かっている。

「叶いやすいんじゃない。願いが強くなりすぎてるんだ。この街は。——で、強くなりすぎた願いが暴走すると、案件になる」

「案件が増えるということ?」

「増える。たぶん」

 残り九十一件。——いや、増えるのか。減らしている端から、新しい案件が生まれている。

 夕暮れの風が吹いた。銀杏の葉が舞った。十一月。季節が進んでいる。

 理澄がタブレットを閉じた。

「久瀬。私、この街の願いの密度をマッピングしてみたいんですが。SNSの投稿データと、あなたの案件処理記録を重ねれば……」

「やりたきゃやれ。ただし俺のデータを使うなら、一つ条件がある」

「何ですか」

「見つけたことは、俺にも教えろ」

 理澄が少し笑った。珍しい。

「それくらい当然です」

 キャンパスの銀杏並木を歩いた。二人で。向こう側では、並んで歩ける相手は戦場の仲間だけだった。黄色い葉が地面に散っている。踏むとくしゃっと音がする。

 十一月の御影坂。願いが、デジタルの翼で飛ぶ時代の——神様案件。