小説置き場

第9話「フォローした覚えないんだけど」

1,695文字 約4分

木曜日の朝、登校中に気づいた。

 後ろを歩いている人間が、三回連続で同じ交差点を曲がった。

 最初は偶然だと思った。駅前から学校までの通学路は、他の学校の生徒も使う。同じ方向に歩く人はいる。

 だが三回目の角を曲がったとき、後ろの人間の歩調が変わった。直人が速くなれば速くなり、遅くなれば遅くなる。距離を一定に保とうとしている。

 尾行だ。

 燈子の教えが頭を走った。「振り返らないで。気づいていないふりをしなさい。気づいたことが相手に伝わると、相手が次の手を打つ」。

 学校に着いた。校門をくぐった。後ろの人間は校門の前で止まった。横断歩道の向こうに立って、スマートフォンを見ているふりをしている。

 直人は校門を入ってから、振り返らずに教室に向かった。

 昼休み。屋上。隼人とコンビニのおにぎりを食べている。

「直人」

「ん?」

「今朝、校門の向かいに人いたよな。灰色のパーカー。三十前くらいの男」

 隼人が見ていた。

「気づいてたの」

「柔道やってると、周りの人間の位置が気になる癖がつくんだよ。あいつ、お前が校門入るまでずっと立ってた。入った後に歩いて行った」

「知り合いではない」

「だよな。尾けられてるのか?」

 直人は三秒考えた。隼人にどこまで話すか。

「分からない。たまたまかもしれない」

「たまたま三回同じ角を曲がらないだろ」

 隼人の観察力が鋭い。本当に鋭い。

「……ちょっと複雑な事情があって。ネットで知らない人に絡まれてるかもしれない」

 半分本当。半分嘘。ネットで絡まれているのは本当。「ちょっと複雑」の中身は言えない。

 隼人が直人を見た。五秒。長い五秒。

「警察に相談した方がいいんじゃないの」

「まだそこまでじゃない。たぶん」

「たぶんね。俺にできることある?」

「ない。大丈夫」

「嘘つくなよ」

 隼人の声が低くなった。先日のファストフード店で聞いたのと同じ、真剣な声。

「嘘つくなとは言わない。って前にも言ったけど。でもさ、お前が危ないなら言ってくれ。俺が横にいるだけで、変なやつは近づきにくくなるだろ。百七十八センチの柔道部員が隣に立ってれば」

 直人は少しだけ笑った。

「それは、確かにそうだ」

「だろ。物理的な圧力って大事だぜ」

 物理的な圧力。燈子が「面倒くさい相手だと思わせろ」と言ったのと、根は同じだ。

 放課後。直人は帰路を変えた。いつもと違うルートで帰る。燈子の教え。同じルートを使い続けるな。パターンを作るな。

 住宅街を一本裏の道に入った。人通りが少ない。塀と生垣が続く。

 後ろに誰もいなかった。今日の帰りは尾行なし。

 だが、朝はいた。校門の前にいた。通学路を知られている。

 帰宅した。自室に入った。スマートフォンで燈子にメッセージ。

 『接触あり。朝の通学路で尾行。30前くらいの男、灰色パーカー。校門前で待機していた。市川とは別人。帰りは別ルートを使った。尾行なし』

 返信。一分後。

 『尾行者の顔は覚えた?』

 『後ろにいたので見ていない。振り返るなと言われたので』

 『正解。だが次からは、ガラスの反射やスマホのカメラで後方確認する方法を覚えて。明日教える。もう一つ。友達に相談した?』

 『していない。事情はぼかした』

 『いい判断。だが友達にも注意させておいて。あんたの周りにいる人間も、観察対象になりうる。あんたを追っている連中は、あんたに直接接触できないなら、あんたの周りの人間から情報を取ろうとする』

 隼人。

 直人の手が止まった。

 隼人が危険に巻き込まれる可能性。それは考えたくなかった。

 『友達をこれ以上巻き込まない方法はありますか』

 返信。三秒。

 『ない。あんたが関わっている限り、近くの人間はリスクにさらされる。巻き込みたくないなら、距離を取るか、全てを話すか。どちらも痛い選択よ』

 距離を取る。隼人と。

 それはできない。

 全てを話す。Relayのこと。身バレのこと。脅迫のこと。

 それもまだ、できない。

 直人はスマートフォンを置いた。

 リビングから妹の声が聞こえる。母親と何か話している。笑っている。

 普通の夕方。

 でもこの普通はもう、完全には普通じゃない。

 明日、燈子に後方確認の方法を教わる。そして隼人とどうするかを考えなければならない。

 おにぎりを食べた。昆布。冷たかった。