木曜日の朝、登校中に気づいた。
後ろを歩いている人間が、三回連続で同じ交差点を曲がった。
最初は偶然だと思った。駅前から学校までの通学路は、他の学校の生徒も使う。同じ方向に歩く人はいる。
だが三回目の角を曲がったとき、後ろの人間の歩調が変わった。直人が速くなれば速くなり、遅くなれば遅くなる。距離を一定に保とうとしている。
尾行だ。
燈子の教えが頭を走った。「振り返らないで。気づいていないふりをしなさい。気づいたことが相手に伝わると、相手が次の手を打つ」。
学校に着いた。校門をくぐった。後ろの人間は校門の前で止まった。横断歩道の向こうに立って、スマートフォンを見ているふりをしている。
直人は校門を入ってから、振り返らずに教室に向かった。
昼休み。屋上。隼人とコンビニのおにぎりを食べている。
「直人」
「ん?」
「今朝、校門の向かいに人いたよな。灰色のパーカー。三十前くらいの男」
隼人が見ていた。
「気づいてたの」
「柔道やってると、周りの人間の位置が気になる癖がつくんだよ。あいつ、お前が校門入るまでずっと立ってた。入った後に歩いて行った」
「知り合いではない」
「だよな。尾けられてるのか?」
直人は三秒考えた。隼人にどこまで話すか。
「分からない。たまたまかもしれない」
「たまたま三回同じ角を曲がらないだろ」
隼人の観察力が鋭い。本当に鋭い。
「……ちょっと複雑な事情があって。ネットで知らない人に絡まれてるかもしれない」
半分本当。半分嘘。ネットで絡まれているのは本当。「ちょっと複雑」の中身は言えない。
隼人が直人を見た。五秒。長い五秒。
「警察に相談した方がいいんじゃないの」
「まだそこまでじゃない。たぶん」
「たぶんね。俺にできることある?」
「ない。大丈夫」
「嘘つくなよ」
隼人の声が低くなった。先日のファストフード店で聞いたのと同じ、真剣な声。
「嘘つくなとは言わない。って前にも言ったけど。でもさ、お前が危ないなら言ってくれ。俺が横にいるだけで、変なやつは近づきにくくなるだろ。百七十八センチの柔道部員が隣に立ってれば」
直人は少しだけ笑った。
「それは、確かにそうだ」
「だろ。物理的な圧力って大事だぜ」
物理的な圧力。燈子が「面倒くさい相手だと思わせろ」と言ったのと、根は同じだ。
放課後。直人は帰路を変えた。いつもと違うルートで帰る。燈子の教え。同じルートを使い続けるな。パターンを作るな。
住宅街を一本裏の道に入った。人通りが少ない。塀と生垣が続く。
後ろに誰もいなかった。今日の帰りは尾行なし。
だが、朝はいた。校門の前にいた。通学路を知られている。
帰宅した。自室に入った。スマートフォンで燈子にメッセージ。
『接触あり。朝の通学路で尾行。30前くらいの男、灰色パーカー。校門前で待機していた。市川とは別人。帰りは別ルートを使った。尾行なし』
返信。一分後。
『尾行者の顔は覚えた?』
『後ろにいたので見ていない。振り返るなと言われたので』
『正解。だが次からは、ガラスの反射やスマホのカメラで後方確認する方法を覚えて。明日教える。もう一つ。友達に相談した?』
『していない。事情はぼかした』
『いい判断。だが友達にも注意させておいて。あんたの周りにいる人間も、観察対象になりうる。あんたを追っている連中は、あんたに直接接触できないなら、あんたの周りの人間から情報を取ろうとする』
隼人。
直人の手が止まった。
隼人が危険に巻き込まれる可能性。それは考えたくなかった。
『友達をこれ以上巻き込まない方法はありますか』
返信。三秒。
『ない。あんたが関わっている限り、近くの人間はリスクにさらされる。巻き込みたくないなら、距離を取るか、全てを話すか。どちらも痛い選択よ』
距離を取る。隼人と。
それはできない。
全てを話す。Relayのこと。身バレのこと。脅迫のこと。
それもまだ、できない。
直人はスマートフォンを置いた。
リビングから妹の声が聞こえる。母親と何か話している。笑っている。
普通の夕方。
でもこの普通はもう、完全には普通じゃない。
明日、燈子に後方確認の方法を教わる。そして隼人とどうするかを考えなければならない。
おにぎりを食べた。昆布。冷たかった。