小説置き場

第4話「アポなしで来るのバグでしょ」

2,053文字 約5分

日曜日の午後、隼人とラーメンを食べた。

 駅前の新しい店。味噌ラーメン。隼人は大盛りに餃子とライス。透は普通盛り。隼人が「足りないだろ」と自分の餃子を二つ寄越した。断る前に皿に乗っていた。

「うまくね? ここ当たりだわ」

「うん、悪くない」

「悪くないじゃなくて、うまいだろ。素直に言えよ」

「……うまい」

「だろ?」

 普通の日曜日だった。

 ラーメン屋を出て、隼人と別れた。駅前の交差点で手を振って、反対方向に歩き出す。

 三十メートル歩いたところで、声をかけられた。

「奥谷直人くん?」

 足が止まった。

 振り返ると、女性が立っていた。

 二十代後半から三十歳前後。黒髪のボブカット。グレーのコートにダークネイビーのパンツ。ヒールは低い。歩きやすさを優先している。革の鞄を肩にかけている。ビジネスカジュアルとも私服とも取れる、意図的に印象を限定させない服装。

 知らない人だ。

 だが俺の名前を知っている。

「誰ですか」

「通りで話す内容じゃないわ。喫茶店に入りましょう。おごるから」

「知らない人についていくなとは」

「言われてるでしょうね。でも、あなたが今抱えてる問題を考えると、五分くらい話を聞いた方がいいと思うわ」

 女性の目は笑っていなかった。営業スマイルでもなく、脅しでもなく、ただ事実を述べている目。

 直人は考えた。三秒。

 断って逃げることはできる。だがこの女性は俺のフルネームを知っている。日曜の行動パターンも把握している。逃げても追いかけてくる人間に、逃げることには意味がない。

 五分だけ。

 駅前のチェーンのカフェに入った。窓際の席。女性はアイスコーヒーを頼み、直人はホットの紅茶を頼んだ。コーヒーは苦手だ。

「私は御影燈子。仕事は——まあ、いろいろやってるわ。今はあなたの件で動いてるの」

「僕の件」

「Relayの件」

 心臓が跳ねた。顔には出さなかった。たぶん。

「何の話ですか」

「その反応は偉い。でも、とぼけても無駄よ。私はあなたがRelayの中核運営者の一人だと知っている。正確には、創設者」

 直人は紅茶のカップを持ったまま動かなかった。

「どこまで知ってるんですか」

「名前。学校。学年。自宅の住所。Relayの初期プロトタイプを開発した端末の通信ログから辿った。あとはタイムスタンプの分析。テスト期間に更新が止まるのは、学生にしては分かりやすいヒントだったわね」

 先日洗い出した痕跡。全部突かれている。

「……あのDMも、あなたですか」

「DMは私じゃないわ。でも、送った人間に心当たりはある。私があなたに会いに来たのは、あのDMの送り主があなたに辿り着いたということは、他の連中もそろそろ辿り着くということだからよ」

「他の連中」

「あなたのRelayは大きくなりすぎた。七万人の匿名ネットワーク。エスクローに動いている金額。信用のデータベース。緊急避難チャンネル。外から見れば、人と金と逃げ道が揃った宝の山よ」

 直人は紅茶を一口飲んだ。甘い。砂糖を入れすぎた。

「あなたは何が目的ですか」

「助けに来たわけじゃないわ。あなたの案件を軟着陸させれば、私にも利益がある。それだけよ」

「利益って」

「金。あとは人脈。あなたの技術力にも興味がある。正直に言うわ。私は善人じゃないし、ボランティアもしない。あなたが死んだり捕まったりすると、面倒なことになる人たちがいるの。私はその面倒を処理するのが仕事。面倒が小さいうちに潰しておきたいだけ」

 商売人だ。

 善意ゼロ。損得勘定。面倒の事前処理。

 だが嘘がない。少なくとも、嘘をつく必要がないほど正直に利益を語っている。それは逆説的に、信用できる種類の人間だ。

「具体的に何をしてくれるんですか」

「まず、あなたに死なない順番を教える」

「死なない順番?」

「あなたは頭がいい。システムを設計する能力は本物だと思うわ。でも、現実の人間は合理的に動かないの。金と面子と恐怖と惰性で動く。その順番を知らないと、正しいことをしても殺されるわよ」

 燈子はアイスコーヒーのストローを指で回した。

「あなたの最大の弱点は、善意で設計したものが善意で使われると思っていること。そろそろそうじゃない人たちが来るわ。来てから考えても遅いの」

 直人は窓の外を見た。日曜の午後。買い物袋を持った家族連れ。犬の散歩。自転車の高校生。

 普通の世界。

 その世界の中で、知らない女に「死なない順番」の話をされている。

「考えさせてください」

「三日よ。それ以上は待てないわ。連絡先を渡すから、決まったらメッセージして」

 燈子は名刺を出した。名前と電話番号だけが書いてある。肩書きなし。会社名なし。

「あと一つ」燈子が立ち上がりながら言った。「校門の前でスーツの男を見たでしょう。友達が教えてくれたはず」

 直人の手が止まった。

「あれは私が送った人間じゃないわ。つまり、私以外にもあなたを見つけた人間がいるということよ。三日、考えて」

 燈子はレジで二人分の会計を済ませて、店を出た。

 直人はテーブルに残された名刺を見つめた。

 御影燈子。電話番号。それだけ。

 紅茶はまだ温かかった。でも味はもう分からなかった。