小説置き場

第25話「祈りにもコストがかかる」

3,288文字 約7分

桐生から二度目の連絡が来たのは、最初の面会から一週間後の日曜日だった。今度はRelayのDMではなく、前回の面会で交換した使い捨てのメールアドレス宛てだった。件名は「ご提案」。本文は短く、添付ファイルが一つついていた。

「先日はありがとうございました。前回のお話を踏まえて、私たちから一つご提案があります。添付の資料をご覧いただけますでしょうか。ご検討のうえ、お返事をいただければ幸いです」

 添付はPDFだった。五ページ。表紙には「Relay×光の道 連携提案書」と書いてある。レイアウトが整っている。図表が入っている。フォントの選び方がまともだ。素人が作った資料ではない。デザイナーか、少なくともデザインが分かる人間が関わっている。

 直人は一ページ目をめくった。

 提案の骨子はこうだった。光の道が全国二十三箇所のカウンセリング拠点を、Relayの「受付窓口」として機能させる。困窮者が拠点を訪れると、スタッフがRelayのアカウント作成と支援申請を代行する。スマホを持っていない人、デジタルに不慣れな人を、光の道がRelayにつなぐ。

 運営コストは光の道が全額負担。交換条件はRelayのアプリ内に「光の道パートナーシップ」のバッジを表示すること。光の道経由で登録したユーザーのプロフィールに小さなロゴが入る。金銭の要求はない。データアクセス権も求めていない。三ヶ月のパイロット、五拠点からスタート。

 最終ページは「私たちは、Relayの理念に共感しています」の一文で終わっていた。

 直人はPDFを閉じた。日曜日の朝の自室。窓から差し込む冬の光が、ノートパソコンの画面を白く洗っている。

 燈子に転送した。電話ではなくメール。この内容は文字で残しておくべきだと判断した。

 三十分後、燈子から電話がかかってきた。

「読んだわ」

「どう思いますか」

「完璧な提案書ね。穴がない。金も求めない。データも求めない。見返りはロゴの表示だけ。あんたの側にデメリットがほとんどない。だから危険なの」

「デメリットがないのに危険?」

「デメリットがない提案は存在しないの。見えてないだけ。見えないデメリットは、見えるデメリットより怖い。具体的に言うわね」

 燈子の声が講義モードに切り替わった。直人はノートを開いた。

「まず、受付窓口の提案は『ユーザー獲得チャネルの占有』よ。新規ユーザーの入口を光の道が握る。入口を握った者は出口も握れる。ユーザーがRelayに入る導線をコントロールすれば、出る導線もコントロールできるようになる」

「でも、Relayのアカウントは個人のものです。光の道が解約したりはできない」

「技術的にはね。でも実質的には? 光の道のスタッフに手伝ってもらってアカウントを作った人が、光の道ともめたらどうなる。そのスタッフに相談した個人情報は光の道側に残る。匿名であるはずのRelayアカウントの裏に、光の道が握る実名情報が紐づくの」

 直人は息を止めた。そこは考えていなかった。Relayの匿名性はシステム内部で担保されている。だがシステムの外側で——アカウント作成を代行する過程で——光の道が実名情報を取得する。その情報はRelayのサーバーには残らないが、光の道の手元には残る。

「次。ロゴの表示。これは広告よ。七万人のユーザーに対して、光の道のブランドを毎日表示する。広告単価で計算してみなさい。CPMベースで、七万インプレッション×三百六十五日。年間のブランド露出の広告価値は、控えめに見積もっても数百万円よ。それを、窓口運営の実費だけで手に入れる。安い買い物ね」

「そういう計算になるんですか」

「なるの。あんたはエンジニアだから広告の相場を知らないだけ。これはマーケティングの話よ。光の道はRelayのユーザーベースを、祈りの代わりに広告費で買おうとしてるの」

 直人は椅子の背にもたれた。天井を見上げた。資料の五ページ目の一文が頭の中で反響している。「私たちは、Relayの理念に共感しています」。共感。そう書いてあった。でも燈子の分析を聞くと、共感の裏側にビジネスモデルが透けて見える。

「燈子さん。一つ聞いていいですか」

「何」

「光の道の提案を受けたら、何が起きますか。最悪のシナリオで」

「最悪? 三年後にRelayが光の道の傘下に入ってるわ。段階を説明する。まず窓口を通じて光の道経由のユーザーが増える。一年で全体の三割を超える。三割を超えたら、光の道はRelayの運営方針に口を出し始める。『ユーザーの三割はうちの窓口経由なんだから、その声を反映してほしい』。正論よ。あんたは断れない。二年目に光の道がRelayの開発費を出すと言い出す。あんたは高校生で、開発費をバイト代から出してるでしょ。大人が資金を出すと言ったら断れない。三年目、Relayの実質的なオーナーは光の道になってる。祈りにもコストがかかるのよ。そのコストを誰が払うかという話」

「……祈りにもコストがかかる」

「そう。光の道は無償で支援しているように見える。でも無償のものはないの。コストが見えないだけ。そのコストは最終的にあんたが払うことになる。Relayの独立性という形でね」

 直人は黙った。窓の外を見た。十二月の日曜日。近所の公園で子どもが遊んでいる声が聞こえる。普通の休日だ。だが直人の画面には、宗教団体の提案書が開いている。

「燈子さん。提案を断ります」

「待ちなさい」

「え?」

「断るのは簡単よ。でも断り方を間違えると、光の道はもっと巧妙な提案を持ってくる。断るなら、相手が次の手を打ちにくいように断らないといけない」

「どうやって」

「受け入れるふりをして、条件を積み上げるの。あんたの側の条件が厳しすぎて、結果的に光の道が自分から引き下がるように仕向ける。あんたが断ったんじゃない。条件が折り合わなかっただけ。その差は大きいの」

 直人はノートに書いた。「断るのではなく、条件が折り合わなかった形にする」。また一つ、大人の技術を学んだ。十七歳の放課後に学ぶべきことではないが、Relayを運営している限り避けられない。

「条件を考えます。燈子さんに見てもらっていいですか」

「当然。あんたが一人で交渉するなんて百年早いわ」

 電話を切った。直人はノートパソコンに向き直った。桐生の提案書をもう一度開いた。五ページの資料を、今度は燈子の視点で読み返した。一ページ目の「受付窓口」は「ユーザー獲得チャネルの占有」。二ページ目の「運営コスト全額負担」は「経済的依存関係の構築」。三ページ目の「ロゴ表示」は「七万人への継続的ブランド広告」。同じ文章が、まったく違う意味を帯びた。

 直人はRelayのコードエディタを開いた。一つだけ確認したいことがあった。Relayのユーザー登録プロセス。現在の設計では、ユーザーは自分でアカウントを作成する。第三者が代行する機能は実装していない。光の道の提案を実現するには、コードを書き換える必要がある。

 直人はエディタを閉じた。コードは書き換えない。Relayは「個人が自分の意思でアカウントを作り、自分の意思で助け合う」システムだ。第三者が代行する機能を入れた瞬間、設計思想が崩れる。これが直人の答えだった。感情ではなく、設計に基づいた判断。

 スマホが震えた。隼人からのLINE。「明日のメシ、学食な。唐揚げ定食がリニューアルしたらしい」。直人は「了解」と返した。

 直人は返信のメールを書き始めた。桐生への返事だ。燈子に見せる前の下書き。

「桐生さま。ご提案ありがとうございます。資料を拝見しました。いくつか確認したい点がございます」

 ここから先は、燈子と相談して条件を詰める。条件を積み上げて、光の道が自分から引き下がるように設計する。交渉もまた、UIの設計と同じだ。相手の行動を誘導するための仕組み。直人はRelayのUIを設計する技術で、光の道との交渉を設計しようとしていた。

 ただし、相手もUIの設計者だ。桐生の提案書は、直人の判断を誘導するために設計されていた。UI設計者同士の静かな戦いが、十二月の日曜日の朝に始まっていた。