小説置き場

第21話「善意にもUIがある」

3,182文字 約7分

日曜日の朝、直人のDMに届いたメッセージは丁寧だった。句読点の打ち方が正確で、改行の位置が読みやすく、最後に「お返事をお待ちしております」と添えてある。営業メールの文体に似ているが、営業メールよりも温度がある。手で書いた文章だ、と直人は思った。テンプレートではない。

 差出人のアカウント名は「光の道・広報部」。プロフィールには「すべての人に光を」とだけ書いてある。フォロワー数は三千。アイコンは太陽をモチーフにしたロゴで、デザインは悪くない。むしろ洗練されている。

 メッセージの内容はこうだった。

「Relayの運営者様へ。私たちは「光の道」という団体で、地域の相互扶助活動を行っております。Relayの仕組みに感銘を受け、私たちの活動との連携の可能性についてお話できればと考えております。もしよろしければ、一度お会いできないでしょうか」

 直人はスマホをテーブルに置いた。日曜の朝の自室。窓から十一月の光が差し込んでいて、机の上のノートパソコンの画面に薄い反射がかかっている。母親が階下でテレビを見ている音が、ドア越しにくぐもって聞こえる。

 「光の道」。聞いたことがなかった。直人はブラウザで検索した。公式サイトがある。設立は二〇一九年。本部は都内。活動内容は「困窮者への生活支援」「地域コミュニティの再構築」「心のケアと対話」。写真には清潔な建物と笑顔の人々が並んでいて、ボランティア団体のサイトと見分けがつかない。

 だが「宗教法人」の文字がサイトのフッターにあった。

 直人は燈子に電話した。日曜の朝に電話するのは初めてだったが、燈子は二コールで出た。

「どうしたの、日曜に」

「宗教法人からDMが来ました」

 三秒の沈黙。燈子の沈黙は短いほど深刻だ。一秒なら驚き。三秒なら計算している。

「名前は」

「光の道。知ってますか」

「知らない。でも予想はしてた」

「予想?」

「Relayの利用者に宗教関係者が混じってるのは前から気づいてた。相互扶助のプラットフォームに宗教が食いつくのは当然よ。彼らにとってRelayは理想的な信者獲得チャネルだもの」

 直人はメッセージをもう一度読んだ。丁寧な文体。温かい温度。「連携の可能性」という柔らかい表現。敵意はどこにもない。

「でも、この文面はまともに見えます」

「まともに見えるのが一番怖いの。あんたさ、UIって知ってるでしょ」

「ユーザーインターフェース。もちろん」

「善意にもUIがあるのよ。パッケージが綺麗で、動線が分かりやすくて、ユーザーが気持ちよく使えるように設計された善意。それはもう善意じゃなくて導線なの。あんたが設計したRelayのUIと同じ。ユーザーの行動を誘導するための仕組み」

 直人は黙った。UIの設計は直人の専門だ。ユーザーがストレスなく目的を達成できるように、ボタンの配置、色、文言を調整する。Relayのインターフェースは直人が一人で設計した。ユーザーが困っている人を助けたいと思ったとき、三タップで支援が完了するように。

 それと同じことを、「光の道」がやっている。DMの文体が丁寧なのは、直人が「助けたい」と思うようにデザインされているからだ。

「返信しないほうがいいですか」

「返信はしていい。断る方向で。ただし雑にブロックするな。宗教団体を敵に回すと面倒なの。反社とは別の意味で。反社は暴力で来るけど、宗教は善意で来る。善意で来る相手は斬りにくい」

「善意で来る相手を、どう断るんですか」

「あんた、勧誘を断ったことないの?」

「……ないです」

「ないか。まあ十七歳だもんね。いい、教えてあげる。宗教の勧誘を断るコツは、肯定しながら断ることよ。『素晴らしい活動ですね。ただ、現時点ではRelayは特定団体との連携を行っていません。ご理解いただけますと幸いです』。これで終わり。相手の善意を否定せず、事実で線を引く」

 直人はノートに書いた。「肯定しながら断る」。燈子のレッスンは増える一方だ。交渉、面子、未成年性、そして今度は宗教の断り方。直人は交渉のプロになるつもりはなかったのに、Relayを運営しているだけで、ありとあらゆる「大人のスキル」を学ばされている。

「一つ確認したいんですけど」

「何」

「Relayの利用者に光の道の信者がいるっていうのは——彼らはRelayを通じて実際に人を助けてるんですか」

 今度の沈黙は五秒だった。五秒は、燈子が答えを知っていて、言うかどうか迷っている時間だ。

「いるわよ。Relayのトランザクションログを見ればわかるけど、光の道のメンバーは活動的なほうのユーザーよ。支援の発信回数も受信回数も平均より多い。実際に困っている人を助けてる」

「じゃあ——」

「じゃあ善い人たちだ、って言いたいんでしょ。そうかもしれない。でもね、善い人たちが集まって組織になると、組織の論理が動き出すの。個人の善意と組織の戦略は別物よ。光の道のメンバー一人ひとりは善い人かもしれない。でも光の道という組織がRelayに接触してきた目的は、善意じゃない」

「何ですか」

「チャネル。Relayの七万人のユーザーベースに、光の道のメッセージを届けるためのチャネル。あんたのRelayは、宗教にとって理想的な布教インフラなの」

 直人は窓の外を見た。日曜日の住宅街。近所の子供が自転車で走っている。母親が洗濯物を干している。普通の朝。普通の風景。だがその普通の中に、七万人のネットワークを巡って宗教団体が接触してくる世界がある。直人はその二つの世界の境界に座っている。

「返信、書きます」

「見せてからにして。勝手に送るな」

「分かりました」

 電話を切った。直人はノートパソコンを開いて、返信の文面を打ち始めた。「肯定しながら断る」。燈子が教えてくれた通りに。

 ——素晴らしい活動ですね。ただ、現時点ではRelayは特定団体との連携を行っておりません。ご理解いただけますと幸いです。

 書き終えて、送信ボタンの上で指が止まった。画面の文字を読み返す。丁寧だ。隙がない。相手の善意を否定していない。事実で線を引いている。燈子の指示通り、完璧な断りの文章だ。

 でも、これは直人の言葉ではない。

 直人が自分の言葉で書くなら、もっと不格好になるだろう。「すみません、ちょっと難しいです」くらいしか出てこない。十七歳の語彙力では、大人の丁寧さを装えない。装えないのに装っている。それが「普通のふり」の延長線にある。

 スクリーンショットを撮って燈子に送った。既読がつくまで三分。返信は一言。「それでいい。送って」。

 送信ボタンを押した。

 昼過ぎ、隼人からLINEが来た。「今日ヒマ? 駅前の新しいラーメン屋行かない?」。直人は即座に「行く」と返した。宗教団体のDMへの返信より、このLINEへの返信のほうが何倍も速かった。

 ラーメン屋は駅前の商業ビルの一階にあった。味噌ラーメンを頼んで、隼人と向かい合って座った。隼人は大盛りのチャーシュー麺をすすりながら、柔道部の話をしていた。来週の練習試合の相手が強いらしい。直人は相槌を打ちながら、味噌スープの塩気を舌で味わっていた。

 温かい。スープも、この時間も。

 Relayを始めてから、直人の日常はこういう「温かい時間」と「冷たい判断」の間を行き来するようになった。味噌ラーメンを食べながら宗教団体のことを考えている。柔道部の話を聞きながら、七万人のネットワークを誰が狙っているかを数えている。

「なおと、食べてないじゃん」

「食べてるよ」

「顔がどっか行ってる」

 直人は箸を動かした。麺を口に入れた。噛んだ。飲み込んだ。

 宗教の返信はまだ来ていない。来たとき、相手がどう出るかを直人はまだ知らない。善意で来る相手は断っても引かない、と燈子は言っていた。断っても引かない善意は、もう善意ではなく何なのだろう。

 キーを打つ指の重さが、味噌ラーメンの味に混じっていた。