直人は考えた。
三日間。学校に行きながら、授業を受けながら、考え続けた。
十七歳。未成年。法律上、契約行為に制限がある。親権者の同意なしに結んだ契約は取り消せる。
これは使えないか。
燈子に提案した。日曜日の午前。電話。
「燈子さん。僕の未成年性を武器にできませんか」
「具体的に」
「須藤の提案に対して、もし僕が何かに署名したとしても、未成年だから取り消せます。つまり——須藤にとって、僕との契約は常に不安定だ。十八歳になるまで確定しない。それを交渉材料に——」
「ストップ」
燈子の声が硬かった。
「それは駄目よ」
「なぜですか」
「三つ理由がある。座って聞きなさい」
直人はベッドに座った。
「一つ。未成年取消権を交渉材料にすることは、自分が未成年であることを武器として提示することになるの。未成年は保護されるべき存在よ。保護を盾にして交渉するのは——相手に『保護が必要な人間だ』と認めさせることになる。須藤にとっては、あんたを法的に保護すべき対象として扱う口実になるわ」
「口実?」
「保護が必要な未成年が、七万人のネットワークを運営している。これは放置できない——と、行政に通報する正当な理由になるの。児童福祉法に基づく介入。あんたの保護を名目にRelayを差し押さえることだってできるわ」
直人は黙った。
「二つ。未成年であることを武器にした瞬間、あんたは交渉の席で大人として扱われなくなるの。今のあんたが須藤と対等に話せているのは、あんたが技術者として——Relayの設計者として対等な立場にいるから。未成年カードを切ったら、対等な交渉相手から保護すべき子どもに格下げされるわ」
「でも——事実として僕は子どもです」
「事実よ。でも事実と戦略は別。——三つ目」
燈子の声が少しだけ柔らかくなった。
「あんたが未成年であることは、あんたの弱さじゃないの。でも武器でもない。それは——ただの事実よ。事実を武器にしようとすると、事実が歪むわ」
「歪む?」
「あんたが『ぼくは子どもだから守ってもらえる』と思った瞬間、守ってもらえなかった場合に何も残らないの。保護を前提にした戦略は、保護がなくなった瞬間に崩壊する」
直人はノートを見た。書いてあった。「未成年取消権を交渉材料に」。
線を引いて消した。
「分かりました。使いません」
「よろしい」
「じゃあ——僕は何を武器にすればいいんですか」
「技術よ。あんたの武器は最初から一つしかない。Relayを設計して、運用して、七万人を動かした技術力。それは年齢に関係なく本物だわ。——大人になったから身につくものじゃない。あんたが持っているもの。それだけ使いなさい」
電話を切った。
月曜日。学校。
昼休み。屋上。隼人と弁当を食べていた。
「なおと」
「ん」
「なんか最近、大人っぽくなったよな」
「え?」
「いや、変な意味じゃなくて。考え方っていうか。前はもっと——こう、理屈っぽかったじゃん。正しいか正しくないかで全部決めるっていうか」
「今は違う?」
「今は——なんか、正しくてもやらないことがある、みたいな顔してる」
隼人の観察力。
「勉強のせいかな」
「嘘つけ」
隼人が笑った。直人も笑った。
「隼人。僕さ——」
言いかけて、やめた。
言えない。Relayのこと。市川のこと。須藤のこと。燈子のこと。何も言えない。
「なに?」
「いや。弁当の卵焼き、味変わった?」
「ああ。母さんがレシピ変えたらしい。砂糖多いよな」
「うん。甘い」
普通の会話。普通の昼休み。
でも普通の中にいる自分が、少しずつ変わっている。隼人にはそれが見えている。
放課後。帰宅。自室。
パソコンを開いた。Relayのダッシュボード。利用者数。七万一千四百二十三人。増えている。直人が何もしなくても、ネットワークは成長し続ける。
七万人の生活を支えるシステムを、十七歳が一人で設計した。それは事実だ。
その事実を——武器にする。子どもであることではなく。技術者であることを。
須藤のクライアントがどれだけ面子にこだわっても、Relayの設計を理解しているのは直人だけだ。設計者を排除してRelayを運用することは——技術的に不可能だ。
不可能ではないが——極めて困難だ。
それが直人の盾だった。
燈子からメッセージが来た。
『須藤に連絡した。「時期尚早」で保留。須藤の反応は冷静。予想通り。——ただし、須藤とは別ルートで接触がある可能性が高い。新興宗教系。心当たりがあったら教えて』
新興宗教。
直人はRelayの利用者フォーラムを見た。最近の投稿。
一件のスレッドが目に留まった。
「Relayって、救済の仕組みとしてすごいと思います。宗教じゃないけど、宗教みたいな力がある。——みなさんはどう思いますか?」
投稿日は三日前。いいねが百二十。コメントが四十三件。
直人は画面を見つめた。
救済。宗教。
次の敵が見えた気がした。