小説置き場

第12話「善意にも請求書が来る」

2,267文字 約5分

場所は駅前のファミレスだった。

 燈子が「カフェは頻度が高すぎる。場所を変えろ」と言ったので、ランダムに選んだ。ファミレスの窓際の席。ドリンクバーを二人分頼んだ。

 燈子がバッグから封筒を出した。

 白い封筒。表に何も書いていない。裏にも何も書いていない。

「開けて」

 開けた。中にA4の紙が一枚。

 見積書だった。

  ──────────────   見積書      依頼者:奥谷直人 殿   作成者:御影燈子      件名:Relay軟着陸に関する危機管理コンサルティング      1. 情報分析・脅威評価(月額)    80,000円   2. 対面指導・実務教育(1回あたり)  15,000円   3. 第三者との交渉代行(1件あたり) 200,000円   4. 緊急対応(1回あたり)      100,000円   5. 成功報酬(軟着陸完了時)    別途協議      備考:   - 上記金額は税込   - 支払い時期は軟着陸完了後の後払いとする   - 途中解約の場合、それまでの実費のみ請求   - 本見積は3ヶ月間有効   ──────────────

 直人は見積書を三回読んだ。

「……これ、本気ですか」

「本気よ。私は商売人だって言ったでしょう」

「月額八万円。対面一回一万五千円。交渉一件二十万——」

「高いと思う? そう?」

「高いかどうか以前に——僕、高校生ですよ。月八万も払えません」

「だから後払いよ。Relayの軟着陸が完了して、あんたが安全な状態になってから請求するわ。今すぐ払えとは言ってないでしょう」

「軟着陸が完了しなかったら」

「実費だけよ。交通費と通信費。——大した額じゃないわ」

 直人はドリンクバーのオレンジジュースを飲んだ。甘い。甘すぎる。

「燈子さん。この見積書の意味は——」

「意味?」

「僕と燈子さんの関係を、明確にするためでしょう」

 燈子が少しだけ目を細めた。

「賢いわね」

「善意で助けてくれてるわけじゃない。ボランティアじゃない。これは仕事。僕は依頼者で、燈子さんはコンサルタント。——対等なビジネスの関係」

「対等ではないわ。あんたは十七歳で、私は経験者。情報も判断力も圧倒的に非対称。でも——契約関係にすることで、お互いの義務と権利が明確になる」

「義務と権利」

「私はあんたの安全を守る義務がある。あんたは報酬を支払う義務がある。逆に言えば——報酬を払う限り、あんたは私にサービスを要求できる。善意に頼る関係だと、いつ打ち切られるか分からない。でも契約なら——」

「打ち切りには解約手続きが要る」

「そう。これがビジネスの安全装置。善意は気まぐれだけど、利益は計算可能」

 直人は見積書をもう一度見た。

 成功報酬。別途協議。

「成功報酬は——いくらですか」

「まだ決めてないわ。軟着陸の形によって変わるの。Relayがきれいに終われば安い。ドロドロになったら高い。——あんたが上手くやるほど、私の報酬は安くなるの。インセンティブが一致するでしょう」

「僕が上手くやれば、燈子さんも得をする」

「そういう関係が一番安定する。善意より利害の一致の方が——長持ちするの」

 善意より利害の一致。

 直人はRelayを設計するとき、「善意で人が助け合う仕組み」を作ったつもりだった。でも燈子は違う。「利害の一致で人が協力する仕組み」を作っている。

 どちらが正しいか、分からない。でも、燈子の方が現実的だ。

「見積書、受け取ります」

「契約成立ね。——じゃあ、最初の月額分はもう走ってるから。先月の情報分析費八万円。後払いで」

「先月から?」

「あんたに会った日から。DMの分析、脅迫グループの調査、尾行の指導——全部コンサルティングよ。タダでやってたと思った?」

 思ってた。

 思ってたことが恥ずかしくなった。

「……すみません。甘えてました」

「甘えてたことに気づけただけマシよ。世の中の半分の人間は、誰かの善意で生きてるつもりで、実際には誰かの利益に組み込まれていることに気づかないまま死ぬ」

 燈子はアイスティーを飲んだ。レモンを入れている。季節が変わっても冷たいものを飲む人なのかと思ったが、今日は暖房が効いている。室温に合わせただけかもしれない。

「もう一つ。見積書に書いていないこと」

「何ですか」

「私は嘘をつかないとは約束しないわ。でも——あんたに不利な嘘はつかない。私の利益とあんたの安全が一致している限りはね。この点だけは信じていいわ」

 不利な嘘はつかない。利益が一致している限り。

 条件付きの信頼。でも——無条件の信頼よりずっと信用できる。

「分かりました」

「よろしい。——じゃあ次の議題。権限の分散。Relayのマルチシグの閾値変更、進んでる?」

「進んでます。今週中に実装できます」

「急ぎなさい。市川が撤退する前に、あんたの鍵の価値を下げておく必要があるわ」

 ファミレスを出た。今日も別々に。燈子が先。五分後に直人。

 五分間、一人で座った。見積書を鞄にしまった。

 ビジネスの関係。契約。報酬。善意ではなく利害。

 不思議と安心した。善意で助けてもらうより、金で契約した方が、関係の形が見える。形が見えれば信用できる。

 帰宅。「ただいま」。妹がリビングで宿題をしていた。

「お兄ちゃん、遅くない?」

「ちょっと用事」

「最近用事多いね」

「……そうだな」

 自室に入って、日報を送った。

 『異常なし。見積書受領しました。契約、よろしくお願いします』

 返信。

 『丁寧ね。——マルチシグ、今週中。約束よ』

 約束。契約の中の約束。

 直人はパソコンを開いた。Relayのコードエディタ。マルチシグの閾値変更。

 自分一人が鍵を持っている状態を終わらせる。分散させる。自分の価値を下げる。

 価値を下げることが——安全になる。

 矛盾しているようで、正しい。燈子に教わった理屈のひとつ。