放課後のカフェ。三回目の面会。
燈子はテーブルの上にスマートフォンを置いて、画面を見せた。
「市川の名刺を調べた。名刺に書いてあった電話番号は——プリペイドSIM。名前は偽名。ただし法人格は実在していた」
「法人?」
「コンサルティング会社を名乗ってる。登記は去年。資本金百万円。従業員はゼロ。住所はバーチャルオフィス。——要するにペーパーカンパニー。法律を振りかざすために作った箱」
「じゃあ市川は——」
「本職じゃない。法律の知識はあるが、弁護士ではない。金融の知識もあるが、金融屋でもない。半端者の上位版。チンピラよりは賢いが、本物の企業弁護士には遠く及ばない」
半端者の上位版。先日のキャップとマスクの二人組が下っ端で、市川がその上。だが市川もまた、誰かの手先。
「その上に誰がいるか分かりますか」
「まだ分からない。だが——脅迫の相場から推測はできる」
「脅迫に相場があるんですか」
燈子はアイスコーヒーのストローを回した。
「ある。脅迫は商売だから。コストと利益がある。市川があんたに接触するのにかかるコスト——プリペイドSIM、ペーパーカンパニーの維持費、交通費、時間。月額で二十万から三十万。それに見合う利益がないと、続ける意味がない」
「利益って——僕から何を取ろうとしてるんですか」
「三つの可能性。一、Relayの運営権そのものを渡せという要求。二、エスクローに流れている資金の一部を上納しろという要求。三、あんたの個人情報を他の買い手に売ること自体が商品」
「三番目?」
「あんたの正体情報には値段がつく。Relayの運営者が十七歳の高校生で、名前はこうで、学校はここ——という情報を、欲しがる人間が複数いる。市川が自分で脅迫するのではなく、情報を売ることで利益を得ている可能性」
情報そのものが商品。
「じゃあ——市川の目的は脅迫じゃなくて、情報収集?」
「半々。脅迫で金が取れればそれでよし。取れなければ、『この高校生がRelayの運営者だ』という確定情報を別の買い手に売る。どっちに転んでも損しない構造。——これが二次受けの手口」
「二次受け」
「元請けは別にいる。市川は元請けから『Relayの運営者を特定しろ』という依頼を受けてる。特定できたら報酬が出る。特定の過程で本人から金が取れたら、それはボーナス」
燈子の分析は冷たかった。だが正確だった。
「元請けは——」
「それが分からない。企業か、反社か、海外の投機筋か。市川のレベルの人間に依頼を出すのは、まだ本気で動いていない。様子見の段階。本気になったら——市川ではなく、もっと別の人間が来る」
もっと別の人間。
「どんな人間ですか」
「スーツを着て、名刺を持って、会議室で契約書を出す人間。脅迫ではなく提携。暴力ではなく制度。怒鳴らないし殴らない。ただ——逃げられない」
直人は紅茶を飲んだ。砂糖一つ。前回と同じ。
「今は市川の段階。二次受けの小物。対処法は——」
「無視。接触されても反応しない。情報を与えない。『帰ります』で終わらせる。市川がいくら粘っても、あんたが反応しなければ報告するネタがない。ネタがなければ元請けに価値のある情報を売れない。売れなければ——コストだけがかかる。月二十万から三十万。二ヶ月、三ヶ月とネタなしが続けば、自然に撤退するわ」
「待つ、ということですか」
「待つ。ただし——待っている間に、あんたの側で三つやることがある」
燈子が指を立てた。
「一。Relayの中核権限を自分以外にも分散させる。あんた一人が鍵を持っている状態は危険すぎる。鍵が分散していれば、あんたを脅しても意味がなくなる」
「マルチシグの閾値を変える……」
「二。生活パターンをさらに崩す。通学路は三パターンに変えたわね。それに加えて、放課後の行動もランダムにすること。毎日同じ時間にカフェにいるのは駄目よ。——次回からは場所を毎回変える」
「はい」
「三。記録を取りなさい。市川との接触日時、内容、場所。二人組の出現日時と特徴。校門前の人物。全部記録すること。万が一法的な対処が必要になったとき、記録が武器になる」
記録する。全部。
「燈子さん。もう一つ聞いていいですか」
「何」
「僕に請求書は——いつ来るんですか」
燈子が一瞬、笑った。本当に一瞬。すぐに消えた。
「まだ来ないわ。今はまだ、あんたの案件が金になるかどうかを見極めている段階だから。——私も商売人よ。利益が見込めない案件に時間は使わない」
「じゃあ——利益が見込めるから、教えてくれてるんですね」
「そう。あんたが生き延びて、Relayが軟着陸すれば——私にとっても利益がある。具体的にいくらかは、もう少し状況が進んでから提示するわ」
商売人。徹底的に商売人。善意ではなく利益で動く。
だがその利益計算の中に「あんたが生き延びて」という条件が入っている。直人が死んだら燈子も損をする。つまり、直人を生かすことが燈子の利益。
利害の一致。直人を生かすことが燈子の利益になる。だからこそ、信用できる。
カフェを出た。今日は別々に出る。燈子が先に出て、五分後に直人が出る。同じ店から二人で出ないこと。
五分間、一人でテーブルに座った。紅茶の底に砂糖の溶け残りがある。スプーンでかき混ぜた。
脅迫には相場がある。月二十万から三十万のコスト。ネタがなければ自然に撤退する。
待つ。反応しない。記録する。権限を分散させる。
やることは分かった。問題は——「もっと別の人間が来る」という燈子の言葉。市川が撤退した後に来る、スーツと契約書の人間。
それが来たとき、待つだけでは済まなくなる。
帰宅した。「ただいま」。父親が早く帰ってきていた。妹と将棋をしている。今日は妹が負けている。
「お兄ちゃん、お父さんが急に強くなった」
「強くなったんじゃなくて、昨日は手加減してたんだよ」
「ずるい」
直人は笑った。笑えた。
自室に入って、日報を送った。
『異常なし。授業ありがとうございました』
返信。
『次回は場所を変える。指示を待って。——記録ノートは買った?』
買っていなかった。明日コンビニで買う。百均でもいい。
記録する。全部。