小説置き場

第6話「発信元」

1,982文字 約4分

翌日の昼休み、透は屋上で弁当を食べながら考えていた。

 昨夜のアパート。七人。三時間のライブ配信。使い捨てアカウント。飛羽が直接触れて鎮圧した後、壁にもたれて顔色を失っていた姿。

 あれがコストだ。

 物理法則だけで戦うということは、代償も物理的に来る。飛羽の体は、毎回少しずつ削れている。

 弁当の卵焼きを箸でつまんだ。冷たいが、味はする。帰りたい。ベッドで寝たい。昨夜から味覚が少し鈍い気がする。耳鳴りがきつかった影響かもしれない。

 放課後、ブルー・ノートに行った。

 ハルカが先にいた。カウンターにノートパソコンを三台並べている。三台。前回は一台だった。

「増えた?」

「借りてきた。APIのパターン分析、処理量がえぐくて」

 ハルカの目の下にクマがあった。寝ていないのかもしれない。昼はエンリングで働いて、夜はここでログを解析している。二重生活。透もそうだが、ハルカの方が遥かにハードだ。

 飛羽はカウンターの端にいた。今日は本を読んでいない。何もせず、コーヒーを前に座っている。顔色は昨夜より良い。

「結果が出た」ハルカが言った。画面を回転させて、透と飛羽に見せた。

 グラフだった。縦軸が「視聴者数」、横軸が「時間」。波形がいくつも重なっている。

「昨夜のライブ配信と、過去二ヶ月間にエンリングで発生した不審なバズパターンを比較した。APIの呼び出しタイミング、プッシュ通知の発火条件、レコメンドアルゴリズムへの介入痕跡。結論から言うと」

 ハルカは画面を指でなぞった。

「偶発じゃない。誰かが意図的にやってる」

「意図的に?」

「エンリングのレコメンドエンジンに、外部からパラメータを注入してる。本来のアルゴリズムだと拡散しないはずのコンテンツが、特定のエリア、特定の時間帯に集中的にプッシュされてる。しかも毎回、パラメータの注入方法が微妙に変わってる。学習してる。前回の結果を見て、次回の注入を調整してる」

 飛羽が口を開いた。

「中の人間か」

「たぶん。エンリングのレコメンドエンジンのパラメータにアクセスできるのは、社内でも限られた人間だけ。外部からのハッキングじゃない。内部犯行」

 透は話を整理しようとした。

「つまり、エンリングの中に、わざと情報災害を起こしている人間がいるってことですか」

「起こしている、というか、テストしてる感じ。昨夜のアパートの件も、規模としては小さい。七人。街全体じゃない。特定のエリアで、小さな実験を繰り返して、データを集めてる」

「何のために」

 ハルカと飛羽が同時に黙った。

 レコードが切り替わった。店主がB面にひっくり返す。サックスの音がゆっくり立ち上がる。

「それはまだ分からない」ハルカが言った。「でも、パターンの間隔が狭まってる。最初は二週間に一回だったのが、先月から一週間に一回。昨夜で三日ぶり。加速してる」

「加速してるなら、次はいつ」

「明日か明後日。遅くても今週中」

 飛羽がコーヒーカップを置いた。

「場所は絞れるか」

「完全には無理。でも、過去のパターンから、槻ノ森市内。駅前から旧市街の範囲。前回と重なるエリアが高い。同じ場所でデータを取りたいはずだから」

 透の耳の奥で、微かにざら、と鳴った。ブルー・ノートの中では鳴らないはずの音。予兆ではなく、記憶だ。昨夜の耳鳴りの残響が、まだ体に残っている。

「透」飛羽が言った。「明日から、学校の帰りに駅前を歩いてくれ。遠回りでいい。耳鳴りがしたら報告。場所と時間を」

「分かりました」

「ただし、昨夜みたいに現場に近づくのは禁止。耳鳴りがしたら、場所を報告して離れろ。鎮圧は俺がやる」

「でも、飛羽さんの体が」

「俺の体は俺が管理する」

 飛羽の声は硬かった。それ以上言うなという声だ。

 ハルカが画面を閉じた。

「もう一つ。パラメータを注入してる人間のアカウント権限を特定できたら、そいつを直接止められる。エンリングの内部システムを使って、権限を剥奪する。私の昼の仕事の範囲で、ぎりぎりできるかもしれない」

「バレたら」

「クビになる」ハルカはあっさり言った。「まあ、派遣だし。次の仕事探せばいいし」

 透はハルカの顔を見た。軽い口調だが、目は笑っていなかった。

 飛羽は体を削って戦う。ハルカは職を賭けて戦う。透は——耳鳴りに耐えるだけ。

「俺にもっとできることはないですか」

「ある」飛羽が言った。「普通に学校に行って、普通に帰ってくること。カナリアが日常を失ったら、何が日常で何が異常か分からなくなる。お前の耳が正しく鳴るためには、お前が普通でいることが条件だ」

 普通でいること。

 それが、透にできる最大の仕事だった。

 ブルー・ノートを出た。夜の路地。猫が塀の上にいた。三毛。透を見て、ゆっくり尻尾を揺らした。

 耳鳴りはない。

 明日から、少しだけ遠回りして帰ろう。駅前を通って。耳を澄ませて。

 普通の高校生のふりをしながら、街の音を聴く。

 それが——炭鉱のカナリアの仕事だ。