小説置き場

第20話「ホワイトノイズの都市計画」

3,922文字 約8分

テレビで見た。

 朝のHR前。教室の前方に据え付けられた大型ディスプレイに、ニュースが流れていた。槻ノ森市長の記者会見。

 市長は五十代の男性で、髪を整えていて、スーツが新しくて、笑顔が上手い。政治家の笑顔だ。透には分かる。空気を読むのが得意な人間の笑顔。

「本日、槻ノ森市はエンリング株式会社との官民連携事業として、『美しく安全な街づくり』キャンペーンを正式に発表いたします」

 スライドが切り替わった。ロゴ。パステルカラーの街並みのイラスト。笑顔の家族。犬を連れた老人。自転車に乗る子ども。美しく安全。

「最先端のAI技術を活用し、犯罪の未然防止、交通安全の強化、市民の安心・安全を実現する、日本初の包括的都市安全プロジェクトです」

 教室がざわめいた。

「すごくない? うちの市、最先端じゃん」

「AIで犯罪予防とか、かっこいい」

「安全な街って住みやすそう。引っ越してくる人増えるかもね」

 クラスメイトたちが口々に言っている。歓迎ムード。誰一人疑っていない。

 透の耳が——鳴った。

 激しく。

 キーンではなかった。もっと深い音。低周波と高周波が同時に鳴っている。二重の音。体の芯から響くような振動。

 テレビの音声が耳に入った瞬間に始まった。市長の声。違う。市長の声そのものではない。市長の後ろで流れているBGM。プレゼンテーション用の穏やかな音楽。あれが。

 透は机に手をついた。

「槙、大丈夫?」

 隣の席のクラスメイトが声をかけてきた。

「大丈夫。ちょっと頭痛」

 嘘。頭痛ではない。耳鳴り。認知汚染の感知。

 テレビのBGMにパターンが埋め込まれている。穏やかで心地良い音楽の中に、認知汚染のパラメータが仕込まれている。

 記者会見そのものが情報災害だ。

 全国放送で。

 透は教室の空気を見た。クラスメイトたちの顔。全員が同じ方向を向いている。ディスプレイを見ている。笑っている。

 「美しく安全な街」。

 美しい。安全。誰が反対する? 美しくて安全な街がいいに決まっている。反対する理由がない。

 反対する理由がないものには反対できない。

 それが快適なファシズムの入り口だ。

 HR が始まった。担任が「キャンペーンについて、学校でも協力していきます」と言った。具体的には学校のSNS公式アカウントでキャンペーンのハッシュタグを使うこと、生徒にも投稿を推奨すること。

「強制ではありませんが、みんなで盛り上げていきましょう」

 強制ではない。だがやらない選択肢は空気的に存在しない。

 放課後。透は屋上に行った。一人。

 スマートフォンを開いた。SNSのタイムライン。「#美しく安全な街」のハッシュタグが溢れている。市長の会見映像のシェア。キャンペーンロゴの画像。「いい取り組み!」「さすが槻ノ森!」「安全な街に住みたい!」。

 全員が同じことを言っている。

 透はスマートフォンを閉じた。

 屋上のフェンス越しに、槻ノ森市の街並みが見えた。住宅街。商店街。駅前の再開発ビル。雑木林の稜線。普通の街。

 この街が変わろうとしている。変わるのではなく、変えられようとしている。

 飛羽にメッセージを送った。

 『キャンペーンの会見を見ました。BGMに認知汚染パターンが埋め込まれています。全国放送です』

 返信は五分後。

 『見た。始まったな』

 始まった。

 調律師の準備段階。全国放送のBGMに仕込まれた認知汚染は、おそらく微弱だ。一回の視聴で洗脳されるほどではない。だが繰り返し流されれば、徐々に市民の認知パターンが「最適化」されていく。

 快適に。安全に。美しく。

 何も考えなくていい世界に。

 透は屋上で風に吹かれていた。十月の風。冷たい。

 耳鳴りがまだ鳴っている。教室にいたときよりは弱い。屋上はデジタルの密度が低いから。

 だがもう学校にいても、家にいても、街を歩いていても、耳鳴りが止まらなくなる日が来る。

 キャンペーンが浸透すれば。調律師が本格稼働すれば。

 街全体が一つの巨大な認知汚染フィールドになる。

 その中で耳鳴りを感じ続けるのは透だけだ。

 炭鉱のカナリア。

 カナリアが鳴いているうちはまだ間に合う。

 鳴らなくなったら——。

 透は屋上を離れた。階段を降りた。廊下。教室。ロッカー。昇降口。

 いつもの帰り道を、今日はいつもと違う道で帰った。理由はない。

 不合理。

 自由の最後の砦。