小説置き場

第11話「グレープ味のパケットログ」

1,983文字 約4分

ハルカはいつも棒付きキャンディを舐めながらコードを打つ。

 ブルー・ノートのカウンター。ノートパソコン三台。画面は黒地に緑の文字。ターミナルが二つ、ブラウザが一つ。右手でキーボードを叩き、左手でキャンディの棒を持っている。口から棒が斜めに突き出ている。

「これ、集中のルーティンなの」

「聞いてない」

「聞いてないけど教える。タバコの代わり。前はタバコだったけど、データセンターの中で吸えないから棒付きキャンディに変えた。味はグレープ」

 グレープ。紫色の棒付きキャンディ。コンビニで四本入り百二十円。ハルカの仕事道具。

 透はハルカの隣に座って、自分のスマートフォンを開いた。先週の日常観測データ。商店街の帰り道で記録した耳鳴りの発生位置と時刻。

「これ、先週分。水曜に一回だけ鳴った。商店街中央、クリーニング屋の前」

 ハルカが透のスマートフォンを横目で見た。棒付きキャンディを噛んだ。パキ、と音がした。

「タイミング合ってる。水曜の四時十二分だよね。エンリング側のログでも、四時十一分五十七秒にプッシュ通知の集中配信が発生してる。お前の耳、十五秒のラグで反応してる」

「十五秒」

「人間のセンサーとしては十分速い。機械の検知よりは遅いけど、機械はアルゴリズムの異常しか検知できない。お前の耳は人間への影響を検知してる。質が違う」

 ハルカはノートパソコンの画面を透に向けた。

「先週の炎上レビュー事件のアカウント群を追跡した結果。見て」

 画面にグラフが表示されていた。横軸が時間、縦軸がアカウントの活動量。百二十のアカウントの活動パターンが重ね描きされている。

「百二十アカウント。全部、先週の炎上レビューに参加してた。で、この百二十のアカウントの行動パターンを比較すると」

 ハルカが画面をスクロールした。

「全部同じ。ログイン時刻、投稿間隔、使う絵文字の種類、リアクションの速度。人間が百二十人集まって偶然同じ行動をすることはあり得ない。これはボットか、同一人物が操作する複数アカウントか、あるいは」

「アルゴリズムが誘導した結果」

「正解。百二十人は全員、生身の人間。ボットじゃない。でも行動パターンがここまで揃うのは、エンリングのレコメンドエンジンが全員に同じタイミングで同じコンテンツをプッシュした結果。AIが人間を同期させた」

 透は画面を見つめた。百二十本の線が、ほぼ同じ波形を描いている。人間一人一人は別の場所で、別の生活をしている。だがオンラインでの行動が——コピーのように揃っている。

「怖いな」

「怖い。でも、これが証拠になる。エンリングのレコメンドエンジンが意図的にパラメータを操作されている証拠。自然なアルゴリズムの動作では、こんな同期は起きない」

「証拠があれば止められるの?」

 ハルカが棒付きキャンディの棒を口から出した。噛み切った先端を見つめた。

「止められる。理論上は。エンリングの内部システムから、操作されたパラメータを特定して、権限を剥奪すれば犯人のアクセスを遮断できる。問題は」

「バレたらクビ」

「バレなくてもクビかも。派遣社員が正社員のアクセスログを漁ってるのがバレた時点で、理由を問わず契約解除。でもまあ」

 ハルカは新しいキャンディの包装を剥がした。今度はオレンジ。

「私がエンリングに入ったのは、こういうことをするためだから。昼間は普通に派遣社員のふりをして、夜にログを持ち出す。二重生活。お前と同じだよ、カナリアくん」

「俺は二重生活してるつもりはないけど」

「してるよ。昼は普通の高校生、夜は情報災害のセンサー。嘘をついてる自覚がないだけ。大丈夫、慣れる。人間は何にでも慣れる」

 慣れたくない、と透は思った。でも言わなかった。

 飛羽が奥のテーブルからカウンターに来た。コーヒーを持っている。ハルカの画面を覗いた。

「同期パターンの証拠は揃ったか」

「揃った。次は犯人のアカウント権限の特定。あと二、三日」

「急げ。頻度が加速してる。次の大きいのが来る前に、犯人の手を塞ぎたい」

「分かってる。急いでる」

 ハルカはオレンジのキャンディを咥えて、キーボードに向き直った。指が画面の光を弾く。

 透はコーヒーを飲んだ。ミルクと砂糖。甘い。

 三人がカウンターに並んでいる。飛羽がコーヒーを飲んでいる。ハルカがコードを打っている。透がマッピングデータを見返している。

 レコードが回っている。ジャズ。トランペットの音がスピーカーから柔らかく広がっている。

 ここには耳鳴りがない。

 ここには同期がない。

 三人がバラバラのことをしている。バラバラのタイミングで。バラバラの音を出して。

 それが健全ということなのかもしれない。

「ハルカさん」

「ん?」

「そのキャンディ、一本もらっていいですか」

 ハルカが袋を投げてよこした。グレープ。口に入れた。甘くて、少しだけ酸っぱい。

 棒付きキャンディの味がする間は——普通の十七歳でいられる気がした。