小説置き場
槻ノ森、犬も吠えず 戸守 礼司

第9話「映らない死角」

2,063文字 約5分

車上荒らしは三件だった。

 駅前のコインパーキング。一週間で三台。全て窓を割らず、ドアの鍵を開けて車内を物色している。カーナビ、ドライブレコーダー、小銭入れ。被害額は合計で二十万円弱。

 依頼人はパーキングの管理会社だった。警察に届け出は出したが、進展がないという。

「防犯カメラはあるんですが、犯行時間帯だけ映ってないんです」

「カメラの死角を狙っている?」

「というより、カメラが向いている方向を正確に知っているみたいで」

 鶫はコインパーキングを歩いた。カメラは三台。それぞれの撮影範囲を確認する。重なりのない死角が二箇所ある。犯行はいずれもこの二箇所で行われている。

 カメラの設置角度と死角の位置を知っている人間。設置業者だ。

「このカメラを設置した業者は」

「三年前に契約した業者です。個人事業主の、えーと」

 名前を聞いた。所在を調べた。槻ノ森市内の一人暮らしの男性。元防犯設備会社の社員で、独立して個人事業主になったが、一年前に仕事が激減した。

 鶫は男のアパートを訪ねた。居留守を使ったが、三回目で出てきた。四十代。痩せている。目の下にクマ。

 三十分の会話で、自供した。ギャンブルの借金。返済のために、自分が設置したカメラの死角を利用した。泣いていた。

 警察に通報する前に、鶫は槻ノ森警察署に連絡した。署長に直接。

 宇津木謙介。五十三歳。警視庁から槻ノ森署に異動して五年。鶫の元同僚ではないが、捜査一課時代に面識がある。

 署長室。鶫は向かいの椅子に座った。宇津木は大柄な男だ。肩幅が広く、声が低い。だが威圧感ではなく、安定感がある。この場所に長くいる人間の落ち着き。

「神崎。久しぶりだな。探偵を始めたと聞いたが」

「はい。車上荒らしの件で来ました」

 事情を説明した。宇津木はメモを取りながら聞いた。犯人の情報を渡し、対応を依頼した。

「ありがたい。うちも人手が足りなくてな」

 鶫が立ち上がろうとしたとき、宇津木が言った。

「神崎。ちょっと座ってくれ」

 座った。

「お前が追っている件、車上荒らしの方じゃなく。住民が消える件。聞いてるぞ」

 鶫は表情を変えなかった。

「律くんのタイムスに載った話とは別の、お前の個人的な調査だ。欠番の番地。犬が吠えなくなった件。雑木林のこと」

「署長がご存知とは」

「この街の署長を五年やってる。何が動いているかくらいは分かる。忠告だ」

 宇津木は机の上で手を組んだ。

「ここの事件は、都内と違う」

「どう違うんですか」

「都内の事件は、説明がつく。動機があって、手段があって、結果がある。因果が繋がる。だが、ここの事件は、ときどき、因果が繋がらない。原因のない結果が出る。結果のない原因がある」

「それは、」

「警察の仕事は因果を辿ることだ。因果がないものは、手の出しようがない。だから言っておく。無理に掘るな」

 鶫は宇津木の目を見た。

「掘るなとは、どういう意味ですか」

「文字通りだ。犬が吠えなくなったことに原因がないなら、原因を探しても見つからない。見つからないものを探し続けると、」

「消える?」

 宇津木は答えなかった。三秒の沈黙。

「お前は優秀な刑事だった。捜査一課で十二年。論理と物証で事件を解いてきた。その能力は、ここでも役に立つ。車上荒らしのような事件には。だが、」

「だが?」

「全部の事件が、お前の方法で解ける事件とは限らない。それだけだ」

 鶫は署長室を出た。

 廊下を歩きながら考えた。宇津木は何を知っている。五年間、この街の署長をしてきた男。因果が繋がらない事件がある、と言った。無理に掘るな、と言った。

 警告か。保護か。あるいは、自分もまた、掘ることを諦めた人間の忠告か。

 署を出ると、商店街が見えた。夕方。パン屋が閉店準備をしている。花屋のバケツが片づけられている。

 律が商店街のベンチに座っていた。

「どうでした?」

「車上荒らしは解決した。犯人は元設置業者」

「そっちじゃなくて。署長に何か言われたでしょう」

「……なぜ分かる」

「表情が変わってますよ。神崎さん、署長室に入る前と後で、眉間の皺が一本増えてる」

 律の観察眼。この男もまた、見る人間だ。

「『無理に掘るな』と言われた」

「じいちゃんと同じだ。『追ってはならない』」

「だが署長は、追うなとは言わなかった。掘るなと言った。意味が違う」

「どう違うんですか」

「掘るな、は地面の話だ。下を掘るなということ。横に広げるなら、言わなかった」

 律が首を傾げた。

「つまり、雑木林の奥に入るなということで、街の中の調査は止めていない?」

「そう解釈した」

「都合のいい解釈ですね」

「探偵は都合のいい解釈で生きている」

 律が笑った。鶫は笑わなかった。

 事務所に戻った。コーヒーを淹れた。八十五度。三分半。

 「ここの事件は都内と違う」。

 違う。鶫も感じている。犬が吠えない。足が止まる。光るものを見た店主。因果が繋がらない。

 だが、因果が繋がらないことを認めることは、自分の信条を手放すことだ。

 まだ手放さない。

 横に広げる。街の中で、人間の事情で説明がつくものを一つずつ解いていく。その先に、何があるか。

 コーヒーを飲んだ。苦い。今日も規定の量。