小説置き場
槻ノ森、犬も吠えず 戸守 礼司

第25話「一致しない名簿」

1,891文字 約4分

実玖が持ってきたのは、A4のリングファイルだった。表紙にマスキングテープで「槻ノ森怪談記録 2020-2025」と書いてある。文字は丸い。几帳面だが可愛らしい字だ。

 実玖。葛城実玖。律のアルバイト先の地域情報誌でフリーライターをしている大学院生。民俗学専攻。槻ノ森市の怪談や都市伝説を収集している。EP008の和菓子屋の件で初めて会い、EP014の古文書の真贋判定で仕事を一緒にした。

「神崎さん。怪談のリスト、整理してきました」

「怪談のリスト」

「槻ノ森市内で聞き取りした怪談の語り手の一覧です。五年分で三十二人。語った内容の概要と、語り手の住所、聞き取り日時を記録しています」

 鶫はファイルを受け取った。開いた。

 表形式のリスト。番号、語り手の仮名(プライバシー保護のため)、住所(町名まで)、聞き取り日、怪談の種類、概要。

 怪談の種類は「音系」「視覚系」「失踪系」「動物系」「その他」に分類されていた。

「分類はどういう基準で」

「内容から。音系は『変な音が聞こえた』。視覚系は『何かを見た』。失踪系は『人が消えた』。動物系は『犬や猫の行動がおかしい』。きれいに分かれるわけじゃないですけど、傾向として」

 鶫は失踪者リストを取り出した。十二人のリスト。実玖のファイルと並べた。

「照合してくれ。語り手と失踪者が一致するかどうか」

 実玖がリストを見た。指で一行ずつ追っていく。真剣な目。学者の目だ。

 五分後。

「直接の一致はありません。怪談を語った三十二人の中に、失踪した十二人は含まれていない」

「ないか」

「ただし」

 実玖が指を止めた。ファイルの余白に書かれた小さな文字を指さした。

「語り手の聞き取りをしたとき、近隣住民の情報も記録しています。語り手の隣人、同じアパートの住人、そういう人たち。その中に」

「失踪者がいるのか」

「三人。語り手の近隣住民として記録した人名のうち、三人が失踪者リストと一致しています」

 鶫はファイルを受け取った。該当箇所を確認した。

 語り手A(七十代女性・西御影台)。「夜に雑木林の方角から声が聞こえる」と証言。近隣住民として記録されていたのが失踪者リストの三番。

 語り手B(四十代男性・西御影台)。「早朝に散歩していたら雑木林の柵の中に人影が見えた気がした」と証言。近隣住民として記録されていたのが失踪者リストの七番。小田切健一の隣人だった。

 語り手C(六十代女性・南御影台)。「庭に知らない花が咲いていた。見たことのない種類」と証言。近隣住民として記録されていたのが失踪者リストの十番。

「直接の一致ではない。語り手自身は消えていない。消えているのは語り手の近くにいた人間だ」

「そうです。語った本人ではなく、その周辺にいた人が」

 鶫は手帳に書いた。

 「怪談語り手三十二名と失踪者十二名。直接一致ゼロ。だが語り手の近隣住民に失踪者三名。語り手ではなく近隣住民が消えている」

 考えた。

 怪談を語った人間は消えていない。その近くにいた人間が消えている。

 もし「見た者が消える」というパターンがあるとすれば、語り手は「語っただけ」で見ていない。見たのは近隣住民かもしれない。語り手に話を聞かせた側の人間。

 だがこれは推測だ。語り手が「見たこと」を話し、近隣住民が「見た人」だったかどうかを確認する方法はない。近隣住民はもう消えている。

「実玖。この一致は偶然か」

 実玖が首を傾げた。

「統計的に言えば、三十二人の近隣住民のプールから三人が十二人のリストに一致する確率は、槻ノ森市の人口規模を考えると、やや高い。ただし有意とまでは言えません」

「つまり偶然の一致かもしれない」

「かもしれません。でも」

「でも?」

「信じるかどうかより、あったかどうかが大事だと思うんです。この一致があったことは事実です。事実を記録しておくのは、学問でも探偵でも同じじゃないですか」

 鶫は実玖を見た。大学院生の横顔。真面目で、まっすぐで、怪談を集めることに何の屈託もない。

「記録しておく」

 手帳に追記した。

 「伝承と名簿の照合結果。直接一致ゼロ。間接一致三件。『見た者が消える』構造の輪郭。ただし検証不能」

 検証不能。また書いた。この手帳にこの言葉を書くのは何度目だろう。

 実玖が帰った後、鶫はコーヒーを淹れた。一人分。八十五度。三分半。

 コーヒーを飲みながら、窓の外を見た。事務所の窓からは、西雑木林は見えない。ビルが遮っている。

 だがこの街にいる限り、雑木林は常にそこにある。見えなくても。

 十二人が消えた。犬が吠えない。怪談の語り手の隣人が消えている。律の祖父が四十年前に黙った。

 全てが雑木林を指している。

 鶫は手帳を閉じた。

 余白が、まだ広がっている。