小説置き場
槻ノ森、犬も吠えず 戸守 礼司

第21話「失踪者リスト」

1,257文字 約3分

鶫が市役所の住民課に足を運んだのは、十一月の終わりの、雲が低く垂れ込めた午後だった。

 転出届は公開情報ではない。だが閲覧請求は法的に可能だ。探偵業届出証明書と本人確認書類を提出し、正当な調査目的を記した申請書を窓口に渡した。窓口の職員は書類を三回読み直してから、端末を操作した。

 過去五年間の転出記録。槻ノ森市から他市区町村への転出を、月別・地区別に抽出した。

 総数は八百三十二件。五年間で八百三十二人が槻ノ森市を離れている。人口規模から見て標準的な数字だ。

 鶫は八百三十二件を事務所に持ち帰り、自分の依頼台帳と照合した。

 コーヒーを淹れた。豆は二十グラム。湯温は八十五度。抽出時間は三分半。平常心。

 照合の方法は単純だった。依頼台帳に載っている人名を、転出記録の中から検索する。

 三件。EP001の佐藤キヨ。EP008の和菓子屋の遺族。EP010のジョガーの妻。この三人は既に確認済みだ。

 次に、依頼台帳に載っていない転出者の中から、特定の条件に合うものを絞った。

 条件一。転出届の提出日と、転出先への実際の移転日が同日であること。通常の引っ越しは届出と移転に数日の差がある。同日は急いでいる。

 条件二。転出先住所が実在しないか、番地レベルで欠番であること。

 条件三。転出後の連絡先が不通であること。

 三つの条件を全て満たす転出は、十二件あった。

 十二人。

 鶫はコーヒーを飲んだ。苦い。正常な苦さ。

 十二人の住所を地図にプロットした。槻ノ森市の地図。市役所のコピーに、赤いペンで丸を打った。

 丸が集中していた。

 西雑木林から五百メートル以内。十二人全員が、その範囲内に住所を持っていた。

 鶫はペンを置いた。

 五百メートル。西雑木林は市の西端にある。周囲は住宅地と、少しの農地。EP004-006で調べた「犬が吠えないエリア」と重なる。

 偶然と呼ぶには密度が高すぎた。

 律に電話した。

「十二人だ」

「何の?」

「過去五年で、この街を『静かに』出た人間。全員が転出届を提出し、全員の転出先が存在しない住所で、全員が西雑木林の近くに住んでいた」

 律が三秒黙った。

「全員が。五百メートル以内に」

「そうだ」

「神崎さん。それ、偶然じゃないですよね」

「偶然ではない」

 鶫は初めて、その言葉を口にした。偶然ではない。今まで「検証不能」と手帳に書いてきた。推測は証拠ではない。だが十二人という数字は、推測ではなく傾向だ。統計的に有意かどうかは別として、探偵の勘としては十分だ。

「リスト、見せてもらえますか」

「見せる。だが記事にするな。まだ」

「分かってますよ。俺だって情報屋の端くれです。生のデータを記事にしたら信用残高がゼロになる」

 信用残高。律がいつ覚えた言葉か分からないが、鶫はその表現が嫌いではなかった。

 電話を切った。

 地図を見つめた。十二の赤い丸。西雑木林を中心とした五百メートルの円に、きれいに収まっている。

 この街で何が起きているのか。

 鶫はコーヒーの残りを飲み干した。冷めていた。冷めたコーヒーは不味い。いつも不味い。

 だが冷めるまで地図を見ていた自分に、鶫は気づかなかった。