小説置き場
槻ノ森、犬も吠えず 戸守 礼司

第20話「台帳の空白」

4,753文字 約10分

依頼台帳を開いた。

 革表紙のノート。事務所を開いてからの全件を手書きで記録している。デジタルのバックアップもあるが、手書きが先だ。手で書いた文字には、書いたときの感覚が残る。

 一件目から順に読み返した。

 EP001。猫探し。依頼人:佐藤キヨ。解決済み。連絡不通。転出。

 EP002。引っ越し案件。依頼人:管理会社。解決済み。依頼人は継続。

 EP003。行方不明の三浦。依頼人:三浦の知人。未解決。依頼人とは連絡可能。

 EP004-006。犬の沈黙エリア。自主調査。依頼人なし。

 EP007。質屋の工具横領。依頼人:金物店店主。解決済み。

 EP008。看板猫の遺言。依頼人:和菓子屋の遺族。解決済み。

 EP009。コインパーキング車上荒らし。依頼人:駐車場オーナー。解決済み。

 EP010。消えたジョガー。依頼人:ジョガーの妻。解決済み。

 EP011。嘘の手紙。依頼人:沼田文子。解決済み。

 EP012。万引き。依頼人:ドラッグストア店長。解決済み。

 EP013。律の脅迫状。依頼人:綿貫律。解決済み。

 EP014。古文書の真贋。依頼人:大学教授。解決済み。

 EP015。コインランドリー。依頼人:コインランドリー店主。解決済み。

 EP016。元同僚の姉。依頼人:小野寺。解決済み。

 EP017。NPOの帳簿。依頼人:藤井。解決済み。

 EP018。引っ越し業者の名簿。依頼人:支店長。解決済み。

 EP019。アパートの残り香。依頼人:管理会社。未解決。

 十九件。解決済みが十六件。未解決が二件。自主調査が一件。

 鶫は赤いペンを取り出した。

 解決済みの十六件の依頼人に、一件ずつ連絡を入れた。電話。

 結果。

 連絡がついた:十一件。  連絡不通:三件。  電話番号変更:二件。

 連絡不通の三件。

 EP001。佐藤キヨ。猫探し。転出済み。行き先不明。

 EP008。和菓子屋の遺族。転出済み。行き先不明。

 EP010。消えたジョガーの妻。電話番号が使われていない。

 三件。三件の依頼人が、消えた。

 鶫はペンを置いた。

 三件の共通点を探した。

 佐藤キヨ。七十八歳。猫探し。西御影台在住だった。

 和菓子屋の遺族。六十代の息子夫婦。商店街の老舗。店主の死後に閉店した。

 消えたジョガーの妻。四十代。ジョガー本人は一度消えて戻ったが、その後、妻のほうが連絡不通に。

 共通点。

 三件とも、事件解決後、数ヶ月以内に街を出ている。

 解決後に。

 鶫は椅子の背もたれに体を預けた。

 事件は解決した。猫は見つかった。遺言の真相は明かされた。ジョガーは帰ってきた。全て解決した。

 解決した後に、依頼人が消えた。

 因果関係があるのか。解決したから消えたのか。あるいは、解決とは無関係に、この街から人が消えるパターンがあるだけなのか。

 ドアが鳴った。律だった。

 律は何も言わずに入ってきて、向かいの椅子に座った。コーヒーを自分で淹れた。鶫のコーヒーメーカーを勝手に使う唯一の人間。

「台帳を見返してたんですね」

「なぜ分かる」

「顔に書いてあります。台帳を見るときのあんたの顔は、いつもより三歳老ける」

「用件は」

「用件っていうか、俺も気づいてたんですよ。言おうか迷ってた」

「何にだ」

「依頼人が消えてること」

 鶫は律を見た。律はコーヒーを飲んでいた。いつもの軽い顔をしているが、目が笑っていなかった。

「佐藤さん。和菓子屋の息子さん。ジョガーの奥さん。三人とも、あんたの依頼人だ」

「お前の情報網で把握していたのか」

「情報誌の取材先でもあったから。佐藤さんは猫の記事で取材させてもらった。和菓子屋は閉店の記事を書いた。二人とも、取材後に消えた」

「取材後に」

「そう。あんたの調査後でもあり、俺の取材後でもある。俺たちが関わった人間が消えてる」

 沈黙が落ちた。事務所の時計の秒針が聞こえた。

「律。仮説はあるか」

「仮説っていうか、感覚ですけど」

「聞く」

「この街は、見た人間が消えるんじゃないですかね」

「見た? 何を」

「分からない。でも、何かを見た人間、何かに気づいた人間が、消えている。佐藤さんは猫を探しているとき、何かを見たかもしれない。ジョガーは雑木林の近くで何かを見たかもしれない。和菓子屋の店主は『変なものを見た』と家族に漏らしていた」

「見た者が消える」

「消えるっていうか、静かに出ていく。出ていかされるのか、出ていきたくなるのか、それは分からない。でも」

 律がコーヒーカップを置いた。

「俺たちも、この街で色々なものを見てきてますよね。そのうち消えるんですかね、俺たちも」

 冗談のつもりだったのかもしれない。だが律の声に、冗談の軽さはなかった。

 鶫は台帳を閉じた。

「消えない。俺は消えない。見たものを全部書く。台帳に。手帳に。記録する。消えたら、記録が残る」

「探偵的な解決策ですね」

「探偵だからな」

 律が少しだけ笑った。今度は、少しだけ、本物の笑い方だった。

「じゃあ俺は記事に書きます。あんたが台帳に書いて、俺が記事に書く。二重の記録。消されるにしても、簡単には消えないようにしましょう」

 律が去った後、鶫は事務所に一人残った。

 台帳を開き直した。最後のページに、一行だけ書いた。

 「解決済み案件の依頼人が消失。3件確認。因果関係は不明。この台帳自体が証拠になるかもしれない」

 窓の外。槻ノ森の夕暮れ。静かな街。犬も吠えない街。

 鶫は窓を閉めた。

 明日も依頼は来るだろう。来た依頼を受けて、解決する。解決した後に、依頼人が消えるかもしれない。

 それでも、受ける。

 探偵は依頼を受ける。解決する。記録する。

 台帳の空白は、埋めるためにある。