依頼は引っ越し業者の支店長から来た。
「うちの顧客名簿が漏れてるみたいなんです。顧客から『知らない業者からDMが来た』って苦情が三件。内部犯行だと思います」
引っ越し業者。玄庫ロジスティクスの地域提携業者、「やまと引越センター」。槻ノ森市とその周辺を営業エリアにしている中小企業。
名簿漏洩。こういう案件は地味だが、鶫には向いている。元刑事のスキルセットが活きる。
三日かけて調べた。
漏洩経路の特定。顧客データベースにアクセスできる人間は七人。支店長、事務員三人、ドライバー三人。
DMが届いた三件の顧客に共通する条件を洗い出した。三件とも過去六ヶ月以内に引っ越しをした顧客。三件ともデータベース上で「完了」ステータスの案件。
データベースのアクセスログを確認した。「完了」案件のデータを閲覧した端末と時刻を特定。
夜間のアクセスが一件。ドライバーの端末。名前は横田。二十四歳。アルバイト。
横田のSNSを調べた。律に協力を頼んだ。律のほうが、こういうデジタルの調査は速い。
「見つけましたよ。横田くん、匿名アカウントで名簿売ってます。データ系の闇フォーラムに投稿してる。一件五百円。安いなあ」
「安いから足がつく。本気の情報屋は値段をつけない」
「プロの犯罪者じゃないってことですね。素人のアルバイト」
支店長に報告した。証拠を渡した。横田は解雇。刑事告発するかどうかは支店長の判断。
「助かりました。でも、漏れたデータの範囲がどこまでか分からなくて」
「名簿のコピーを見せてもらえるか。どの顧客のデータが漏れたか確認したい」
支店長が名簿のプリントアウトを渡した。過去一年分の顧客リスト。
鶫は名簿を事務所に持ち帰って、一件ずつ確認した。
名前。旧住所。新住所。引っ越し日。普通のデータだ。
百二十三件。一件ずつ。新住所を地図で確認していった。
百十九件目。
新住所が、存在しない番地だった。
市名、区名、町名までは実在する。だが番地が、ない。
百二十一件目。
同じパターン。実在する市区町村。存在しない番地。
鶫はペンを置いた。
百二十三件中、二件が「存在しない住所」への引っ越し。
引っ越し業者のドライバーは、この住所に荷物を届けたのか。届けられたのか。
支店長に電話した。
「百十九件目と百二十一件目の案件。実際に荷物を届けたか確認してほしい」
「少々お待ちください。百十九件目、担当ドライバーは……あ、退職してます。三ヶ月前に。百二十一件目は、これも退職者ですね。半年前」
「二件とも退職したドライバーが担当」
「偶然でしょう。うちはドライバーの入れ替わりが激しいので」
偶然。
鶫は電話を切った。
偶然ではない、と断定する根拠もない。ドライバーの退職率が高いのは中小の引っ越し業者では普通のことだ。
だが、存在しない住所に荷物を届けたドライバーが、二人とも退職している。
荷物を届けた先で、何を見たのか。
律に電話した。
「引っ越し業者の名簿にも出てきた。存在しない住所」
「何件ですか」
「二件」
「合計で、俺が調べた分と合わせると、十二件になりますね。この街で過去三年に、存在しない住所に転出した人間が十二人」
「多いか少ないか」
「多いですよ。この規模の街で。しかも全員、前触れなく消えている。荷造りの痕跡がない。身辺整理をした形跡がない」
「引っ越しじゃない」
「引っ越しじゃないですね。でも転出届は出ている。引っ越し業者に依頼もしている。形式上は引っ越し」
形式上は引っ越し。実態は、何だ。
鶫は手帳を閉じた。
窓の外。商店街が見える。人通りは少ない。夕方の買い物客が数人。静かな街。
この街から出ていく人間が、いる。形式的には引っ越し。だが荷造りもせず、行き先も実在しない。
出ていくのか。出されているのか。
それとも、。
鶫は思考を止めた。推測は証拠ではない。元刑事の癖だ。
だが、名前のつかない後味が、また舌の上にある。