小説置き場
槻ノ森、犬も吠えず 戸守 礼司

第18話「載らない住所」

3,385文字 約7分

依頼は引っ越し業者の支店長から来た。

「うちの顧客名簿が漏れてるみたいなんです。顧客から『知らない業者からDMが来た』って苦情が三件。内部犯行だと思います」

 引っ越し業者。玄庫ロジスティクスの地域提携業者、「やまと引越センター」。槻ノ森市とその周辺を営業エリアにしている中小企業。

 名簿漏洩。こういう案件は地味だが、鶫には向いている。元刑事のスキルセットが活きる。

 三日かけて調べた。

 漏洩経路の特定。顧客データベースにアクセスできる人間は七人。支店長、事務員三人、ドライバー三人。

 DMが届いた三件の顧客に共通する条件を洗い出した。三件とも過去六ヶ月以内に引っ越しをした顧客。三件ともデータベース上で「完了」ステータスの案件。

 データベースのアクセスログを確認した。「完了」案件のデータを閲覧した端末と時刻を特定。

 夜間のアクセスが一件。ドライバーの端末。名前は横田。二十四歳。アルバイト。

 横田のSNSを調べた。律に協力を頼んだ。律のほうが、こういうデジタルの調査は速い。

「見つけましたよ。横田くん、匿名アカウントで名簿売ってます。データ系の闇フォーラムに投稿してる。一件五百円。安いなあ」

「安いから足がつく。本気の情報屋は値段をつけない」

「プロの犯罪者じゃないってことですね。素人のアルバイト」

 支店長に報告した。証拠を渡した。横田は解雇。刑事告発するかどうかは支店長の判断。

「助かりました。でも、漏れたデータの範囲がどこまでか分からなくて」

「名簿のコピーを見せてもらえるか。どの顧客のデータが漏れたか確認したい」

 支店長が名簿のプリントアウトを渡した。過去一年分の顧客リスト。

 鶫は名簿を事務所に持ち帰って、一件ずつ確認した。

 名前。旧住所。新住所。引っ越し日。普通のデータだ。

 百二十三件。一件ずつ。新住所を地図で確認していった。

 百十九件目。

 新住所が、存在しない番地だった。

 市名、区名、町名までは実在する。だが番地が、ない。

 百二十一件目。

 同じパターン。実在する市区町村。存在しない番地。

 鶫はペンを置いた。

 百二十三件中、二件が「存在しない住所」への引っ越し。

 引っ越し業者のドライバーは、この住所に荷物を届けたのか。届けられたのか。

 支店長に電話した。

「百十九件目と百二十一件目の案件。実際に荷物を届けたか確認してほしい」

「少々お待ちください。百十九件目、担当ドライバーは……あ、退職してます。三ヶ月前に。百二十一件目は、これも退職者ですね。半年前」

「二件とも退職したドライバーが担当」

「偶然でしょう。うちはドライバーの入れ替わりが激しいので」

 偶然。

 鶫は電話を切った。

 偶然ではない、と断定する根拠もない。ドライバーの退職率が高いのは中小の引っ越し業者では普通のことだ。

 だが、存在しない住所に荷物を届けたドライバーが、二人とも退職している。

 荷物を届けた先で、何を見たのか。

 律に電話した。

「引っ越し業者の名簿にも出てきた。存在しない住所」

「何件ですか」

「二件」

「合計で、俺が調べた分と合わせると、十二件になりますね。この街で過去三年に、存在しない住所に転出した人間が十二人」

「多いか少ないか」

「多いですよ。この規模の街で。しかも全員、前触れなく消えている。荷造りの痕跡がない。身辺整理をした形跡がない」

「引っ越しじゃない」

「引っ越しじゃないですね。でも転出届は出ている。引っ越し業者に依頼もしている。形式上は引っ越し」

 形式上は引っ越し。実態は、何だ。

 鶫は手帳を閉じた。

 窓の外。商店街が見える。人通りは少ない。夕方の買い物客が数人。静かな街。

 この街から出ていく人間が、いる。形式的には引っ越し。だが荷造りもせず、行き先も実在しない。

 出ていくのか。出されているのか。

 それとも、。

 鶫は思考を止めた。推測は証拠ではない。元刑事の癖だ。

 だが、名前のつかない後味が、また舌の上にある。