小説置き場
槻ノ森、犬も吠えず 戸守 礼司

第15話「映らない人影」

1,923文字 約4分

コインランドリーの店主が事務所を訪ねてきた。

「防犯カメラに変なものが映ってるんです」

 六十代の男性。痩せている。髪が薄い。声が小さい、この街の人間は全員声が小さいのか。

 映像を見せてもらった。店主のスマートフォン。防犯カメラのアプリ。

 深夜二時。コインランドリーの店内。照明は落ちている。洗濯機が並んでいる。誰もいない。閉店後。

 画面の右端に、人影が動いた。

 一瞬。二秒ほど。暗い中を、人間のシルエットが横切る。

「不法侵入じゃないですかね。鍵はかけてるんですが」

「何回映った」

「三回。先週の水曜、金曜、今週の月曜。全部深夜二時前後。同じような動き」

 鶫は事務所のパソコンで映像を拡大した。

 人影は不鮮明だ。暗い。だが、輪郭は人間のもの。上半身と下半身。歩いている。左から右へ。

 問題は位置だった。

 人影が映っている場所は、洗濯機の列の向こう側。壁際。だがその壁は、外壁だ。壁の向こうは隣の建物。人間がいられる空間はない。

「壁際で映っている。壁の中に人がいるわけがない。隣の建物は何だ」

「空き家です。二年前くらいから。前は税理士事務所だったんですが」

 鶫は現場に行った。コインランドリー。商店街の外れ。隣に二階建ての空き家。

 コインランドリーの中に入った。洗濯機の列。奥の壁。壁は、窓がある。小さな窓。外を向いている。

 隣の空き家との間に、一メートルほどの隙間がある。その隙間を通じて、空き家の壁が見える。空き家の壁にも窓がある。

 条件が揃った。

 夜。コインランドリーの照明が落ちている。隣の空き家の前を、通行人が通る。空き家の窓ガラスに通行人が反射する。その反射が、コインランドリーの窓を通じてカメラに映る。

 二重の反射。通行人→空き家の窓→隙間→コインランドリーの窓→カメラ。

 角度と照明の条件が揃えば、通行人が店内にいるように映る。壁際に。

「解決した。隣の空き家の窓に通行人が反射している。深夜二時に前の道を歩く人がいて、その姿が二つの窓を経由してカメラに映り込んでいる」

 店主は安堵した。

「なんだ、そういうことですか。よかった。不法侵入かと思って、」

「カメラの角度を少し変えれば映らなくなる。あるいは隣の空き家の窓にカーテンをかけてもらえば」

「そうします。ありがとうございます」

 解決。二重反射による錯覚。因果関係は明確。物理的に説明がつく。

 報酬を受け取って、店を出ようとした。

 店主が言った。

「あの、探偵さん。あの人影なんですけど」

「はい」

「前にこのランドリーを使ってた常連さんに似てるんですよね。半年前に引っ越した人。名前は、思い出せないんですけど。顔はぼんやり覚えてて」

「半年前に引っ越した」

「ええ。突然来なくなったんです。月に二回くらい来てた人で。三十代の男の人。荷物少なかったから、一人暮らしだったんでしょうね」

「引っ越し先は知ってますか」

「知りません。でも、反射だと分かってよかったです。あの人が深夜にうろうろしてたら怖いし」

 鶫は店を出た。

 反射だ。二重反射。通行人の映り込み。物理的に説明がつく。

 だが、店主が言った「常連に似ている」が頭から離れなかった。

 半年前に突然来なくなった常連。引っ越した。引っ越し先不明。

 この街で何度も聞くパターンだ。

 事務所に戻った。コーヒーを淹れた。八十五度。三分半。

 映像をもう一度見た。パソコンの画面。深夜二時のコインランドリー。人影が横切る。二秒。

 反射だ。間違いない。角度と条件が一致している。

 だが、。

 人影の動きが気になった。反射なら、通行人の動きと同期しているはずだ。通行人が左から右に歩けば、反射も左から右に動く。

 映像を三回分、比較した。

 三回とも、人影は左から右に動いている。同じ速度で。同じ歩幅で。

 通行人なら、毎回同じ歩幅で同じ速度で歩くことはない。深夜二時の通行人が、三回とも全く同じペースで歩くか?

 反射だ。説明はつく。

 だが、何かが引っかかる。

 律に電話した。

「コインランドリーの件、解決した。二重反射」

「記事にしていいですか」

「好きにしろ。律、一つ確認。半年前にこのランドリーの常連だった三十代男性、心当たりはあるか」

 律が五秒黙った。

「……います。EP003で調べた転出リストの中に、ランドリーの近くに住んでいた三十代男性が一人。転出先住所は、」

「実在しない住所か」

「茨城県つくば市。番地が、存在しない」

 鶫は手帳を開いた。

 「コインランドリー。反射で説明可能。だが、映像の人影と失踪者の関連は不確定。検証不能」

 検証不能。この言葉を書く回数が増えている。

 コーヒーを飲んだ。苦い。今日は苦さの中に、何かが混じっている。味ではない。後味。飲み終わった後に残る、名前のつかない感覚。

 説明はついた。だが、何かが合っていない。

 いつもの余白だ。