小説置き場
槻ノ森、犬も吠えず 戸守 礼司

第11話「届いていない脅迫状」

1,887文字 約4分

依頼人は七十代の女性だった。名前は沼田文子。夫と二人暮らし。

「息子がね、心配してるんです。私に脅迫状が届いてるって」

 鶫はメモを取った。

「脅迫状の中身は」

「見せてもらってないんです。息子が『お母さんに見せたくない』って。でも、怖いことが書いてあるって。お金を要求されてるって」

「息子さんが先に見つけた?」

「ええ。ポストに入っていたのを、息子が取ったんです。三通。全部息子が持ってます」

 鶫は息子に会った。沼田健一。四十五歳。東京で不動産関係の仕事をしているが、月に一度帰省する。体格がいい。声が大きい。

「母が心配で。警察にも相談したんですが、手紙だけでは動けないって」

 脅迫状のコピーを見せてもらった。手書き。丁寧な字。内容は「五百万円を指定口座に振り込まなければ、家族に危害を加える」。

 鶫は脅迫状を三十秒見つめた。

 違和感が三つ。

 一つ。手紙の紙質がいい。コピー用紙ではなく、便箋。ブランドは、LIFE社のノーブルノート。文房具に詳しい人間でなければ使わない。脅迫犯が高級便箋を使うか?

 二つ。切手。八十四円の普通切手。購入場所を消印から辿れるが、消印が薄い。これは郵便局の窓口で出したのではなく、ポスト投函。地元のポスト。

 三つ。字が丁寧すぎる。脅迫文を書く人間は、筆跡を隠そうとする。利き手と逆の手で書くか、印刷する。この字は、堂々としている。隠す意思がない。

「息子さん。筆跡鑑定に出す許可をいただけますか」

「もちろん。犯人を特定したいです」

 鶫は脅迫状のコピーと、息子が署名した委任状を持ち帰った。

 筆跡鑑定は専門家に依頼する予算がない。だが、鶫には捜査一課時代に身につけた目がある。

 沼田家を再訪し、文子の許可を得て、家の中にある手書きの書類を数点確認させてもらった。年賀状。町内会の回覧板の署名欄。電話帳の余白のメモ。

 息子の字は、脅迫状の字と、一致していた。

 特徴的な「は」の右払いの角度。「五」の書き出しの位置。「万」の最終画の止め方。

 自作自演だ。

 息子は母親に脅迫状が届いていると偽り、「お金を用意しなければ危険だ」と母親に思い込ませようとしている。目的は、遺産の前倒し引き出し。

 鶫は文子に報告した。息子の前で。

「脅迫状は、息子さんの自筆です」

 部屋が静まった。

 文子は、驚かなかった。

 少なくとも、鶫が予想したほどには驚かなかった。

「……そうですか」

「お気づきでしたか」

「気づいてたわけじゃないけど。でも、健一が手紙を見せてくれないのが、変だとは思ってました」

 息子の顔が歪んだ。

「お母さん、」

「いいの。いいのよ。お金が必要なら言ってくれればよかったのに。こんなことしなくても」

 文子は悲しそうだったが、怒ってはいなかった。息子への失望よりも、息子が追い詰められていたことへの心配が先に来ている。

 息子は泣いた。借金があった。不動産の投資で失敗した。五百万を工面できなければ、。

 鶫は解決報告書を書いた。脅迫状の筆跡鑑定結果。息子の自白。家族間の問題として処理。

 報酬を受け取った。

 沼田家を出た。外は曇り空。風がない。静かだ。

 門のところで、文子が追いかけてきた。

「探偵さん」

「はい」

「この街で、静かに暮らしたかっただけなんです。主人と二人で。大きなことは望んでいない。ただ静かに」

 鶫は頷いた。

「息子のことは、家族で話し合います。でも、ここには残ります。この街が好きだから」

 文子は頭を下げて、家に戻っていった。

 鶫は商店街を歩いた。

 「静かに暮らしたかった」。

 この街の住民が繰り返す言葉だ。篠原も「おとなしくて助かってる」と言った。宇津木署長も「ここの事件は都内と違う」と言った。

 静かに暮らしたい。静かであることが善い。騒がないことが正しい。

 この街は、「静か」を望む人間が集まる場所なのか。それとも、「静か」にされる場所なのか。

 律に電話した。

「嘘の手紙事件、解決した。息子の自作自演」

「記事にしていいですか。匿名で」

「好きにしろ。律、一つ聞いていいか」

「どうぞ」

「この街に来る人間は、なぜ『静かに暮らしたい』と言うんだ」

 律は三秒黙った。

「じいちゃんが言ってたことを思い出した。『この街には声が届かない場所がある。だから声を出さない人間が集まる』」

「声を出さない人間が集まる」

「望んで静かにしてるのか、静かでいるしかないのか。それは、俺にも分からない」

 鶫は電話を切った。

 事務所に戻った。コーヒーを淹れた。八十五度。三分半。

 事件は解決した。嘘の脅迫状。息子の借金。家族の問題。因果関係は明確。説明がつく。

 でも、「静かに暮らしたかった」という言葉が、因果の外に残った。

 いつもの余白だ。

 コーヒーを飲んだ。苦い。