A3の紙を広げた。二枚目。
一枚目は断片の地図。各人の証言を時系列に配置したもの。穴だらけだが、形は見えている。
二枚目は、矛盾の地図。
赤いペンで書いた。各人の証言と、客観的な事実との食い違い。
最初の矛盾。颯真。
颯真は「サッカー部の片づけで校舎にいた。八時前に練習が中止になって、用具室の整理をして、九時頃に帰った」と証言した。
だが、サッカー部の部活記録を確認した。新聞部の取材で以前に見せてもらった部活動報告ファイル。十月の記録。
事故当日の記録。
「雨天のため午前練習のみ。午後は中止」。
午前練習。午後は中止。
颯真は「八時前に中止になった」と言った。夜の八時。だが記録では、午後の練習そのものが中止になっている。
午前中に練習して、午後は中止。つまり、夜間に練習はしていない。
颯真は夜、用具室にいなかった。用具室で片づけをする理由がなかった。
湊はペンを置いた。
嘘だ。颯真は嘘をついていた。
八時半から九時の空白時間ではない。もっと長い。午後の時間帯すべてが空白だ。颯真は事故の夜、学校に、いたのか、いなかったのか。
「俺は関係ない」。あの笑顔の下に、もっと大きな沈黙がある。
二つ目の矛盾。千紘。
千紘は「保健室にいた。停電後に外に出て、旧特別棟方向で足音を聞いた」と証言した。
保健室の鍵。千紘は保健委員だから鍵を持っていた。停電で自動施錠された後も出入りできた。ここまでは整合する。
だが。保健室の利用記録。養護教諭が毎日つけている利用者リスト。
事故当日の夕方以降、千紘の名前はない。
利用記録に名前がない。千紘は保健室にいなかった。あるいは、養護教諭が帰った後に、一人で保健室に入った。鍵を持っているから。
一人で。なぜ。
千紘は「保健委員だから」と言った。だが保健委員が夜間に一人で保健室にいる理由は、通常はない。
千紘は保健室にいたのではなく、保健室を経由して、旧特別棟に向かっていた可能性。最初から。足音を聞く前から。
三つ目の矛盾。奈央。
奈央は「事故の夜、自宅にいた」と言っている。翌日に放送室で美空のデータを消した。
だが、奈央は放送部員だ。放送室の鍵を持っている。事故の夜、放送室にいた可能性は?
放送室と旧特別棟は渡り廊下でつながっている。
放送室にいれば、旧特別棟の物音は聞こえる。渡り廊下を通じて。
「何か聞こえた気がしたけど、雨だと思った」。奈央のあの言葉は、自宅で聞いたのではなく、放送室で聞いた可能性。
湊はA3の紙を見つめた。
全員が「いなかった」と言っている。
颯真は用具室にいた。千紘は保健室にいた。奈央は自宅にいた。澪は自宅にいた。桐野は本棟にいた。
でも、全員のアリバイに穴がある。小さな穴。証言と記録の、微細な食い違い。
全員が、あの夜、旧特別棟の近くにいた可能性がある。
全員が、近くにいた。
近くにいて、何もしなかった。
いや。何もしなかったのではない。全員が何かをしようとした。千紘は階段を上がろうとした。颯真は走り出そうとした。奈央は何か聞こえた気がした。澪は近くにいた。桐野は巡回を終えてから向かった。
全員が動こうとして、止まった。
止まった理由は全員違う。暗かったから。怖かったから。雨だと思ったから。指示に従ったから。
でも結果は同じだ。十分間。美空は一人で倒れていた。
湊はペンを握ったまま、動けなくなった。
犯人はいない。
犯人はいない。だが、全員が加害者だ。少しずつ。それぞれの分量で。
そして、湊自身も。
一年前のあの夜。湊は家にいた。新聞部の締め切りに追われて、部室に残る気力がなくて、早く帰った。旧特別棟の前を通りさえしなかった。
通りかかっていれば。何かに気づいていれば。
湊もまた、近くにいなかった側の人間だ。近くにいなかった自分が、近くにいた人間たちの沈黙を暴こうとしている。
暴く権利があるのか。
琴葉の言葉が蘇った。「暴くことと聞くことは違う」。
聞くこと。暴くのではなく。
でも、聞いた結果、全員が傷つく事実が見えてしまった。見えてしまったものを、どうすればいい。
A3の紙を折りたたんだ。取材ノートに挟んだ。まだ誰にも見せられない。
窓の外は暗くなっていた。十一月の夕方。日が短い。
旧特別棟が窓の向こうに見えた。灯りのない建物。一年前の夜と同じ暗さで、そこに立っている。
来年の春に取り壊される。
それまでに、この地図を完成させなければならない。完成させて、どうするのか。
分からない。
分からないが、このまま閉じることはできない。
美空の声が頭の中で鳴っている。「聞こえてるかな」。
聞こえている。まだ。