十月が終わりに近づいていた。
新聞部室の机の上に、一枚の紙を広げた。A3のコピー用紙。美術部から一枚もらった。横長に使う。左から右に時間軸。上から下に人物の名前。
分刻みの行動表を作ろうとしていた。
事故の夜。一年前の十月の雨の夜。
左端に「21:00」と書いた。右端に「23:00」。二時間分の時間軸。
上から順に名前を書いた。
有馬美空。 白崎千紘。 深澤颯真。 早瀬澪。 倉橋奈央。 桐野先生。
六人。事故の夜に関わっていた、あるいは関わっていた可能性のある六人。
手元にある情報を書き込んでいった。
美空。旧特別棟に21:30頃から入っていたと推定。二階の放送機材室で最終録音の準備。21:50頃、停電。22:00前後、転落。
千紘。保健室にいた。停電後、鍵を持って外に出た。旧特別棟方向で足音を聞き、向かった。途中で引き返した。時刻不明、おそらく22:00-22:10の間。
颯真。サッカー部の片づけ(20:00-20:30頃)。その後の行動は「用具室にいた」と主張。確認者なし。21:00-22:00の空白。旧特別棟への移動を否定。
澪。自宅にいたはずだが、夜眠れず散歩していた可能性(EP013の寝言の件)。旧特別棟の近くにいた可能性。時刻不明。
奈央。事故夜には旧特別棟にいなかった(自己申告)。翌日、放送室で美空のPCから音声データを消去。
桐野。本棟の職員室にいた。21:50頃の停電後、教頭の指示で本棟巡回。旧特別棟に到着したのは22:12頃。
書き込んだ。
紙の上に断片が散らばっている。確定しているのは美空の転落時刻と、桐野の到着時刻と、救急車の到着時刻だけ。あとは全て証言に基づく推定。
停電。21:50。
転落。22:00前後。
通報。22:24。
救急車到着。22:32。
公式発見。22:40。
転落から通報まで、二十四分。
この二十四分に何があったのか。
千紘は足音を聞いて旧特別棟に向かったが引き返した。颯真は用具室にいたと主張している。澪はどこかで意識を落としかけていた。桐野は本棟を巡回していた。
全員が、旧特別棟の「近く」にいなかったと言っている。
だが。
湊はペンを置いて、紙を見つめた。
全員が「近くにいなかった」。全員が「関係ない」。全員が別々のアリバイを持っている。
しかし、
千紘は足音を聞いた。旧特別棟の方向から。つまり、誰かが旧特別棟の近くにいた。
澪は寝言で「行かせないで」と漏らした。誰かの恐怖を拾った。近くに、恐怖を感じている人間がいた。
颯真の空白時間。20:30から21:00。用具室に一人。確認者なし。グラウンドから旧特別棟まで徒歩五分。
紙の上に、線を引いた。赤いペン。
颯真の空白時間を、旧特別棟の方向に伸ばす線。仮定の線。
千紘が聞いた足音の時刻を推定する線。停電後。22:00前後。
澪が意識を落とした場所を推定する円。旧特別棟の近く。
線と線が、重なる場所がある。
旧特別棟の入り口付近。22:00前後。
全員がいなかったと言っている場所に、全員がいた可能性がある。
湊は紙を見つめた。
穴だらけの地図。断片が散らばっているだけで、全体像は見えない。でも、断片の配置が示しているものがある。
誰も美空を見殺しにしようとしたわけではない。全員が、別々の理由で、あの場所に近づき、あるいは近づこうとして、止まった。引き返した。足を踏み外した。意識を失った。
十分間。美空が倒れてから誰かが見つけるまでの十分間。
それは一人の大きな判断ミスではなく、五つの小さな躊躇の合計だったのかもしれない。
窓の外から、下校のチャイムが聞こえた。
紙を折りたたんで、取材ノートに挟んだ。
まだ完成しない。穴が多すぎる。
でも、形が見え始めている。断片の地図。沈黙の輪郭。
机の上に、美空の企画ノートのコピーが置いてある。「最後に話したい人たち」のページ。
怒っている人。黙り続けている人。正しかったと思い込んでいる人。痛みを肩代わりしている人。
美空はこの四人に会おうとしていた。あの夜。旧特別棟で。
四人のうち、何人が来たのだろう。
何人が来て、何人が来なかったのだろう。
湊は新聞部室を出た。廊下の蛍光灯が白い光を落としている。一年前のあの夜とは違う、明るい廊下。
明るい廊下を歩きながら、暗い夜のことを考えている。
旧特別棟の方向を見た。渡り廊下の先。古い建物。窓が暗い。
あの建物が取り壊される前に、地図を完成させなければならない。
取り壊されたら、何も残らない。