小説置き場
放課後の残響 逢坂みなも

第15話「人気者の放課後」

2,108文字 約5分

深澤颯真はいつもクラスの中心にいた。

 背が高くて、声が大きくて、笑顔が自然で、友達が多い。サッカー部のレギュラー。文化祭実行委員。クラスの打ち上げを仕切る側の人間。湊とは対極にいる。

 湊は観察する側の人間で、颯真は観察される側の人間だ。

 放課後。サッカー部の練習が終わった時間を見計らって、グラウンドに行った。

 部員たちが帰っていく。颯真だけが残っていた。グラウンドの端、ゴールポストの脇にしゃがんでいた。スパイクの紐を結び直しているように見えたが、紐はもう結ばれていた。

 何もしていなかった。ただ、グラウンドの端にいた。

「深澤」

 颯真が顔を上げた。一瞬だけ、何かが剥がれ落ちそうな顔をした。目の奥の、曇ったような色。だが次の瞬間、いつもの笑顔が戻った。

「おっ、柊。珍しいな、グラウンドに来るの」

「ちょっと話がしたくて」

「何? 新聞部の取材?」

「取材じゃない。個人的な話」

 颯真が立ち上がった。身長は百七十五くらい。湊より五センチ高い。制服のシャツの袖をまくっていて、日焼けした腕が見えている。サッカー選手の体。毎日走っている体。

「個人的な話って何だよ。告白?」

「違う」

「だよな。柊がそういうことするわけないか」

 軽い。颯真の会話はいつも軽い。滑るように次の話題に移る。間を作らない。沈黙を作らない。

「美空のことで話がある」

 颯真の肩が、一瞬だけ動いた。微細な動き。筋肉が緊張する反応。だがすぐに緩んだ。

「有馬さん? 一年前の? 何で今頃」

「声の地図のことを調べてる。美空が何を録ろうとしていたか」

「声の地図って、放送部の企画だろ。俺、放送部じゃないし。関係ないよ」

「直接は関係ない。でも、事故の夜のことを聞きたい」

 颯真がグラウンドの端を見た。何を見ているのか分からない。フェンスの向こうの住宅街。夕日が屋根の向こうに沈みかけている。

「事故の夜。俺は何も知らないよ」

「あの夜、深澤はどこにいた?」

「サッカー部の片づけ。練習後の片づけが長引いて、校舎の中にいた。用具室の整理」

「何時頃まで?」

「九時くらいまで。そのあと帰った」

 九時。事故が起きたのは十時前後。一時間の空白。

「九時に帰って、そのあとは」

「家にいた。母さんに聞いてもいいよ。夕飯食って、風呂入って寝た」

 笑顔で答える。穴のない回答。整理された言葉。

 だが、整理されすぎている。一年前の夜の行動を、分刻みでスラスラ答えられる人間は、その夜のことを何度も反芻している。

「深澤。あの夜、雨が降ってたの覚えてるか」

「降ってた。けっこう強く」

「サッカー部の練習は」

「やったよ。小雨のうちは」

「でも途中で強くなって」

「中止になった。それで片づけに入った」

「何時に中止になった?」

 颯真が一瞬、答えに詰まった。

「……八時前くらいだったかな。よく覚えてない」

 よく覚えていない。事故の夜の他の時刻は覚えているのに、練習中止の時刻だけ覚えていない。

 雨が強くなって練習が中止になったのが八時前なら、片づけに一時間はかからない。用具室の整理は三十分で終わる。

 つまり、八時半にはフリーだった。事故まで一時間半。

「深澤。八時半から九時の間」

「用具室にいた」

「一人で?」

「一人で。確認する人間はいない。信じてくれよ、柊。俺は何も知らないんだよ」

 颯真の声が変わった。明るさが消えた。笑顔はまだ貼りついているが、声が追いついていない。

 湊はグラウンドの端を見た。颯真が見ていた方向。フェンスの向こう。旧特別棟の屋根が見える。グラウンドから旧特別棟までは、歩いて五分。

「深澤。最後に一つだけ」

「何」

「あの夜、旧特別棟の方に行ったか」

 颯真は笑った。

「行ってない。行く理由がない」

 笑っている。でもその笑顔の裏で、何かが揺れていた。揺れている、としか言いようがない。感情の名前がつけられない振動。

 颯真がグラウンドの端を見ている。

 湊には見えないが、颯真の視界には、何かが映っているのかもしれない。グラウンドの端から走り出す自分の姿。走り出そうとして、止まった自分の姿。選ばなかった行動の残像。

 あの夜、颯真は何かを選ばなかった。

 走り出そうとして、止まった。旧特別棟の方に向かおうとして、向かわなかった。

 その残像が、一年経った今も、グラウンドの端に残っている。

 颯真には見えている。湊には見えない。

「……ありがとう。話聞いてくれて」

「礼を言うのは俺の方だ。深澤。また話せるか」

「いつでもいいよ。俺は隠すことなんてないから」

 笑顔。完璧な笑顔。

 完璧すぎる。

 湊はグラウンドを離れた。振り返ると、颯真がまだゴールポストの脇にいた。夕日の中で。一人で。

 人気者の放課後は、グラウンドの端で終わる。

 取材ノートに書いた。

 「颯真。事故夜の空白:20:30-21:00。用具室に一人(確認者なし)。旧特別棟への移動は否定。だが、グラウンドから旧特別棟は徒歩五分。時間的に可能」

 そして、もう一行。

 「颯真は何かを見ている。グラウンドの端で。俺には見えないものを」

 ペンを閉じた。

 「黙り続けている人」。

 美空がノートに書いた四つの属性の、二番目。颯真は、黙り続けている。明るく振る舞って、笑顔を貼りつけて、完璧な受け答えをして。

 その笑顔の下で、一年間、黙り続けている。