小説置き場
放課後の残響 逢坂みなも

第11話「さいごの声のリスト」

1,806文字 約4分

美空のノートを、もう一度読み返した。

 旧特別棟の機材室ではなく、自分の部屋で。前回訪れたときに、ノートの内容を取材ノートに全て書き写しておいた。元のノートは美空のものだから、持ち出さない。でも中身は頭と手元にある。

 企画書のページ。IC録音のリスト。素材①から⑧のMDリスト。

 その数ページ先に、別のリストがあった。

 タイトルは「最後に話したい人たち」。

 名前は書かれていない。代わりに、属性が四つ並んでいた。

 一、「怒っている人」  二、「黙り続けている人」  三、「正しかったと思い込んでいる人」  四、「痛みを肩代わりしている人」

 それだけ。日付もない。いつ書かれたのか分からない。だが使われているペンの色が、IC録音リストと同じ、青い水性ペンだった。同時期に書かれた可能性が高い。

 湊はノートの写しをじっと見つめた。

 「最後に話したい人たち」。最後。何の最後だろう。声の地図の企画の最後なのか。それとも。

 考えすぎか。

 四つの属性。名前ではなく属性で書いている。美空は、この四人を「誰か」としてではなく「どんな人か」として記録していた。個人を特定する必要がなかった、あるいは、特定したくなかった。

 一、「怒っている人」。

 澪だ。文化祭の前、美術室で「全部に怒ってる」と言った。自分も言えないことに怒っている。

 二、「黙り続けている人」。

 誰だろう。奈央は音声を消した人間だが「黙り続けている」とは少し違う。奈央は聞かれれば答える。ただし全部は答えない。

 「黙り続けている人」は、聞かれても答えない人間だ。

 颯真? 深澤颯真にはまだ接触していない。サッカー部。文化祭ではクラスの中心にいた。明るく振る舞っていた。だが、事故のことについて、颯真が何かを語ったという話を、湊は聞いたことがない。

 三、「正しかったと思い込んでいる人」。

 桐野直人。教師。事故後の対応を仕切った教師だ。校長の指示で「前を向いて進みましょう」と全校集会で言った人。事故報告書をまとめた人。正しい手続きを踏んだと思っている人。

 四、「痛みを肩代わりしている人」。

 千紘? 白崎千紘。保健委員。文化祭で子どもの手に触れた瞬間に顔色が変わった。「触れた相手の隠された痛みが流れ込む」異変。他人の痛みを、自分の体で受け止めてしまう人。

 四つの属性が、四人の関係者に対応している。

 美空はこの四人と、声の地図のために「最後に話したかった」。好きな音を聞くためではない。もっと深いもの、怒り、沈黙、思い込み、痛みを録りたかった。

 声の地図は、最初は「この街で好きな音」を集める穏やかな企画だった。商店街の八百屋、公園の犬の散歩、図書館の司書。素材①から④まではそうだった。

 だが素材⑤あたりから、質が変わった。「好きな音なんてない」「黙ることが同意になる」。美空は「好きな音」から「言えなかった声」へ、企画の焦点を移していた。

 そして「最後に話したい人たち」。怒り、沈黙、思い込み、痛み。

 美空は、声の地図を通じて、この学校の、この事故に関わった人間たちの、言えなかった声を集めようとしていた。

 それは善意だ。美空は、声を残したかった。消えてしまう前に。閉校する学校から失われてしまう前に。

 だが同時に、危うい。

 奈央が言った。「善意で人の境界線を越える」。美空は怒っている人の怒りを聞きたかった。黙っている人の沈黙を破りたかった。正しいと思い込んでいる人の思い込みを揺さぶりたかった。痛みを肩代わりしている人の痛みを、録音したかった。

 同意なしで。

 IC-09。未同意の録音。イニシャルすら書けなかった相手。あれは、この四人のうちの誰かだ。

 湊は取材ノートを閉じた。

 窓の外は暗くなっていた。十月の夜。虫の声が少なくなっている。秋が深まっている。

 「最後に話したい人たち」。

 湊は自分に問いかけた。自分もまた、同じことをしようとしているのではないか。怒っている澪に話を聞き、黙っている颯真に接触し、正しいと思い込んでいる桐野に質問し、痛みを背負う千紘に触れようとしている。

 美空と同じだ。

 でも美空はICレコーダーを持っていた。録音していた。証拠として残そうとしていた。

 湊には録音機はない。取材ノートがあるだけだ。ペンと紙。

 美空は善意で境界線を越えて、「ごめんなさい」と言った。

 湊は、境界線を越えるとき、何と言えばいいのだろう。

 明日、颯真に会いに行く。「黙り続けている人」に。

 聞くのは得意だ。でも聞いた後に何が起きるかは、分からない。