小説置き場
放課後の残響 逢坂みなも

第10話「余白のなかの名前」

1,711文字 約4分

文化祭の翌日は片づけだった。

 教室の装飾を外す。ダンボールを潰す。ゴミ袋を運ぶ。普通の作業。祭りの後の虚脱感が校舎に漂っている。

 午前中で片づけが終わり、午後は自由時間になった。

 湊は旧特別棟に向かった。四度目。

 機材室。棚の前にしゃがむ。MDは八枚、全て確認済み。素材①から⑧。だが、ICレコーダー本体は奈央が処分した。MDに取り込めなかった録音もあった可能性がある。

 MDに入っていたのは古い録音だ。美空は新しい録音にはICレコーダーを使っていた。つまり、最新の、おそらく最も重要な録音は、ICレコーダーの中にあったはず。

 それが消えた。

 湊は棚を端から端まで見た。カセットテープの束、MDの列、埃をかぶったミキサー。マイクスタンド。放送原稿の束。

 原稿の束に手を伸ばした。紙が黄ばんでいるものもあれば、比較的新しいものもある。時系列に並んでいない。誰かが整理を試みて、途中でやめた形跡がある。

 原稿の間から、ノートが一冊出てきた。

 B5のリングノート。表紙に何も書かれていない。開いた。

 美空の字だった。

 丸みのある字。ペンの筆圧が強い。書く速度が速い人間の字だ。

 最初のページ。「声の地図 企画ノート」。

 日付、取材対象、録音媒体(MD/IC)、録音時間、使用の可否、備考。表形式で整理されている。素材①から⑧はMDで、番号が振ってある。素材⑧の隣に「IC-01」「IC-02」という別の番号列がある。ICレコーダーで録った録音のリスト。

 IC-01からIC-12まで。十二本。

 MDの八本と合わせて、声の地図の素材は合計二十本。

 湊の手が震えた。

 IC録音のリストには、取材対象の名前やイニシャルが書いてある。「N.K」「S.T」「H.M」。イニシャルだけだ。「使用の可否」の欄に、大半は「OK(同意済)」と書いてある。だが三本だけ、「未同意」と書かれている。

 IC-09。未同意。  IC-11。未同意。  IC-12。未同意。

 三本の未同意録音。美空が同意なしで録ってしまった声。

 備考欄。IC-09の備考は空白。IC-11の備考には「要確認」。IC-12の備考には、

 「真鍋さん 東京 音声アーカイブ」

 湊は読み返した。三回。

 真鍋。このノートに書かれた名前で、イニシャルではなく苗字がフルで書かれている唯一の人物。東京。音声アーカイブ。

 IC-12は美空の最後の録音だろうか。そこに「真鍋さん 東京 音声アーカイブ」と書いてある。これは取材対象ではなく、送り先だ。美空はこの録音を、東京にいる真鍋という人物のところに送ろうとしていた。

 音声アーカイブ。

 湊は美空が作っていた「声の地図」の最終的な目的地を初めて知った。完成した作品を、東京の音声アーカイブ施設に届ける。それが美空の計画だった。

 そして真鍋は、その施設の関係者か、あるいは美空を導いてくれる人間だ。

 ノートを最後のページまで見た。最後から二ページ目に、走り書きがあった。

 「琴葉に相談。IC-09のこと。」

 琴葉。

 生徒会副会長の黒沢琴葉。美空の親友。IC-09について琴葉に相談していた。

 IC-09。未同意の録音。イニシャルはない。取材対象の欄が、空白だった。名前もイニシャルも書いていない。唯一、備考欄にも何も書いていない一本。

 美空が最も慎重に扱っていた録音。名前を書くことすらできなかった相手。

 そしてそのことを、琴葉に相談した。

 湊はノートを閉じた。

 ポケットに入れかけて、やめた。元あった場所に戻した。このノートは美空のものだ。持ち出すべきではない。

 だが、内容は頭に入った。取材ノートの精度で記憶した。IC-01からIC-12。未同意の三本。真鍋さん。東京。琴葉への相談。

 機材室を出た。

 廊下を歩きながら、考えた。

 次に会うべき人間が二人いる。

 一人は深澤颯真。あの夜、旧特別棟の近くにいた可能性がある人間。

 もう一人は黒沢琴葉。美空がIC-09について相談した人間。美空の最も近くにいた人間。

 そして、東京にいる真鍋。美空が声の地図を届けようとしていた相手。

 道が三本、見えた。

 帰り道。空は高く晴れていた。文化祭の翌日の空。祭りの余韻はもう消えて、秋の空気だけが残っている。

 イヤホンをつけなかった。風の音だけを聴きながら歩いた。