小説置き場
再建屋 梶 誠一

第30話「残骸」

3,086文字 約7分

私はRAFTの瓦解を再構成するために、一階の長机に資料を並べた。

 詩音が集めた二年分のデジタル情報。桐嶋のリストに載っている人物の経歴。御手洗の索引から抽出した九〇年代の人名。そして、調停機構のクラウドストレージから詩音が取得したメタデータ。

 全てを時系列に並べる。帳簿を読む要領と同じだ。日付順に並べれば、因果が浮かぶ。数字の代わりに事実を並べる。事実の間にある空白が、隠されたものの輪郭を描く。

 十二月二十二日。冬至の翌日。窓の外は曇っていた。

 桐嶋が向かいの席に座っている。御手洗は段ボールの横。詩音は二階だが、チャットで繋がっている。私が質問を打てば、詩音が検索結果を返す。三十秒以内に。

「まず時系列を確認します」

 私はノートを開いた。

「RAFTは二〇二〇年に活動を開始しています。正確には、二〇二〇年の春に、匿名のネット上の掲示板で調停機構に関する情報交換が始まった。それがRAFTの前身です」

 桐嶋が頷いた。

「俺のリストにあるRAFT関連の人物は三人。全員が機構に壊された人間で、ネット経由で繋がった。リーダーは不明。名前も経歴も」

「詩音さんの情報ではどうですか」

 チャットに打った。詩音の返答。三十秒。

『RAFTのリーダーに関する公開情報はほぼゼロ。ハンドルネームは「helm」。掲示板の管理者権限を持っていた。投稿内容から推定すると、法律の知識がある。文体は四十代以上の男性。確定情報ではない』

 私はノートに書いた。helm。法律知識。四十代以上。推定。

「次。RAFTが組織として活動を始めたのは二〇二一年。掲示板からクローズドなチャットグループに移行しました。メンバーは推定七名から十名。活動内容は、調停機構の工作事例の記録と、被害者への情報提供。直接的な対抗行動はなし」

 御手洗が口を開いた。

「記録と情報提供だけか」

「はい。RAFTは調停機構と戦おうとしていたのではなく、調停機構の存在を証明しようとしていた。証拠を集めて、いつか公にする——その準備段階のまま、壊されました」

「証拠を集めている段階で壊された。機構にとって、証拠の蓄積が一番の脅威だったということだ」

「そうです。次に、瓦解の経緯」

 私はノートの次のページを開いた。

「二〇二二年九月。RAFTのチャットグループが突然閉鎖された。メンバーの一人が、helmが調停機構と秘密裏に接触していると告発した。告発はチャットグループ内で行われた。その直後に、グループが消えた」

 桐嶋が身を乗り出した。

「helmが機構と接触。裏切りか」

「分かりません。告発した側の主張では、helmが機構の人間と二度会っていた。場所は都内のホテルのロビー。目撃情報がある」

「目撃した人間は」

「告発者本人です。RAFTのメンバーの一人で、helmの行動を監視していた」

「監視」

 桐嶋の声が低くなった。元公安の反応だ。監視という言葉に反応する。

「helmを信用していなかったのか。それとも——」

「分かりません。告発者の動機は不明です。詩音さんが集めた情報では、告発者のハンドルネームは『beacon』。helmの次に古いメンバーで、技術担当だった」

 チャットに追加の質問を打った。詩音の返答。

『beaconの正体は不明。ただし、beaconが告発に使った文面のスクリーンショットが一枚だけネット上に残っている。匿名掲示板に流出したもの。文面は以下——「helmは機構と交渉している。我々を売った。証拠はある」』

 私はその文面をノートに書き写した。

「helmは機構と交渉している。我々を売った」

 桐嶋が腕を組んだ。

「交渉と売るは違う。交渉は双方向。売るは一方的だ。告発者がどちらの意味で使ったかで話が変わる」

「はい。そしてここからが重要です」

 私はノートのページをめくった。空白のページ。ここから先は推測が入る。

「チャットグループが閉鎖された後、RAFTのメンバーの消息を追いました。詩音さんの二年分の調査と、桐嶋さんのリストを照合しました。結果、三人の消息が確認できています」

 一人目。元中学校教師。内部告発で失職し、RAFTに参加していた。二〇二二年十月に転居。転居先は長野県の山間部。現在も在住。連絡手段なし。

 二人目。元IT企業の管理職。機構の工作で解雇され、RAFTに参加していた。二〇二二年十一月に行方不明。住民票の異動なし。

 三人目。名前不明。RAFTの掲示板時代のハンドルネーム「reef」。二〇二三年一月に匿名掲示板に一度だけ投稿。「RAFTは終わった。helmは裏切っていない。beaconが間違えた」。その後、投稿なし。

 桐嶋が三人目の発言を繰り返した。

「helmは裏切っていない。beaconが間違えた」

「はい。もしこの証言が正しいなら、RAFTの瓦解は裏切りではなく、誤解から始まったことになります」

 御手洗がコーヒーを口に運んだ。

「helmが機構と会っていたのが事実だとして、それが交渉だったなら——交渉の目的は何だ」

「まだ分かりません。ただ、一つ仮説があります」

 私はノートに書いた。仮説と明記した。帳簿には仮説を書かない。だがこれは帳簿ではない。

「helmは調停機構と共存する道を探っていたのではないか。戦うのではなく、機構の存在を認めた上で、被害者の救済だけを求める交渉をしていた可能性がある」

 桐嶋が立ち上がった。窓際に移動した。

「共存」

「はい。機構を潰すのではなく、機構に対して『これ以上被害者を出すな』と交渉する。現実的な判断かもしれません。七人や十人で七十年の組織を倒すのは不可能だと、helmは分かっていた」

「それをbeaconが裏切りだと誤解した」

「誤解した。そしてチャットで告発した。告発した時点で、機構にグループの存在が露見した可能性がある。内部のチャットログが流出したか、beaconが意図せず外部に情報を漏らしたか——」

「善意が組織を壊した」

 桐嶋の声が低かった。

「善意、です。beaconは仲間を守ろうとした。helmが裏切っているなら、他のメンバーに知らせなければならない。その判断は、beaconの立場からは正しかった」

「結果として全員が壊された」

「はい」

 沈黙が落ちた。灯油ストーブの燃焼音だけが響いていた。

 私はノートを閉じた。

 三年前に壊された先輩組織。善意と誤解が起こした連鎖反応。helmの交渉が成功していたかどうかは分からない。beaconの告発が正しかったかどうかも分からない。分かるのは結果だけだ。組織が消え、人が消え、残骸だけが匿名掲示板の片隅に残った。

「桐嶋さん」

「何だ」

「私たちの組織で同じことが起きないために、何が必要だと思いますか」

 桐嶋は窓の外を見たまま答えた。

「情報の共有だ。helmがメンバーに交渉の事実を隠していた。それが原因だ。全員が同じ情報を持っていれば、beaconは誤解しなかった」

「同感です。全員が同じ情報を持つこと。隠し事をしないこと。ただし——」

「ただし」

「全ての情報を全員に共有することが、常に正しいとは限りません。御手洗さんの取材メモの匿名条件。情報源の秘匿。共有してはいけない情報もある」

 御手洗が顔を上げた。

「その判断を誰がするかだ」

「はい。誰が決めるか。リーダーが一人で決めれば、helmと同じになる。全員で決めれば、時間がかかる」

「完璧な方法はない」

「ありません。だから、ルールを作ります」

 私はノートの新しいページを開いた。

 まだ何も書かなかった。ルールの中身は、まだ見えていない。見えていないが、必要だということは分かった。

 RAFTの残骸が、それを教えてくれた。