小説置き場
再建屋 梶 誠一

第20話「断片」

2,629文字 約6分

二度目の侵入は、十一日後の深夜に行った。

 前回の反省点を洗い出した。メールサーバー経由のパスワードリセットは使えない。不正な手段は使わないと決めた。

 別の方法を見つけた。

 バックアップ領域の古いディレクトリには、パスワード認証がかかっている。だが同じクラウドサービス内の別のアカウントから、共有リンク経由でアクセスできるディレクトリが一つだけあった。

 「archive_public」。

 公開アーカイブ。名前からして、意図的に共有設定になっている。中身は外部向けの年次報告書。一般社団法人公共政策調整研究所の事業報告。公開情報。

 公開情報にアクセスすること自体は違法ではない。

 だが詩音が見たのは、公開情報の中身ではなかった。ディレクトリのメタデータだった。

 ファイルの最終更新者。更新日時。ファイルサイズの変遷。

 年次報告書は毎年更新されている。最終更新者のアカウント名が毎年異なっていた。2021年は「s.kurusu」。2022年は「t.hoshino」。2023年は「m.endou」。

 s.kurusu。

 来栖。

 詩音の手が一瞬止まった。前回見たディレクトリ名「KRS-031」と同じ三文字。

 来栖という人物が、2021年にこの法人のクラウドストレージを管理していた。

 さらに掘った。公開ディレクトリの中にある年次報告書のPDFファイル。そのメタデータ。作成者、作成日時、使用ソフトウェア、そしてPDFのプロパティに埋め込まれたファイルパス。

 作成元のファイルパス。PDFに変換する前のWordファイルが、どこに保存されていたか。

 2021年の年次報告書のファイルパス:

 C:\Users\kurusu\Documents\CHOSEI\reports\2021\annual_report_draft.docx

 CHOSEI。調整。調停機構の内部フォルダ名。

 そして同じディレクトリに、別のファイルパスが残っていた。PDFの注釈に埋め込まれた参照リンク。

 C:\Users\kurusu\Documents\CHOSEI\cases\KRS-031_raft_dissolution.xlsx

 KRS-031_raft_dissolution。

 ラフト解散。

 詩音の呼吸が止まった。

 ラフト。自分が二年前まで勤めていたITベンチャー。潰された会社。内部告発しようとして、会社ごと消された。

 そのラフトの解散が——KRS-031。来栖が担当した三十一件目の案件。

 来栖が、ラフトを潰した。

 違う。正確には、来栖がラフトの解散処理を担当した。処理の具体的な中身はファイルパスだけでは分からない。だがファイル名に「dissolution」、解散、と書いてある。

 詩音はスクリーンショットを撮った。メタデータのプロパティ画面。ファイルパス。

 それから、公開ディレクトリの他のPDFも確認した。2020年、2019年。それぞれのメタデータにも、ファイルパスの断片が残っていた。

 2020年のPDF注釈に:

 C:\Users\kurusu\Documents\CHOSEI\cases\KRS-028_credit_union_exec.xlsx

 KRS-028。信用金庫の役員。

 桐嶋のリストの三人目、片桐正之は元信用金庫支店長だった。

 2019年のPDF注釈に:

 C:\Users\kurusu\Documents\CHOSEI\cases\KRS-019_tax_bureau_whistleblower.xlsx

 KRS-019。税務局の内部告発者。

 奏だ。

 奏を潰した案件が、KRS-019。来栖の十九件目。

 詩音は椅子の背にもたれた。

 画面を見つめた。三つのファイルパス。三つの案件番号。一人の名前。

 来栖朔。

 この男が、ラフトを潰し、片桐を潰し、奏を潰した。同一人物が。三件とも。

 チャットを開いた。

 指が震えていた。怒りではない。震えの原因が分からなかった。恐怖かもしれない。興奮かもしれない。二年間壁に貼り続けた答えの一部が、PDFのメタデータの中にあったという事実への反応。

 チャットに打った。

 『二度目の侵入。成功。公開ディレクトリのPDFメタデータからファイルパスを取得。不正アクセスなし。公開情報のプロパティ閲覧のみ』

 桐嶋の返信。

 『内容は』

 『来栖朔のアカウント名が確認されました。機構のクラウド管理者として。そして案件ファイルのパスが三件。KRS-019、KRS-028、KRS-031』

 奏の返信が来るまで一分かかった。

 『KRS-019は、私ですか』

 詩音は答えを打った。

 『tax_bureau_whistleblower。税務局の内部告発者。はい。たぶん、黛さんです』

 沈黙。チャットの画面に何も表示されない。一分。二分。

 奏の返信。

 『KRS-031は何ですか』

 『raft_dissolution。ラフトの解散処理。私の会社です』

 また沈黙。

 桐嶋が打った。

 『同一人物が三件を担当している。来栖朔が。俺たちのうち二人を潰した男が、リストの六番目にいる。封筒の差出人の候補にもなっている男が』

 奏の返信。

 『記録しました。詩音さん。ファイルパスのスクリーンショットは保存してありますか』

 『はい。紙にも書き出しました』

 『ありがとうございます。今夜はここまでにしましょう。三人とも、休んでください』

 桐嶋の返信。

 『同意する。明日、対面で話す必要がある。場所は俺が決める』

 チャットが静かになった。

 詩音はノートパソコンを閉じた。

 部屋が暗くなった。画面の光が消えて、遮光カーテンの隙間からの街灯だけが残った。

 壁の相関図が、闇の中でうっすらと見えている。紙と糸。二年間の蓄積。

 その中心に来栖朔の名前を貼る場所がある。

 まだ貼っていない。まだ確定ではない。ファイルパスは状況証拠であり、確定証拠ではない。

 だが名前が見えた。

 ラフトを潰した人間の名前が。奏を潰した人間の名前が。

 同じ名前。

 詩音は水を飲んだ。ペットボトルが空になった。

 窓の外は暗い。十一月の午前四時。夜明けまでまだ二時間ある。

 一つの謎が解けた——機構の案件ファイルは来栖のアカウントで管理されていた。三件の処理が同一人物によるものであることが、メタデータで裏付けられた。

 一つの謎が生まれた。来栖朔は、なぜ機構を離脱したのか。自分が処理した人間たちの情報を、なぜ封筒で送ったのか。

 あるいは、封筒の差出人は、本当に来栖なのか。

 詩音は壁を見つめた。暗くて、ほとんど見えない。

 でも構造が見えた。

 少しだけ。