小説置き場
再建屋 梶 誠一

第14話「痕跡」

2,644文字 約6分

湊裏区のアパートでパソコンを開き、奏は永瀬詩音の名前を検索窓に打ち込んだ。

 公開情報だけで分かることは限られている。だが限られた情報を丁寧に拾えば、輪郭は見える。帳簿と同じだ。一行ずつ読めば、全体の形が浮かぶ。

 まず、名前で検索した。

 永瀬詩音。ヒットしたのは三件。技術系のブログ記事が一件。GitHubのアカウントが一件。LinkedInのプロフィールが一件。

 ブログ記事。二年前の投稿。「サーバー移行の手順書」というタイトル。内容は技術的で、奏には半分も理解できなかった。だが文章の構成は明快だった。箇条書き。番号付き。手順が一つずつ、正確に記述されている。

 几帳面な人間。手順を明示する人間。暗黙の了解を嫌う人間。奏はメモ帳に「几帳面。手順主義」と書いた。

 GitHubのアカウント。コードが公開されている。奏にはコードは読めない。だがコミット履歴は読める。最終コミットは二年一ヶ月前。それ以降、更新が止まっている。

 二年一ヶ月前。ラフトが倒産した時期と一致する。

 LinkedInのプロフィール。「株式会社ラフト ソフトウェアエンジニア」。在籍期間は二年間。その前は別のIT企業に一年。その前は大学。工学部。

 経歴自体には不自然な点はない。若いエンジニアが転職し、二社目で働いている。ただ、LinkedInのプロフィールが更新されていない。ラフトの肩書のまま。退職後の経歴が空白。

 空白。

 奏は検索を続けた。

 SNSのアカウントを探した。名前では見つからなかった。ハンドルネームで検索する。ブログ記事のプロフィール欄に記載されていたアカウント名、「shion_n_eng」。

 Xのアカウントがヒットした。

 フォロワー百二十三人。フォロー九十八人。プロフィール画像は猫のイラスト。自分の顔は出していない。

 投稿を遡った。最新の投稿は一年前。

 「引っ越し終わった。段ボールの山」

 その前。一年三ヶ月前。

 「コード書いてない。半年。手が動かない」

 一年半前。

 「ラフトのことを考えない日がない」

 二年前。投稿が密になる。

 「おかしいと思ったのは正しかった。でもそれを言ったらこうなった」

 「会社が消えた。私が見つけたものと一緒に」

 「弁護士に相談した。証拠がないと言われた。証拠は会社のサーバーにあった。会社がなくなった。サーバーもない」

 「誰かに見られている気がする。気のせいかもしれない」

 奏は画面から顔を上げた。ペンを回す手が止まった。

 見られている気がする。

 ステップの初期段階だ。奏自身も経験した。尾行されているかどうか分からない時期。気のせいかもしれない。でも気のせいではない。

 投稿を続けて読んだ。

 二年前の夏。

 「知らない人から電話があった。名前を名乗らなかった。『もう調べないほうがいい』と言われた」

 ステップ五。最終警告。

 奏の手が止まった。永瀬詩音は最終警告を受けている。ということは、ステップ一から四も受けているはずだ。

 投稿を探した。上司の態度変化に関する投稿。見つからない。口座への不審な入金。見つからない。家族への接触。永瀬詩音は23歳。独身か。家族構成は不明。

 ステップの痕跡がSNSに残っていないのは不自然ではない。全てを投稿する人間はいない。投稿したのは氷山の一角で、書かなかったことのほうが多いはずだ。

 最終警告の後の投稿。

 「もう誰にも話さない。話しても信じてもらえない」

 そして投稿が途絶える。二年前の秋を最後に。

 一年間の空白。

 一年後に再開された投稿は、引っ越しの報告。段ボールの山。コードが書けない。

 奏はメモ帳に記録した。

 永瀬詩音。23歳。元ラフト。不正融資発見→告発未遂→会社倒産→証拠消失→最終警告→沈黙→引きこもり。

 パターンは奏自身と似ている。違うのは、永瀬がまだ二十代だということ。奏が処理されたのは二十七歳だった。永瀬は二十一歳。二十一歳で機構に踏まれた。

 もう一つ。永瀬の投稿の中に、一つだけ異質なものがあった。

 二年前の十月。最後の投稿群の中。

 「壁に貼った。全部。時系列で。——見えてきた」

 壁に貼った。

 何を壁に貼ったのか。時系列で。見えてきた。

 奏にはそれが分かった。同じことをしているからだ。封筒の資料を机に広げて、赤ペンで印をつけて、構造を読み取ろうとしている。

 永瀬詩音は——壁に貼っている。自分が見つけた情報を、壁一面に。

 二年間。

 メモ帳を閉じた。

 桐嶋に電話した。

「永瀬詩音のSNSを確認しました」

「何かあったか」

「ありました。機構の接触を受けた痕跡。最終警告まで。それと、独自に調査を続けている可能性が高い」

「根拠は」

「『壁に貼った。全部。時系列で。見えてきた』という投稿があります。二年前の十月」

 桐嶋が三秒黙った。

「壁に貼った。相関図か」

「おそらく」

「接触する価値がある。時期は」

「早いほうがいい。でも接触方法を考える必要があります。この人は『誰にも話さない』と書いています。見知らぬ人間が訪ねてきたら、警戒するでしょう」

「どうする」

「直接行くしかないと思います。電話やメールでは余計に警戒される。桐嶋さんではなく、私が行きます」

「理由は」

「桐嶋さんは四十代の男性です。永瀬さんが機構に接触されたとき、相手は名前を名乗らない人物でした。中年の男性が突然訪ねてきたら、機構の人間だと思われる可能性がある」

「なるほど」

「私なら、少なくとも機構のプロフィールとは違う。二十代の翻訳者が訪ねてくるほうが、まだ警戒されにくい」

「分かった。住所は」

「LinkedInのプロフィールから推測できる地域がある。ラフトの登記住所の近く。引っ越したという投稿があるから、同じ区内かもしれない」

「調べる。住所が分かったら連絡する」

 電話が切れた。

 奏は画面に戻った。永瀬詩音のSNS。最後の投稿。

 「引っ越し終わった。段ボールの山」

 段ボール。旧社屋にも段ボールがあった。御手洗の三十年分の取材資料。永瀬の部屋にも段ボールがあるのだろう。中身は違う。取材資料ではなく、二年間の調査記録。

 二人の人間が、段ボールの中に真実を抱えている。

 奏は翻訳の仕事に戻った。法律事務所の契約書。第七条。「甲の義務不履行により乙が損害を被った場合」

 義務不履行。

 機構は義務を果たしていない。何に対する義務か。社会に対する義務か。自分自身に対する義務か。

 帳簿が嘘をつかないように、SNSの投稿も嘘をつかない。投稿されたものだけでなく、投稿されなかったものにも意味がある。

 一年間の空白。あの沈黙の一年に、永瀬詩音は何をしていたのか。

 壁に貼っていたのだ。たぶん。