小説置き場

第50話「マージコンフリクトの楽園」

3,247文字 約7分

ゼロを助けられないまま、おれたちはメインサーバールームの奥に押し込まれた。

 押し込まれた、というのは比喩ではない。ゼロに接続された赤い光の線が突然拡散し、サーバールーム全体に蜘蛛の巣のように張り巡らされた。おれとリサは光の線を避けながら後退するしかなかった。

 そして、最奥の壁が開いた。

 壁の向こうに、七つの棺があった。

 棺というのはおれの第一印象で、正確には培養槽だ。人間一人分のサイズの透明なカプセルが、半円形に配置されている。中にはそれぞれ液体が満たされていて、そして——人間が浮かんでいた。

 七人。全員が目を閉じている。全員の頭部に、無数のケーブルが接続されている。

「これが」

「私だ」

 Rootの声が、今度は七つの培養槽から同時に響いた。七人の口が同時に動いた。同じ言葉を、微妙にズレたタイミングで。和音のような不協和音。

「一号から七号。初代Root——サカキバラ・ヨウスケの意識をベースに、歴代最高責任者の意識が順次統合されている。最も古い意識は十二年前、最も新しい意識は三年前に同期された」

 リサの顔が真っ白だった。エンタープライズにいた頃にすら知らなかった事実なのだろう。

「意識の同期。これがRootの正体」

「正体というほど大層なものではない。単なるアーキテクチャだ」

 一号の培養槽——最も古いカプセルの中の人間が、目を開けた。五十代後半に見える男。痩せていて、穏やかな顔立ち。だが目の奥に、異常な密度の知性が光っている。

「サカキバラ・ヨウスケ。オムニバース社の創設者にして、異能サブスクリプションシステムの設計者。おれの両親を殺したシステムの親」

「殺したという表現について議論する余地はあるが、設計者であることは認める」

 一号の声は穏やかだった。通路で聞いた時と同じ。だが今は、六人分の意識が重なっていない分、より人間らしく聞こえた。

「なぜ意識を同期した」

「一人の人間の判断力では、このシステムを運用できないからだ。百二十万人の脳波データを管理し、四百万人の異能インフラを維持し、国家との交渉を行い、技術開発を継続する。一人の人間の認知能力では不可能な規模だ」

「だから七人分の脳を統合した」

「そうだ。一号の判断に偏りがあれば、二号が補正する。三号が倫理面を検証し、四号がリスクを計算し、五号が技術的整合性を確認する。合議体として、個人よりも正確な判断ができる。理論上は」

「理論上は。実際は」

 一号が微笑んだ。

「実際は、七つの意識が衝突し続けている。マージコンフリクト。同じ問題に対して七通りの解答が生成され、その統合に膨大なリソースが消費される。生体ボットネットの演算リソースの三割は、実はこの合議体の内部処理に使われている」

 三割。百二十万人の脳波の三割が、この七人の合意形成のために搾取されている。おれの両親の脳波も、その三割の中にあったのかもしれない。

「おれが聞きたいのは、テネシー計画のことだ」

 空気が変わった。七つの培養槽の液体が、僅かに波立った。

「どこでその名前を知った」

「データセンターの端末からリサが抜いた。断片的だが、キーワードは拾えた。テネシー。意識同期の拡大。全ユーザー適用」

 沈黙が五秒。七つの培養槽が同時に脈動した。合議中なのだろう。

「テネシー計画は——」一号の声。「意識同期技術を全ユーザーに拡大する構想だ」

 リサが息を呑んだ。

「全ユーザー。四百万人に」

「最終的にはもっと多くなる。だが第一フェーズは東京圏の四百万人だ」

「何のためにそんなことを」

「人類の最適化の証明」

 一号の目が光った。穏やかさの奥にある、狂気に近い確信。

「私たち七人の意識統合は、人類史上初めて『複数の人間が一つの判断を下す』ことに成功した事例だ。民主主義では投票で妥協する。独裁では一人が決定する。だが意識同期は、複数の人間の認知を物理的に統合して、全員が納得する結論を生成できる。マージコンフリクトは発生するが、最終的には統合される。これは——対話の究極形だ」

「対話の究極形」おれは反復した。「脳波を強制的に繋いで、全員を一つにすることが対話か」

「強制ではない。テネシー計画では、全ユーザーに段階的に同期を提案する。同意を得て、順次接続する。ゼロのように拒絶する者には——」

「強制接続するんだろ。さっき見たぞ」

 一号が沈黙した。三号の培養槽が波立った。

「ゼロのケースは例外だ。メインサーバーの物理破壊を試みた侵入者に対する防衛措置であり——」

「詭弁はいい。見せろ。ゼロが今どうなってるか」

 一号が目を閉じた。メインサーバールームの壁面にホログラムが投影された。ゼロの脳波モニター。

 ゼロの脳波は——もはやゼロのものではなかった。

 波形が変わっていた。ゼロの個人的な脳波パターンの上に、別の波形が重なっている。七号——最も新しい合議体メンバーの脳波パターンだ。ゼロの意識が、合議体に取り込まれようとしている。

「八号にするつもりか」

「ゼロの異能『否定』は、合議体に欠けている機能だ。七人の意識は全て肯定的な判断を下す傾向がある。否定的な視点が欠落していた。ゼロの意識が加われば、より精度の高い合議が可能になる」

 おれの頭の中で、パズルのピースがはまった。

 Rootはゼロを排除しようとしていたのではない。取り込もうとしていた。ゼロがデータセンターに侵入してくることを、予測どころか、誘導していた。三年前も。今回も。

「ゼロの記憶を消して野に放ち、もう一度侵入させて、今度こそ同期する。そういうシナリオか」

「シナリオという言い方は好まないが、大筋は合っている」

 おれの拳が震えた。怒りではない。恐怖に近い感情だ。おれたちは最初から、Rootの手のひらの上で踊っていた。おれが両親のデータを探したことも、EULA迷宮を突破したことも、Pay to Win部隊をリボ払いで無力化したことも——全てがRootの計画の一部だったのか。

「クロヤ」リサが囁いた。「ここにいたら——私たちも同期される」

 リサの声に、初めて本物の恐怖を感じた。

 正しい判断を下せ。おれは自分に言い聞かせた。

 ゼロは今すぐには救えない。Root権限の規約はおれの異能では書き換えられない。力ずくでの切断はゼロの意識を破壊するリスクがある。七人の合議体を相手に、おれとリサの二人では勝てない。

 撤退。

 認めたくないが、撤退しかない。

「リサ、退路は」

「冷却配管ルートがまだ生きてる。赤い光の線は配管内部には侵入していない。おそらく配管の金属壁がデータリンクを遮断してる」

「行くぞ」

「ゼロは」

「今は無理だ。必ず戻る。だが今は無理だ」

 リサが唇を噛んだ。だが頷いた。

 おれたちは冷却配管に飛び込んだ。金属の壁がおれたちを包む。赤い光の線が配管の入口で止まった。Rootの声が追いかけてきた。

「また来るんだろう、黒谷クロヤ」

「ああ。来る。次はお前の規約を書き換えに来る」

「楽しみにしている。だが——次に来る時は、一つ考えてきてくれ。システムを壊した後の世界を、君はどうするつもりなのか」

 おれは答えなかった。配管の中を這い、統括ノードの球体を抜け、EULA迷宮の残骸を越え、データセンターの外に出た。

 夜の空気が冷たかった。裏東京のAR広告が、いつも通り空を埋め尽くしている。

 リサが膝に手をついて呼吸を整えた。

「クロヤ」

「何だ」

「Rootの正体。七人の意識の合議体。テネシー計画。全ユーザーへの意識同期。これを外に広めれば——」

「広めても信じる人間がどれだけいる。おれたちの言葉より、毎月の異能サブスクの方が重い。それが現実だ」

 おれは空を見上げた。AR広告の隙間から、本物の星が見えた。

 ゼロの穏やかな顔を思い出した。あの顔は、ゼロが望んだものなのか。それともRootが作ったものなのか。

 分からない。

 だが一つだけ分かることがある。おれはあの培養槽には入らない。おれの意識は、おれだけのものだ。マージされない。コンフリクトが永遠に解決しなくても、おれはおれのブランチを生きる。

 それだけは、譲らない。