リサの交渉は、五分で終わった。ジャンク屋のオヤジの前に立ったリサは、まず何も言わなかった。パーカーのフードの奥から、オヤジの顔を静かに見つめた。三秒。オヤジが「何だよ嬢ちゃん」と先に口を開くのを待った。
待たせた側が会話の主導権を取る。上位ARレイヤーの交渉の基本らしい。
「おじさん、発電機をお持ちだと聞いたわ」
「ああ。商売用だ」
「お借りしたいの。四時間。デバイスの充電に必要で」
「四時間? 燃料代だけで五百はかかるぞ」
「お支払いできるものが、今はないの。でも——」
リサは一度言葉を切った。そして、オヤジの店を見回した。棚に並んだジャンクパーツ。錆びたコネクタ。型の古い基盤。配線がむき出しになった端末の残骸。
「この棚の三段目、右から四番目のコネクタ。型番が見えないけど、たぶんSeries-7の互換品でしょう? 昨日から位置が変わっていない。売れていない」
オヤジの眉が動いた。
「あの型番は、スタンダードプランのAR端末には合わないの。プレミアム以上の旧型端末にしか使えない。でも、プレミアムの旧型を使っている人間がアンダー・ラグにいるとは思えない。つまり、あのコネクタは——ここでは売れない在庫」
「……お嬢ちゃん、やけに詳しいな」
「上にいたから。で、提案なんだけど。私、エンタープライズの端末の規格を全部覚えているの。この棚の中で、上位レイヤーでしか使えないパーツと、下層で需要があるパーツの仕分けができる。仕分けをすれば、売れないものを置くスペースを減らして、売れるものを前に出せる。おじさんの売上が上がる」
オヤジは黙った。十秒。
「……仕分け一回で、発電機四時間か」
「それと、今後も何かあったら相談に乗るわ。上位レイヤーのパーツの相場感は、ここでは私しか分からないと思うから」
オヤジは禿頭を掻いた。それから、歯のない口で笑った。
「いいだろう。嬢ちゃん、やるじゃねえか」
発電機は店の裏にあった。小型のガソリン式。紐を引いてエンジンをかける旧式だが、電力は安定している。リサが一回で紐を引けなくて、二回目でオヤジに笑われて、三回目で火が入った。
デバイスを充電器に繋いだ。赤いランプが点滅する。充電開始。フル充電まで四時間。
「待つしかないな」
「待つ間に仕分けするわ。約束だから」
リサは棚の前にしゃがみ、パーツを一つずつ手に取って確認し始めた。手つきが丁寧だった。モノの扱いに慣れている。上位ARレイヤーでは高価な端末を扱っていたのだろう。
俺はその姿を見ながら、少しだけ考えを改めた。
この女は、ただ強いだけじゃない。ただ賢いだけでもない。相手が何を持っていて、何を必要としていて、自分が何を出せるかを瞬時に見る。エンタープライズの交渉術というのは、要するに相手の在庫を読む技術だ。
帳簿を読むみたいに、人を読む。
巻き戻せ。俺のソーシャルエンジニアリングと、根は同じだ。
一時間ほどして、リサの仕分けが終わった。棚が見違えるほど整理されている。オヤジが感心して、干し肉をもう一切れくれた。リサは「ありがとう」と言って噛んだ。もう顔をしかめなかった。慣れたのか。
闇市場を出た。
路地に入ったところで、前方に二人組が立っていた。
男。二十代。一人はタンクトップ。もう一人はフードを被っている。タンクトップの腕に、安物のAR拡張タトゥーが光っている。スタンダードプラン。課金額は最低ランクだが、フリープランの人間から見れば十分に脅威だ。
「おい」
タンクトップの男が声をかけてきた。目がリサの体を走る凍結ウォーターマークに向いている。
「BAN者だろ。赤いのが光ってんぞ」
俺はリサの前に出た。デバイスはまだ充電中だ。使えない。
「何の用だ」
「お前に用はねえよ、無課金。BAN者の方だ。——なあ、凍結されたやつって上の情報持ってんだろ? アカウント情報とか、セキュリティの穴とか。そういうの、買いたいって人がいるんだよ」
情報ブローカー。BAN者を狙って、上位ARレイヤーの機密を吸い出す連中。オヤジが言っていた「妙な連中」はこいつらか。
「興味ない。通してくれ」
「お前に聞いてねえって」タンクトップが一歩近づいた。AR拡張タトゥーが脈打つように明滅する。「嬢ちゃん、ちょっと話——」
「話は聞いたわ」
リサの声が、空気を切った。
冷たかった。朝、ウォーターマークに怒っていたときとは別の温度。エンタープライズの令嬢が、格下に対して使う声。
「あなたたちの買い手が誰か知らないけど、凍結アカウントの情報には時限性があるの。凍結から七十二時間でセキュリティキーがローテーションされるから、私が知っている認証情報は全て無効。つまり、私から買えるものは——何もない。分かる?」
二人組が一瞬ひるんだ。
リサが続ける。
「あなたたちの買い手にもそう伝えて。BAN者の情報は時間切れ。追いかけても利益は出ない。経費の方が高くつくわ」
相手に「続けると損だ」と思わせる。
脳が2ミリ秒で判定した。これ、燃費がいい。
タンクトップの男が舌打ちして、フードの男を引っ張って路地から出ていった。暴力には至らなかった。相手がスタンダードプランの末端だったから通用した。もっと上の連中には通じない。
でも、今は通じた。
「……セキュリティキーの七十二時間ローテーションって、本当なの?」
「本当よ。だから急いでBAN解除しないといけないの。ローテーションされた後のキーを私は知らないから、解除の手がかりが減る」
時間制限。知らなかった。
リサは歩き出した。フードの下の銀髪が風に揺れている。
「交渉は教科書通り。相手が何を欲しがっていて、何が無駄かを教えてあげればいい。パーツの仕分けと同じ」
俺は黙ってついていった。
充電が終わるまで、あと三時間。
三時間、丸腰で生き延びないといけない。この女と一緒に。