小説置き場

第5話「API交渉術」

2,352文字 約5分

リサの交渉は、五分で終わった。ジャンク屋のオヤジの前に立ったリサは、まず何も言わなかった。パーカーのフードの奥から、オヤジの顔を静かに見つめた。三秒。オヤジが「何だよ嬢ちゃん」と先に口を開くのを待った。

 待たせた側が会話の主導権を取る。上位ARレイヤーの交渉の基本らしい。

「おじさん、発電機をお持ちだと聞いたわ」

「ああ。商売用だ」

「お借りしたいの。四時間。デバイスの充電に必要で」

「四時間? 燃料代だけで五百はかかるぞ」

「お支払いできるものが、今はないの。でも——」

 リサは一度言葉を切った。そして、オヤジの店を見回した。棚に並んだジャンクパーツ。錆びたコネクタ。型の古い基盤。配線がむき出しになった端末の残骸。

「この棚の三段目、右から四番目のコネクタ。型番が見えないけど、たぶんSeries-7の互換品でしょう? 昨日から位置が変わっていない。売れていない」

 オヤジの眉が動いた。

「あの型番は、スタンダードプランのAR端末には合わないの。プレミアム以上の旧型端末にしか使えない。でも、プレミアムの旧型を使っている人間がアンダー・ラグにいるとは思えない。つまり、あのコネクタは——ここでは売れない在庫」

「……お嬢ちゃん、やけに詳しいな」

「上にいたから。で、提案なんだけど。私、エンタープライズの端末の規格を全部覚えているの。この棚の中で、上位レイヤーでしか使えないパーツと、下層で需要があるパーツの仕分けができる。仕分けをすれば、売れないものを置くスペースを減らして、売れるものを前に出せる。おじさんの売上が上がる」

 オヤジは黙った。十秒。

「……仕分け一回で、発電機四時間か」

「それと、今後も何かあったら相談に乗るわ。上位レイヤーのパーツの相場感は、ここでは私しか分からないと思うから」

 オヤジは禿頭を掻いた。それから、歯のない口で笑った。

「いいだろう。嬢ちゃん、やるじゃねえか」

 発電機は店の裏にあった。小型のガソリン式。紐を引いてエンジンをかける旧式だが、電力は安定している。リサが一回で紐を引けなくて、二回目でオヤジに笑われて、三回目で火が入った。

 デバイスを充電器に繋いだ。赤いランプが点滅する。充電開始。フル充電まで四時間。

「待つしかないな」

「待つ間に仕分けするわ。約束だから」

 リサは棚の前にしゃがみ、パーツを一つずつ手に取って確認し始めた。手つきが丁寧だった。モノの扱いに慣れている。上位ARレイヤーでは高価な端末を扱っていたのだろう。

 俺はその姿を見ながら、少しだけ考えを改めた。

 この女は、ただ強いだけじゃない。ただ賢いだけでもない。相手が何を持っていて、何を必要としていて、自分が何を出せるかを瞬時に見る。エンタープライズの交渉術というのは、要するに相手の在庫を読む技術だ。

 帳簿を読むみたいに、人を読む。

 巻き戻せ。俺のソーシャルエンジニアリングと、根は同じだ。

 一時間ほどして、リサの仕分けが終わった。棚が見違えるほど整理されている。オヤジが感心して、干し肉をもう一切れくれた。リサは「ありがとう」と言って噛んだ。もう顔をしかめなかった。慣れたのか。

 闇市場を出た。

 路地に入ったところで、前方に二人組が立っていた。

 男。二十代。一人はタンクトップ。もう一人はフードを被っている。タンクトップの腕に、安物のAR拡張タトゥーが光っている。スタンダードプラン。課金額は最低ランクだが、フリープランの人間から見れば十分に脅威だ。

「おい」

 タンクトップの男が声をかけてきた。目がリサの体を走る凍結ウォーターマークに向いている。

「BAN者だろ。赤いのが光ってんぞ」

 俺はリサの前に出た。デバイスはまだ充電中だ。使えない。

「何の用だ」

「お前に用はねえよ、無課金。BAN者の方だ。——なあ、凍結されたやつって上の情報持ってんだろ? アカウント情報とか、セキュリティの穴とか。そういうの、買いたいって人がいるんだよ」

 情報ブローカー。BAN者を狙って、上位ARレイヤーの機密を吸い出す連中。オヤジが言っていた「妙な連中」はこいつらか。

「興味ない。通してくれ」

「お前に聞いてねえって」タンクトップが一歩近づいた。AR拡張タトゥーが脈打つように明滅する。「嬢ちゃん、ちょっと話——」

「話は聞いたわ」

 リサの声が、空気を切った。

 冷たかった。朝、ウォーターマークに怒っていたときとは別の温度。エンタープライズの令嬢が、格下に対して使う声。

「あなたたちの買い手が誰か知らないけど、凍結アカウントの情報には時限性があるの。凍結から七十二時間でセキュリティキーがローテーションされるから、私が知っている認証情報は全て無効。つまり、私から買えるものは——何もない。分かる?」

 二人組が一瞬ひるんだ。

 リサが続ける。

「あなたたちの買い手にもそう伝えて。BAN者の情報は時間切れ。追いかけても利益は出ない。経費の方が高くつくわ」

 相手に「続けると損だ」と思わせる。

 脳が2ミリ秒で判定した。これ、燃費がいい。

 タンクトップの男が舌打ちして、フードの男を引っ張って路地から出ていった。暴力には至らなかった。相手がスタンダードプランの末端だったから通用した。もっと上の連中には通じない。

 でも、今は通じた。

「……セキュリティキーの七十二時間ローテーションって、本当なの?」

「本当よ。だから急いでBAN解除しないといけないの。ローテーションされた後のキーを私は知らないから、解除の手がかりが減る」

 時間制限。知らなかった。

 リサは歩き出した。フードの下の銀髪が風に揺れている。

「交渉は教科書通り。相手が何を欲しがっていて、何が無駄かを教えてあげればいい。パーツの仕分けと同じ」

 俺は黙ってついていった。

 充電が終わるまで、あと三時間。

 三時間、丸腰で生き延びないといけない。この女と一緒に。