小説置き場

第46話「リボルビング・ファイアウォール」

2,764文字 約6分

EULA迷宮の最終条項を抜けた瞬間、おれの視界が白く焼けた。

 白じゃない。金だ。

 データセンターの通路が開けた先に、金色のARエフェクトを全身にまとった人間が十二人、半円陣形で待ち構えていた。全員の頭上に浮かぶステータス表示が、おれの目を刺す。

  Omniverse Premium Ultimate — Pay to Win Division   月額課金: 上限なし

「Pay to Win部隊か」

 リサが小声で言った。声に緊張がある。

「知ってるのか」

「噂だけ。エンタープライズにいた頃に聞いた。月額百万円以上を課金し続ける代わりに、異能の出力制限が完全に解除される特殊プラン。公式には存在しないことになってる。裏メニュー」

 裏メニュー。飲食店でもなければIT企業でもない、この世界特有の言い回しだ。正規の料金表に載せられないほど醜悪なプランを、そう呼ぶ。

「ようこそ、不正アクセス者諸君」

 中央に立つ男が口を開いた。四十代半ば。スーツにネクタイ。だがネクタイピンがARで金色に脈動している。課金額のリアルタイム表示だ。数字が毎秒跳ね上がっていく。

「俺はガーディアン・リード。Pay to Win第一小隊の指揮官だ。君たちの侵入はEULA迷宮の時点で検知されている。ここから先は——金の壁だ」

 ゼロがおれの横で舌を打った。

「金持ちの番犬か。趣味が悪い」

「番犬ではない。投資家だよ。このシステムに最も多く投資した人間が、このシステムを守る。合理的だろう?」

 ガーディアン・リードが右手を上げた。

 十二人が同時に異能を展開した。

 飽和攻撃。

 おれの視界がエフェクトで埋め尽くされた。炎、氷、重力歪曲、電磁パルス、空間圧縮——異能の種類はバラバラだが、出力が桁違いだ。フリープランの異能が懐中電灯なら、こいつらのは探照灯。比較にならない。

 リサが障壁を張った。だが障壁が三秒で軋んだ。リサの凍結解除後の異能帯域では、この出力差を防ぎきれない。

「クロヤ、持たない」

「分かってる」

 おれは右耳の後ろに手を伸ばした。ハッキング異能。規約改竄。だが十二人同時は処理が追いつかない。一人ずつ規約を書き換えていたら、その間に残りの十一人に焼かれる。

 考えろ。

 Pay to Winの仕組み。月額課金が異能出力に直結している。課金額が高いほど、帯域が広がる。つまり、こいつらの異能の根幹は金だ。金を止めれば、異能も止まる。

 だが十二人のクレジットカード情報に同時アクセスするのは不可能だ。おれのハッキング異能は精密だが、並列処理には限界がある。

 ——いや。待て。

 並列処理ではなく、共通のパイプラインを叩けばいい。

「リサ、あいつらの課金はどこで処理されてる」

「データセンター内部なら、決済ゲートウェイは一つのはず。オムニバース社の決済APIは内部で統合されてるから——」

「場所は」

「この通路の天井。配管に沿って決済用の光ファイバーが走ってるはず」

 おれは天井を見た。AR視界で配管の情報レイヤーを透かすと、確かに金色の光が一本の線になって流れている。決済データのストリーム。十二人分の課金情報が、一本のパイプラインに集約されて上流のサーバーに送られている。

 一本なら、やれる。

「ゼロ、十五秒稼げ」

「十秒でいい。それ以上は保証しない」

 ゼロが前に出た。両手に黒い靄のような異能を纏い、Pay to Win部隊の正面に突っ込んだ。無謀な突撃——に見えるが、ゼロの異能は「否定」だ。相手の異能を局所的に無効化する。十二人全員は無理でも、正面の三人を一時的に黙らせることはできる。

 十五秒。いや、ゼロが十秒と言ったなら十秒。

 おれは天井の配管に手を伸ばした。物理的には届かない。だがハッキング異能は物理接触を必要としない。おれの指先からデータが逆流するように、決済パイプラインに割り込んだ。

 十二人分のクレジットカード情報。番号、有効期限、セキュリティコード——いや、そこまで見る必要はない。おれがやるのはもっと単純で、もっと悪質なことだ。

 支払い方法の変更。

 一括払いからリボルビング払いへ。

 全員同時に。

「何を——」

 ガーディアン・リードの声が途切れた。

 リボルビング払い。毎月の支払額を一定にする代わりに、元金がほとんど減らない地獄のシステム。消費者金融が笑い、利用者が泣く。クレジットカード会社が最も愛する支払い方式。

 だがおれがやったのは、単なるリボ化ではない。

 リボ払いの月額上限を、最低設定の五千円に固定した。

 月額百万円以上の課金が、月々五千円の返済に切り替わる。つまり、今月分の課金が「未決済」状態に遷移する。決済が完了していない課金は、システム上では「未払い」と同義だ。

 未払いユーザーの異能帯域は——ゼロになる。

「な——異能が」

「出力が落ちてる!」

「決済エラーだ、決済がリジェクトされてる!」

 十二人の金色のARエフェクトが、一斉に色褪せた。金から銀、銀から灰色。フリープランと同じ灰色。課金の裏付けを失った異能が、みるみる萎んでいく。

 ガーディアン・リードの頭上のステータス表示が赤く点滅した。

  決済エラー: 月額上限超過(リボルビング払い上限: ¥5,000)   異能帯域: 再計算中...   異能帯域: 0.3%

「リボ払いの恐怖を知らなかったか」

 おれは十二人の間を歩いた。全員が膝をついている。異能が消えたわけではない。だがPay to Winの連中は自分の身体能力を鍛えていない。金で帯域を買っていただけだ。帯域がゼロになれば、そこらのフリープランユーザー以下の存在になる。

「金で買った力は、金がなくなれば消える。基本だろ」

 ガーディアン・リードがおれを睨み上げた。

「き、貴様——これは不正アクセスだ。規約違反だぞ」

「知ってるよ。おれは最初から規約違反者だ。ところでリボ払いの手数料率、年利十五パーセントだからな。お前らの課金額だと、利息だけで家が建つぞ」

 ゼロが鼻で笑った。

「金持ちをリボ地獄に落とすとは。お前、性格が悪いな」

「褒め言葉として受け取る」

 リサがおれの横に来た。障壁を解除して、息を整えている。

「決済システムを直接改竄したの?」

「改竄じゃない。支払い方法の変更だ。ユーザーの権利として認められている操作を、代理で実行しただけだ。規約上はグレーゾーン」

「詭弁でしょ、それ」

「IT業界は詭弁で回ってる」

 おれたちはPay to Win部隊を置き去りにして、データセンターの核心部へ向かった。通路の奥から低い振動音が聞こえる。サーバーの冷却ファンの音。だがそれだけではない。もっと深い、有機的な音。心臓の鼓動に似ている。

 ゼロが立ち止まった。

「この先だ。統括ノードがある」

 おれは頷いた。リボ払いの利息計算が背後で走り続けている。十二人分のクレカが、今この瞬間も、静かに借金を膨らませている。

 因果応報。

 あるいは、複利の呪い。