ミナミが持ってきた構造図は、おれたちの想像を超えていた。
「これが——データセンターの全容か」
廃ビルの壁一面に投影されたAR構造図。青い線で描かれた立体的な設計図が、暗い部屋の中で浮かび上がっている。ミナミの情報網が数ヶ月かけて収集した断片を、おれが再構成したものだ。
「地下七階構造。地上からのアクセスポイントは三箇所。ただし、すべてRoot直轄のセキュリティで封鎖されている」
ミナミが構造図の各階を指差しながら説明した。裏東京のフィクサーとしての顔は、こういうときに最も鋭くなる。普段の飄々とした態度が消えて、純粋な戦略家の目になっている。
「地下一階から三階は通常のサーバールーム。オムニバースの一般サービスを稼働させている。ここまでは通常の警備体制。モデレーターが巡回してるけど、突破は可能」
「地下四階以降が問題だ」
おれは構造図を拡大した。地下四階から下の構造が、上の階と明らかに異質だった。通路が非対称で、部屋の配置が非ユークリッド的に歪んでいる。AR空間で設計された構造は、物理法則に縛られない。
「地下四階の入口に、第一関門がある」
ミナミが一つのポイントを示した。赤く点滅するマーカー。
「ファイアウォール」
「ファイアウォールって、ネットワークの?」
リサが眉をひそめた。
「概念的にはね。でもここのファイアウォールは——」
ミナミが構造図を切り替えた。別のレイヤーが表示される。AR視覚データ。誰かが撮影した映像。
おれは息を飲んだ。
それは壁だった。光の壁。天井から床まで、通路を完全に塞ぐ白い光の膜。AR上で物理的に実体化した防御機構。触れたものは検知され、接触した異能は即座にRootに通報される。
「オムニバースのファイアウォールは、ネットワーク層じゃなくAR層に実装されている。物理空間にオーバーレイされた光の壁。異能でもハードウェアでも、触れた瞬間にアラートが飛ぶ。過去に三人がここで捕まった」
「三人?」
「裏東京のハッカー。腕の立つ連中だった。一人はモデレーターに即座に確保されて、二人は異能を強制凍結された。全員、ファイアウォールに触れた瞬間にやられた」
おれは構造図を凝視した。光の壁。AR上に実体化した防御。ネットワークのファイアウォールなら、脆弱性を突いてバイパスできる。だが物理的に空間を塞ぐ光の壁は、通り抜けるという概念自体が通用しない。
「厚さは?」
「約二メートル。光の密度が高すぎて、AR解像度では壁の向こうが見えない。透過率ゼロ。完全な遮断」
「素材は?」
「AR上の構造体だから、物理的な素材はない。だけど異能との相互作用がある。触れた異能の署名を即座に読み取って、Root直轄データベースと照合する。照合に一致しない署名——つまり許可されていないユーザーの異能は、警報のトリガーになる」
おれは腕を組んだ。考えろ。おれの異能は「不正アクセス」——他人の異能に干渉し、システムの隙間に入り込む力。だがファイアウォールは隙間がない。文字通りの壁だ。
「迂回路は?」
「ない。地下四階への通路はこの一本だけ。構造的に迂回が不可能な設計になっている。ファイアウォールを突破するか、引き返すかの二択」
「換気口は。配管は。物理層のインフラを使って迂回する方法は」
「全部ファイアウォールのレイヤーで覆われてる。換気口も配管も、AR層で光の膜が張ってある。抜け穴はないよ、クロヤ。おれも考えた。何ヶ月もかけて考えた。ファイアウォールを正面から突破する以外の方法はない」
リサが立ち上がった。構造図に近づいて、ファイアウォールの部分を拡大した。
「この光の壁、AR上の構造体なら——AR上のルールで動いてるはず。つまりオムニバースのプロトコルに従ってる」
「当然だ。Root直轄のセキュリティだから、最高レベルのプロトコルで動いてる」
「プロトコルに従ってるなら、プロトコル上の正規の手順で通過できる可能性がある。つまり——認証」
おれはリサを見た。リサの目が光っていた。元エンタープライズの目。システムの内側を知っている人間の目。
「リサ。お前のエンタープライズ権限は凍結されてる」
「凍結されてる。でも——完全に削除はされてない」
おれの心臓が跳ねた。
「凍結と削除は違う。凍結はアカウントの停止。権限データ自体はサーバーに残ってる。復元の可能性がある限り、データは保持される。それがオムニバースの仕様。バックアップポリシー」
「つまり、お前の権限の残骸がシステム内に残ってる」
「残骸——残滓。使えるかどうかは分からない。フルアクセスは無理。でも、ファイアウォールの認証を一瞬だけ通過できる程度の署名は、まだ私の中に残ってるかもしれない」
ミナミが口笛を吹いた。
「面白いね。凍結アカウントの残滓でファイアウォールを突破する。前例がない。前例がないってことは、Rootも想定してないかもしれない」
「想定してないことを祈るしかないな」
おれは構造図全体を見渡した。地下七階まで。ファイアウォールの先にはまだ何層もの防御が待っている。だが今は、目の前の一枚を考えるしかない。
「作戦を組む。まずファイアウォール突破のために必要な条件を整理する。リサの権限残滓の有無を確認する方法。突破に必要な時間。突破中にアラートが飛んだ場合の対処。全部洗い出す」
「その前に一つ」
ミナミが手を挙げた。
「ファイアウォールの前に立つだけでも、モデレーターの巡回をかいくぐる必要がある。地下三階までの通常警備を突破しないと、ファイアウォールの前にすら立てない」
「その対策もいる、ってことか」
「大人数で行けばいいんだ。囮を使う。裏東京のユーザーたちに協力を求めれば——」
「DDoS攻撃か」
おれは笑った。分散型サービス妨害。大量のアクセスでサーバーに負荷をかけて、正規の処理を妨害する。それをリアルでやる。大量の裏東京ユーザーがデータセンター周辺で騒ぎを起こして、モデレーターの注意を分散させる。
「使えるな」
「使える。裏東京には、テネシー計画を知って怒ってる人間がたくさんいる。広告ジャックの件で、おれたちの情報拡散は成功した。協力者は集まるよ」
おれは構造図を保存して、デバイスを閉じた。
ミナミが立ち上がって、壁に映るAR構造図を消した。青い光が消えて、部屋が暗くなった。廃ビルの暗闘。おれたちの作戦会議室は、世界で最も重要な会議が行われているのに、世界で最もみすぼらしい場所だった。
「協力者への連絡は俺がやる。裏東京のネットワークを使えば、今夜中に百人は集まるよ」
「百人で足りるのか」
「足りる。モデレーターの処理能力にはキャパシティがある。同時に百件の異能反応が検知されたら、優先度の判定だけで数分はかかる。その数分が、おれたちの突入時間だ」
「数分。短いな」
「短いから、無駄にするな。地下四階までの最短ルートは頭に入れておいて」
おれは頷いた。構造図のデータは記憶した。地上入口から地下四階まで、最短で六分。走れば四分。
作戦は決まった。裏東京ユーザーのDDoSで注意を分散。混乱に乗じて地下に潜入。リサの権限残滓でファイアウォールを突破する。
侵入テスト——ペネトレーションテスト。本来はセキュリティの脆弱性を検証するための作業だ。だがおれたちがやるのは、テストじゃない。本番だ。失敗は許されない。ロールバックのない本番環境への直接投入。エンジニアが最も恐れるやつだ。
おれはインターフェースに触れた。異能が応答した。不安定な動作。まだ万全じゃない。
だが、万全を待っていたら世界が同期される。
「明日の夜。決行だ」
リサとミナミが頷いた。
侵入テストの開始。おれたちのセキュリティ診断は、世界を壊す側の壁を壊すためにある。