小説置き場

第38話「アドブロックの逆襲」

2,964文字 約6分

広告は嫌われている。

 当たり前だ。フリープランのユーザーは毎日平均四十七回、スキップ不可の広告を強制視聴させられる。一回五秒。合計三分五十五秒。年間で約二十四時間。人生の丸一日が、見たくもない広告で奪われている。

 だからこそ、逆に使える。

「広告配信サーバーのアーキテクチャは単純よ」

 リサがジャンク屋の端末に広告システムの構成図を表示した。エンタープライズ時代の記憶を頼りに、手書きで再現したものだ。

「広告コンテンツは中央サーバーから各エリアの配信ノードに送られる。配信ノードがフリープランユーザーのAR視界に広告を注入する。配信ノードは東京だけで百二十八箇所。各ノードがカバーするのは約三万人」

「百二十八ノード掛ける三万人。三百八十四万人」

「東京のフリープランユーザーのほぼ全員。そのうち裏東京のエリアをカバーするノードは十六箇所。約四十八万人」

 おれはコーヒーを一口飲んだ。薄い。だが脳は冴えている。

「配信ノードに侵入して、広告コンテンツを差し替える。オムニバース社の裏帳簿データを、広告として配信する」

 リサが目を見開いた。二秒間。それから、口の端が持ち上がった。

「フリープランの広告は、ユーザーがスキップできない。五秒間、強制表示。視界をジャックする」

「そう。おれたちがいつも嫌がっているあの仕組みを、逆に使う。オムニバース社が自分で作った強制広告の仕組みで、オムニバース社の不正を全ユーザーに見せる」

「掲示板に投稿するのとは違う。受動的に情報を受け取る。クリックする必要がない。検索する必要もない。ただ生活しているだけで、全員の目に入る」

「フェイクニュースとして封殺するにも、全員が同時に見た後だ。三百八十四万人が同時に見た事実は、なかったことにできない」

 リサが構成図の一点を指した。

「問題は侵入方法。配信ノードのセキュリティはエンタープライズ級ではないけど、一般的な防壁がある。正面から突破するには時間がかかりすぎる」

「正面からは行かない。裏口を使う」

「裏口?」

「広告配信ノードは、広告主からコンテンツを受信するAPIを持っている。広告主認証さえ通れば、任意のコンテンツを配信できる。つまり——」

「偽の広告主アカウントを作る」

「おれの詐欺UIスキルの出番だ」

 三時間かけた。おれは架空の広告主アカウントを構築した。社名は「ヴェリタス・メディア株式会社」。登録番号、決済情報、過去の広告配信実績、担当者の顔写真付きプロフィール——全てが本物に見える偽物。おれの異能は「人を騙すインターフェースを作る」こと。広告主認証システムを騙すインターフェースを作ることも、その範疇に入る。

 認証システムは三段階。企業情報の照合、決済情報の検証、そして過去の配信実績の確認。一番目と二番目はデータの偽装で突破できる。三番目が厄介だった。配信実績がないアカウントは新規扱いになり、審査に三日かかる。三日は待てない。

 だからおれは、既に配信実績のある休眠アカウントを乗っ取った。半年前に広告配信を停止した中小企業のアカウント。パスワードリセットのセキュリティが甘い。セキュリティの質問が「好きな食べ物」だった。総当たりで三十七回目に正解した。答えは「ラーメン」。日本人の好きな食べ物ランキング一位。もう少しひねってほしかった。

 リサは広告コンテンツを作成した。裏帳簿のデータから、最もインパクトのある数字だけを抜き出した。

 使途不明金二百億円。意識同期サーバー。月間廃棄ユーザー八百四十七人。

 五秒で理解できる量。それ以上は入らない。広告だから。

「配信時間は?」

「明日の朝八時。通勤時間帯。最もアクティブなユーザーが多い時間。全百二十八ノード同時配信」

「百二十八全部? 裏東京だけじゃなく?」

「全部だ。やるなら最大範囲でやる。裏東京だけじゃ規模が小さい。東京全域のフリープランユーザー三百八十四万人に、同時に見せる」

 リサが少し黙った。リスクを計算している。

「オムニバース社は即座にノードを遮断する。配信が始まってから遮断まで、早ければ三十秒。遅くても二分。つまり——」

「最初の五秒で全員に届けばいい。広告一回分。五秒間。スキップ不可」

「一回で十分か」

「十分だ。数字は、一度見たら頭に残る。二百億って数字は忘れにくい」

 翌朝。午前八時。

 おれは配信ボタンを押した。

 東京全域。百二十八ノード。三百八十四万人のフリープランユーザーのAR視界に、同時に表示が現れた。

 いつもの広告枠。いつものスキップ不可の五秒間。だが今日の広告は違った。

 白い背景に黒い文字。

 【オムニバース社 裏帳簿より】  使途不明金: ¥20,473,000,000  意識同期サーバー維持費: ¥17,197,000,000  月間廃棄ユーザー: 847人  あなたの脳は搾取されている。

 五秒。

 東京中のフリープランユーザーが、通勤途中の電車の中で、朝食のテーブルで、路上で、同じ文字列を読んだ。

 おれのデバイスにログが流れ込む。配信成功率。九十七・三パーセント。三百七十三万人に到達。

 八秒後。オムニバース社のシステム管理が異常を検知。

 十五秒後。配信ノードへの緊急遮断命令が発行。

 二十二秒後。百二十八ノード中、九十一ノードが遮断完了。

 三十八秒後。全ノード遮断。

 だが遅い。広告は五秒で完結する。三十八秒は、七回分の広告時間だ。

 匿名掲示板が爆発した。

 「なんだ今の広告」「バグか?」「二百億って何」「廃棄ユーザーって何のこと」「意識同期サーバー?」「あの広告、初めて役に立ったな」

 最後のコメントに、おれは小さく笑った。

 初めて役に立った。そうだ。フリープランの強制広告は、今日初めて、ユーザーのために使われた。

 リサが画面を見ていた。掲示板の書き込み速度。毎秒三百件を超えている。

「前回とは違う」

「違う。今回は、全員が自分の目で見た。匿名掲示板の投稿じゃない。自分のAR視界に表示された。公式の広告枠に。それが大きい」

 オムニバース社の公式アカウントが動いた。今回も「フェイク情報」としての声明を出そうとしている。だが——

 「いや、おれも見たぞ。公式の広告枠だっただろ」「フェイクって言うけど、広告サーバーから配信されたんだろ? 外部の投稿とは違うぞ」「そもそもオムニが自分の広告枠で配信したんだから、オムニの情報じゃないのか?」

 混乱。情報の出所が公式のインフラから配信されたことで、「フェイクニュース」の一言では片付けられなくなっている。

 小さなうねりが始まった。

 三百七十三万人が同時に見た五秒間は、もう消せない。スクリーンショットが拡散している。エンタープライズ層の投資家フォーラムでも、今度は「公式インフラから配信された」という事実が無視できない重さを持ち始めている。

 おれはデバイスを閉じた。

「次の手を考えよう」

「まだ考えるの」

「当たり前だ。これで終わりじゃない。うねりは始まったけど、まだ小さい。オムニバース社が本気で封殺に来る前に、もう一手打たないと」

 リサが頷いた。

 窓の外で、朝の光が裏東京の路地を照らしている。灰色のARウォーターマークが、いつもと同じように視界の端に浮かんでいる。だが今日は、その灰色の下に、三百七十三万人の疑問が芽生えている。

 広告は嫌われている。だが今日だけは——感謝された。