三度目の遭遇は、おれたちが仕掛けた。
リサの作戦だった。おれは実行補助に回る。主導権をリサに渡すのは初めてだ。おれのデバイスはリサの指示で動く。今日のおれは、リサのツールだ。
「場所は品川の旧物流倉庫。カインの巡回ルート上にある。午後九時に通過する」
「巡回ルートを特定したのか」
「三日間観察した。カインの巡回は完全にパターン化されてる。ランダム要素がない。なぜだと思う?」
「ランダムにする必要がないと判断してるからだ。自分の戦闘力に自信がある」
「違う」リサが首を振った。「カインはランダムにしないんじゃなくて、できないの。カインの行動原理は『確認してから行動する』。ランダムな行動は確認のしようがない。確認できないことはしない。だから巡回ルートは毎回同じ」
カインの最大の強みが、最大の制約でもある。確認可能な範囲でしか動けない。
午後九時。旧物流倉庫。カインが巡回ルート通りに入ってきた。
「三度目か」
「三度目だ」おれが答えた。
カインが構えた。おれは詐欺UIを展開した。
第一波。サポート詐欺。偽のシステム警告。
カインが確認した。「偽装。無視」
第二波。クリックジャッキング。透明ボタン。
カインが確認した。回避した。
第三波。ワンクリック詐欺。地面のトラップ。
カインが確認した。踏まなかった。
全てカインに確認されている。全て無効化されている。前回と同じ展開だ。
だが今日は、ここからがリサの番だった。
「カイン隊長」
リサが前に出た。おれの背後から、カインの正面に。
「何だ」
「一つ、確認してほしいものがあるの」
カインの目が動いた。リサの言葉が「確認」という単語を含んでいたからだ。カインは確認する人間だ。確認を求められたら、確認せずにはいられない。
リサがおれに目配せした。おれはデバイスのキーを叩いた。今度は詐欺UIではない。カインのAR視界に、一通の文書を表示した。
オムニバース社の内部命令書だ。
ミナミのデータから抽出した本物だ。偽装ではない。本物の内部命令書。日付は八ヶ月前。内容は——
『モデレーター第三部隊に対する特別指示。データセンター東京第三・地下四階区画の存在を、第三部隊隊長カインを含む全隊員から秘匿すること。テネシー関連情報への接触を防ぐため、巡回ルートからデータセンター東京第三を除外する。この命令はRoot直轄階層の指示による。命令の存在自体を対象者に開示してはならない』
カインの目が命令書の文面に固定された。
読んでいる。確認している。カインは確認する人間だ。目の前に表示されたものは、必ず確認する。
読み終わった。カインの表情が変わった。初めて見る表情だった。怒りではない。困惑でもない。もっと深い何か。信頼が揺らいだ人間の顔だ。
「これは——本物か」
「本物よ」リサが言った。「確認して。あなたならできる。フォーマット、認証印、発行元コード。全部、あなたが毎日確認しているモデレーター命令書と同じ書式でしょう」
カインが命令書を検証していた。一行ずつ。認証コード、フォーマット、発行元。カインの目の動きがおれには見えた。
「本物だ」カインが呟いた。
「あなたは知らなかったのね」リサが一歩近づいた。「テネシーのこと。上層部はあなたに隠していた。正しい人間だから。知ったら正しい判断をしてしまうから」
カインが黙った。拳が震えている。十五秒の沈黙。
この十五秒が、おれの出番だった。
カインが葛藤している間に、おれは動いた。倉庫の梁を使って上方に回り込み、カインの背後に降りた。デバイスを構えた。カインの後頭部の生体ポートが見える。
近接ポート接続。三秒間の密着。
おれはデバイスをカインの生体ポートに押し当てた。
一秒。
カインが気づいた。体が動いた。だが——動きが遅かった。通常のカインなら0.3秒で反応する。だが今のカインは、自分の正しさと上層部の欺瞞の間で処理が追いついていない。反応に一秒以上かかった。
二秒。
カインの肘がおれの肋骨を打った。痛い。だがデバイスは離さない。
三秒。
接続完了。カインのニューロ・リンクにコマンドが流れ込んだ。スタンダードプランの異能強化が一時的に無効化される。月額九千八百円の武装が沈黙する。
カインが膝をついた。
異能が消えたカインは、ただの人間だ。鍛え上げられた体術は残っている。だが異能の補助なしでは、おれとリサの二対一に耐えられない。
だがカインは戦闘を続けなかった。膝をついたまま、命令書の文面を見ていた。
「リサ」
「何?」
「この命令書は——おれの信じていたものが間違っていたという証拠か」
「違う。あなたの信じていたものは間違っていない。正しく確認し、正しく判断し、正しく行動する。それは間違っていない。ただ——あなたが確認できる範囲が、上層部によって制限されていただけ」
カインが立ち上がった。異能は無効化されている。だがカインの目は折れていなかった。
「おれは敗けた。認める。だが——お前たちの方法は、おれには受け入れがたい」
「知ってる」おれが言った。「お前は嘘が嫌いだ」
「嫌いだ。だが今日見せられた命令書は本物だった。嘘ではなかった。おれが見ていなかった真実だった」
カインがおれたちに背を向けた。歩き出した。
「次はない」
カインの声が倉庫に反響した。
「次にお前たちと遭ったとき、おれは確認済みの情報だけで戦う。隠された命令書は確認した。上層部の欺瞞は確認した。次からは、それも含めて判断する。同じ手は二度と通じない」
カインが倉庫から出ていった。足音が遠ざかる。一定の歩調。巡回ルートに戻ったのか、それとも別の道を歩いているのか。
おれは肋骨を押さえた。痛い。カインの肘打ちは異能なしでも充分に重い。
「勝った、のか?」
「勝ったわ。今日は」
リサが息を吐いた。緊張が解けた顔だ。
「リサ。お前、いつあの命令書のことを思いついた」
「カインと最初に遭ったとき。カインが広告のタイミングを暗唱したのを聞いて。あの人は確認する人間だと分かった。確認する人間の弱点は、確認すべきものを見せられたとき、確認せずにはいられないこと。そして確認した結果が自分の信念と矛盾したとき——処理が止まる」
「おれの詐欺UIと似てるが、違う」
「似てるけど違うわ。あなたの詐欺UIは偽物を本物に見せる技術。私がやったのは、本物を本物として見せる技術。カインに見せたのは本物の命令書。嘘は一つもなかった。ただ、カインが知らなかった真実を、最適なタイミングで提示しただけ」
おれはリサを見た。師弟の始まり、とおれは思っていた。おれがリサに詐欺UIの基礎を教えていると。だが今日のリサは、おれが教えた技術を使っていなかった。リサ独自の戦術だ。在庫を読む力を、信念を読む力に拡張した。おれには作れない技だ。
「お前、おれを超えたな」
「超えてない。方向が違うだけ。あなたは嘘で戦う。私は真実で戦う。どちらも——相手の隙を突くことに変わりはない」
おれは笑った。乾いた笑いだ。
パートナーが師匠を超える瞬間を、おれは見た。いや、違う。パートナーが自分の戦い方を見つけた瞬間を見た。
倉庫を出た。十二月の夜。寒い。肋骨が痛い。だがカインに勝った。
「カインは戻ってくる」リサが言った。
「ああ。次はないと言ったが、あれは『次は負けない』という意味だ」
「分かってる。だから——次までに、もっと強くならないとね」
おれたちは裏東京に向かって歩いた。偽装バッジの金色が暗闇に光っている。偽物の金持ち。だが今夜は、月額九千八百円の武人を倒した偽物の金持ちだ。
デバイスの画面にテネシーの情報が光っている。データセンター東京第三、地下四階。カインという障壁は超えた。だがデータセンターには、まだ三重の防壁とモデレーター八名が待っている。
先は長い。だが一歩進んだ。
おれは干し肉を取り出した。今日は袋に二本残っていた。一本をリサに渡した。
「お疲れ」
「お疲れさま」
冷たい干し肉を齧りながら、おれたちは十二月の東京を歩いた。
月のない夜だった。だがウォーターマークの灰色が、かすかに道を照らしていた。