小説置き場

第32話「マルチスレッドの収束」

2,837文字 約6分

三つのプロセスが同時に走っていた。

 おれ、リサ、ゼロ。目的は同じだがアプローチは全く違う。非同期の並行処理。互いの進捗は見えないし、完了のタイミングも分からない。だがおれは三つのスレッドが同じ結論に収束すると信じていた。信じていたというより、計算上そうなるはずだった。

 おれの担当は規約文書の解析だ。

 ミナミが手に入れたオムニバース社の内部文書。技術仕様の本体ではなく、法務部門が作成した規約のドラフト版が十二種類含まれていた。正式版の規約は公開されているが、ドラフト版は違う。ドラフトには修正履歴が残っている。削除された条項、書き換えられた文言、コメント欄の議論の痕跡。

 おれが探しているのは「テネシー」という単語だ。

 正式版の規約にはテネシーの文字は一切ない。当然だ。極秘計画の名称を利用規約に書く馬鹿はいない。だがドラフト版には痕跡がある。法務部門は技術部門から仕様書を受け取って規約文を起草する。その過程で技術用語が紛れ込むことがある。

 デバイスの画面に十二のドラフト版を並べた。右耳の後ろを掻きながら、一行ずつ目を通していく。

 三時間後。見つけた。

 ドラフト第七版。第八百四十七条の注釈欄に、法務担当者のコメントが残っていた。

 『本条項はテネシー・フェーズ2の実装に伴い、ユーザーの演算リソース利用範囲を拡大する必要があるため新設。フェーズ1(現行の生体ボットネット)からフェーズ2(意識同期基盤)への移行に法的根拠を提供する目的』

 テネシー・フェーズ2。意識同期基盤。

 おれの背筋が冷えた。生体ボットネットはフェーズ1だった。脳の余剰処理能力を搾取するだけの、いわば初期バージョン。テネシーはその次のフェーズだ。脳の処理能力ではなく、意識そのものを同期する。

 つまりテネシーが完成すれば、ユーザーの脳を借りるだけでは済まない。ユーザーの意識を統合する。個人が消える。

 デバイスを閉じた。手が震えていた。怒りではない。恐怖だ。純粋な恐怖。

 おれの両親は脳の処理能力を搾取されて死んだ。フェーズ1で死んだ。フェーズ2が来たら、死ぬのではなく消される。

 その夜、リサが戻ってきた。

 偽装バッジを外しながら、オヤジの店の裏に滑り込んだ。銀髪に冬の雨粒がついている。頬が赤い。走ってきたらしい。

「情報があるわ」

「おれもだ。先に聞く」

 リサが深呼吸した。

「カガミの伝手を頼って、上位レイヤーのビジネスプラン契約者に接触した。元オムニバース社の技術部門にいた人間。リストラされて、今はフリーランスで上位レイヤーの企業にコンサルしてる」

「情報の信頼度は」

「高い。カガミが身元を保証した。カガミの保証がどこまで信用できるかは別だけど、情報の内容が具体的すぎて、嘘なら逆に辻褄が合わない」

 リサの判断基準が変わっている。以前なら「信頼できる人間だから」と言っただろう。今は「情報の構造が嘘と整合しないから」と言っている。おれの教え方が染みてきたらしい。

「で、内容は」

「テネシーは三段階のプロジェクト。フェーズ1が生体ボットネット。フェーズ2が意識の部分同期——特定のユーザーグループ間で思考を共有する実験段階。フェーズ3が全ユーザーの完全同期。その元技術者が言うには、フェーズ2は既にテスト運用が始まっている」

「始まっている?」

「Root直轄階層の中で。小規模な同期実験がもう進行中だって」

 おれの規約文書の解析結果と一致する。フェーズ2は計画段階ではなく、実装段階に入っている。

「もう一つ」リサが言った。「フェーズ3の実行には、データセンターの物理コンソールからの直接入力が必要になる。遠隔操作では全ユーザーの同期は処理しきれない。だからデータセンターが鍵になる」

 データセンター。物理コンソール。

 おれのデバイスが震えた。匿名メッセージ。送信元不明だが、復号パターンに見覚えがある。ゼロだ。

 メッセージは短かった。

 『データセンター東京第三。地下四階に増設された新区画。冷却システムの規模が異常。通常のサーバー運用に必要な冷却量の七倍。生体信号をリアルタイム処理するための専用ハードウェアが設置されていると推定。物理防壁は三重。警備はモデレーター常駐八名。侵入経路は未発見。以上』

 ゼロの物理偵察の成果だ。データセンター東京第三の地下四階。冷却量が七倍。人間の意識を処理するためのハードウェア。

 三つの情報が揃った。

 おれの規約文書解析——テネシーは意識同期基盤への移行計画。

 リサの上位レイヤー人脈——フェーズ2は既にテスト運用中で、フェーズ3にはデータセンターの物理コンソールが必要。

 ゼロの物理偵察——データセンター東京第三の地下四階に意識処理用の専用ハードウェアが増設されている。

 三つのスレッドが同じ結論を指している。

 テネシーは「いつか来る脅威」ではない。もう動いている。データセンターの地下で、人間の意識を統合するためのハードウェアが唸りを上げている。

 リサがおれを見た。おれはリサを見た。

「マージする?」リサが聞いた。三つの情報を統合するか、という意味だ。

「マージする。だが——結論を認めたくない自分がいる」

「分かる。私も」

 リサが干し肉の袋を開けた。おれも一本取った。冷たい。十二月の干し肉。不味い。だが味はある。

「テネシーを止めるには、データセンターの物理コンソールを制圧する必要がある」

「防壁三重、モデレーター常駐八名。ゼロの偵察だと侵入経路は未発見」

「ゼロが見つけられない経路は、物理的には存在しないんだろうな。あいつは物理偵察のプロだ」

「じゃあ物理じゃない方法で入るしかないわね」

 リサが笑った。物騒な笑い方だ。おれの教え方が染みすぎている。

「物理じゃない方法。つまり」

「正面から入る。偽装で。あるいは——招かれて入る」

「招かれる方法を、まだ持ってない」

「持ってないなら、作るのよ。あなたが一番得意なことでしょう。存在しないものを、あるように見せる。入口がないなら、入口があるように見せる。招待状がないなら——」

「招待状を偽造する」

 おれたちは顔を見合わせた。同じ結論に辿り着いた。規約に基づいたパートナーが、規約に基づかない共謀をしている。

 視界のウォーターマークが薄く光った。Omniverse Free。おれたちの存在そのものを「無料」と定義する灰色の烙印。

 だがこの灰色の下で、三つの独立したプロセスが一つの結論にマージされた。

 テネシーを止める。データセンターに入る。

 方法はまだない。だが目標は定まった。

 おれはデバイスを閉じた。干し肉を齧った。リサも齧った。二人の咀嚼音だけがオヤジの店の裏に響いていた。

 外では十二月の雨が降っている。冷たい雨。無課金には傘を買う金もない。だが屋根はある。オヤジの店の、錆びたトタンの屋根。

 雨音を聞きながら、おれは考えていた。データセンター東京第三。地下四階。防壁三重。モデレーター八名。

 正面から入る方法を、これから設計する。

 三つのスレッドの仕事は終わった。次はメインスレッドの仕事だ。