小説置き場

第31話「正義のDoS攻撃」

3,495文字 約7分

闇オークションの混乱から二日。おれはアンダー・ラグの廃ビル群の屋上で、深夜の東京を見下ろしていた。

 視界の右端にOmniverse Freeの灰色のウォーターマーク。見慣れた呪い。だが今夜はそれすら気にならないほど、脳が別の処理に追われていた。

 ゼロ。

 おれと同じ脱獄済みデバイスを持つハッカー。闇オークションで直接ぶつかった。ドローだった。おれの詐欺UIを正面から突破してきた人間は、カガミを除けばあいつが初めてだ。しかもカガミは見抜いただけで、ゼロは力づくで叩き潰してきた。

「来たか」

 背後の非常階段から足音が聞こえた。重い。金属を踏む音。ブーツの底が硬い。モデレーターの足音に似ているが、リズムが違う。モデレーターは規則正しく歩く。こいつの足音は不規則で、どこか壊れている。

 ゼロが屋上に姿を現した。黒いコート。フードは被っていない。こいつはフードを被らないタイプの脱獄者だ。おれとは違う。顔を晒して歩いている。隠す気がない。

「指定した場所に来るとは思わなかった」

「来ないと思ってたなら、なぜメッセージを送った」

「五分五分だった。来る確率と、罠だと判断して来ない確率が」

「おれは罠じゃないと判断した。お前が罠を仕掛けるタイプじゃないからだ」

 ゼロがおれを見た。冷たい目だが、どこか疲れている。二十歳前後に見える。おれより少し上か。頬が削げている。食事をまともにしていない顔だ。おれと同じ、無課金の顔。

「何の用だ」

「聞きたいことがある。お前、なぜオムニバース社の施設を壊して回ってる」

 ゼロが黙った。三秒。おれの質問が予想内だったのか予想外だったのか、表情からは読めない。

「オークションの帰りに調べた」おれは続けた。「過去六ヶ月で、オムニバース社の中継ノード施設が七ヶ所物理的に破壊されている。全部、同じ手口だ。脱獄デバイスで内部セキュリティを無効化した後、物理的にサーバーラックを破壊。復旧不能レベルの損害。モデレーター部隊が毎回出動しているが、犯人は捕まっていない」

「よく調べたな」

「おれは詐欺師だ。相手の情報を調べるのは基本スキルだ。——で、七ヶ所の施設には共通点がある。全部、生体ボットネットの中継ノードだ」

 ゼロの目が動いた。わずかに。おれの言葉が核心を突いたときの反応だ。

「壊してるのはランダムじゃない。生体ボットネットのインフラを狙い撃ちにしてる。なぜだ」

 ゼロが屋上の縁に腰を下ろした。東京の夜景を見ている。AR上の光ではなく、その向こうの、物理的な光を。

「妹がいた」

 過去形だ。おれは黙って聞いた。

「三つ下の妹だ。フリープランのユーザーだった。おれがニューロ・リンクの脱獄に成功する前に、あいつはもうフリープランに繋がれていた。広告を見せられて、ウォーターマークを焼きつけられて、毎晩四時間、脳の処理能力を搾取されていた」

 ゼロの声は平坦だった。事実を並べている。感情がないわけじゃない。感情を出すと処理が止まるから、抑制しているだけだ。おれと同じ方法だ。

「生体ボットネットの負荷は個人差がある。おれは比較的耐性があった。だが妹は——演算リソースの消費量が通常の三倍だった。体質だ。バグじゃない。仕様だ」

 仕様。その単語が空気を凍らせた。

「三倍の負荷を毎晩四時間。半年で脳の一部が物理的に損傷した。オムニバース社の無許可クリニックに運ばれたとき、医者が言った。『演算負荷の過剰によるニューロ・リンク周辺組織の壊死。回復の見込みなし』。植物状態だ。今もそのクリニックのベッドにいる」

 おれは何も言わなかった。言えなかった。

 おれの両親は生体ボットネットの負荷で死んだ。三ヶ月で。だがゼロの妹は死んでいない。死ぬことすら許されず、ベッドの上で脳を壊されたまま生かされている。

 どちらが残酷かなんて比較に意味はない。どちらも同じシステムが生んだ被害者だ。

「それからだ」ゼロが立ち上がった。「おれは施設を壊し始めた。中継ノードを一つ破壊すれば、その周辺の生体ボットネットの負荷が一時的に落ちる。落ちている間は、妹と同じ目に遭う人間が減る。一時的にだ。オムニバース社はすぐに復旧させる。だからまた壊す」

「いたちごっこだ」

「そうだ。だが壊している間は、誰かが楽になっている。一時間でも二時間でも。おれにはそれしかできない」

 ゼロの論理は分かる。処理できる。壊すことでしか救えない。壊し続けることでしか抗えない。

 だが。

「お前のやり方じゃ何も変わらない」

 おれは言った。冷たく聞こえただろう。意図してそうした。

「中継ノードを七ヶ所壊した。で、生体ボットネットは止まったか。止まってない。オムニバース社の施設は百以上ある。お前が一つ壊す間に三つ復旧する。演算効率的に、お前は負け続けている」

 ゼロがおれを見た。怒りではなかった。承知の上の目だった。

「知ってるよ。だが——お前の詐欺ごっこも同じだろう」

 おれの手が止まった。

「お前はモデレーターを何人倒した? ガシマを落とした。闇オークションを荒らした。で、システムは変わったか? Root直轄階層は揺らいだか? お前がやってることは、バグ報告だ。バグを報告して、運営に無視されて、また報告する。その繰り返しだ」

 反論できなかった。

 反論できなかった理由は、ゼロの言葉が正しいからだ。おれは詐欺UIでモデレーターを倒してきた。だが倒した先に何がある。ガシマを倒しても、次のエリアマネージャーが来るだけだ。おれがやっていることは、システムの末端を削っているだけで、根本には届いていない。

「おれたちは同じだ」ゼロが言った。「方法が違うだけで、どっちもシステムに負けている。お前は頭を使って負けている。おれは体を使って負けている。結果は同じだ」

 夜風が吹いた。十二月の風。無課金には暖房がない。風が肌に直接当たる。

「だが」ゼロが続けた。「お前のやり方は嫌いだ。騙すことで勝つ。騙された相手は、自分が何に負けたか分からない。それは——正しくない」

「正しさで飯が食えるなら苦労しない」

「正しさで飯は食えない。正しさで妹も目を覚まさない。だが——正しくないことをして勝っても、妹に報告できない」

 おれは黙った。

 ゼロは妹のために戦っている。報告する相手がベッドの上で目を閉じたままの人間だとしても。

 おれの両親は死んでいる。報告する相手はもういない。だからおれは手段を選ばない。

 ゼロには報告する相手がいる。だから正しくあろうとする。

 同じ怒りで、違う戦い方。

「テネシーの情報を追っている」おれは話題を変えた。「お前も追っているだろう」

「追っている。データセンターの物理配置を偵察している」

「おれは規約文書の解析でアプローチしている。リサは上位レイヤーの人脈から」

「リサ。元エンタープライズの令嬢か」

「そうだ」

「信用できるのか」

「信用はしている。規約に基づいてだ」

 ゼロが鼻を鳴らした。嘲笑ではなかった。呆れに近い。

「規約。お前はどこまでもシステムの言葉で生きてるな」

「システムの言葉でシステムを壊すんだよ。お前みたいに物理で壊すんじゃなく」

「結果は同じだと言っただろう」

「結果を変えるために情報を共有しないか、と言っている」

 ゼロが黙った。五秒。長い五秒だった。

「共有する気はない。だが——邪魔もしない。テネシーの情報が見つかったら、おれはおれのやり方で使う。お前はお前のやり方で使え」

「並行処理か」

「嫌いな言い回しだな。だがそうだ」

 ゼロが非常階段に向かった。背中が見える。黒いコート。フードなし。顔を晒して歩く脱獄者。

「ゼロ」

 呼び止めた。ゼロが振り返らなかった。

「妹の名前は」

「お前に教える情報じゃない」

「そうか」

 ゼロが消えた。階段を降りる足音が、不規則に遠ざかっていく。

 おれは屋上に残った。十二月の風。視界のウォーターマーク。灰色の透かし文字。

 ゼロの妹は植物状態で、おれの両親は死んでいる。どちらも生体ボットネットの仕様通りの結果だ。バグじゃない。仕様だ。

 仕様なら、書き換えるしかない。壊すのではなく。

 だがゼロの「壊す」という選択を、おれは否定できなかった。壊すことでしか届かない怒りがある。おれの詐欺UIでは到達できない場所に、ゼロの拳は届いている。

 敵じゃない。味方でもない。同じ怒りを持った、別のプロセスだ。

 並行処理。いい言い方だと思った。

 おれはデバイスを取り出した。テネシーの規約文書解析を再開する。ゼロが物理偵察でデータを取っている間に、おれは文字列の中から手がかりを掘る。

 干し肉を齧った。冷たい。十二月の夜に食う干し肉は、夏よりさらに不味い。だが味はある。オヤジの言う通り。

 味がある限り、まだ戦える。