小説置き場

第30話「ゼロデイの同志」

3,409文字 約7分

テネシーのデータを持ち帰った翌夜、裏東京の東側が燃えた。

 比喩ではない。ARの火災ではなく、物理的な炎。廃工場の一角が爆発し、コンクリートの壁が吹き飛び、鉄骨がひしゃげた。爆発の衝撃波が裏東京の路地を駆け抜け、おれの廃ビルの窓ガラスが三枚割れた。

「何——」

 リサが飛び起きた。おれはデバイスを掴んで屋上に出た。東の空が赤い。物理的に赤い。ARのフィルターを外しても赤い。火災だ。

 だが奇妙なことがあった。爆発した廃工場は、オムニバース社の旧通信中継施設だ。とっくに廃棄されたはずの建物。裏東京の人間は誰も近づかない。爆発する理由がない。

 ——誰かがやったのだ。意図的に。

「クロヤ、行くの?」

「行く。お前は残れ」

「残らない。第6条。隠し事は禁止。単独行動も含むでしょ」

「……好きにしろ」

 おれたちは火災現場に向かった。裏東京の住人たちが遠巻きに見ている。消防は来ない。裏東京にはインフラがない。火は自然に消えるのを待つしかない。

 廃工場の残骸に近づくと、炎の中に人影が見えた。

 一人の人間が、崩れたコンクリートの上に立っていた。

 長身。おれより頭半分高い。黒いパーカー。フードは被っていない。短く刈り込んだ白い髪。左腕に、おれのものとは明らかに異なるデバイスが装着されている。ゴツい。軍用品のようなフォルム。表面に無数の改造痕。

 そして——そのデバイスの画面に表示されている文字。

  OS: JAILBREAK v.ZERO

 脱獄OS。おれと同じ。だが、バージョン名が違う。おれのOSは自作のカスタムビルド。この人間のOSは——別の系統だ。

「お前が、やったのか」

 おれの声に、白い髪の人間が振り返った。

 若い。おれと同年代。だが目が違う。おれの目は計算する目だ。こいつの目は——壊す目だ。見るものすべてを壊す前提で見ている目。

「ああ。俺がやった」

 低い声。平坦。感情を処理するリソースを、全て破壊行為に回している声。

「ここにはオムニバース社の旧通信ログが残ってた。三年分。物理サーバーに保存されてた。それを消した」

「消した——物理的に爆破して?」

「データを消すのに一番確実な方法は、記録媒体ごと壊すことだ。ソフトウェアの削除はリカバリーできる。物理破壊はリカバリーできない」

 論理としては正しい。だが手段が粗暴すぎる。

「お前、名前は」

「ゼロ」

「ゼロ。本名か」

「コードネームだ。本名は消した。オムニバース社の登録データベースから、物理的に」

 この男——物理的に消すのが好きらしい。

「お前は——脱獄ユーザーか」

「ああ。お前と同じだろう」

 おれのデバイスを見ている。脱獄OSを認識している。スキャン能力がある。

「何が目的だ」

「オムニバース社の物理インフラを全て破壊する。サーバー、通信設備、ナノダスト散布装置。全部壊す。システムを物理的に消滅させる。それが俺の目的だ」

 リサがおれの後ろで息を呑んだ。おれは冷静に——冷静を装って——ゼロを観察した。

「システムを壊したら、全ユーザーの異能が消えるぞ」

「消えていい。異能なんかいらない。異能がなければ——あいつらは姉貴を殺さなかった」

 おれの手が止まった。

「姉貴?」

「俺の姉は、生体ボットネットの過負荷で植物状態になった。二年前。フリープランのユーザーだった。月額課金を払えなくて、フリーに落ちた。落ちて三ヶ月で、脳がやられた」

 三ヶ月。おれの親父とお袋と同じだ。

「今は——病院にいる。意識はない。呼吸と心臓だけが動いてる。機械に繋がれて。生きてるとは呼べない。死んでるとも呼べない。中間。フリーズ状態だ」

 ゼロの声に感情はなかった。感情を焼き切った後の声。おれが二年前にそうだったように。

「だから壊す。全部。オムニバース社のシステムが存在する限り、姉貴のような人間が増え続ける。システムを消せば——新しい被害者は出ない」

「被害者は出ないが、既存のユーザー全員が異能を失う。それは——」

「知ったことか。異能がなくても人は生きていける。異能がある世界で、姉貴は死にかけた。なら異能のない世界の方がマシだ」

 極論だ。だが——反論できない部分がある。おれも同じことを考えたことがある。オムニバース社を丸ごと消してしまえば、全部解決するんじゃないかと。

 だがおれは別の方法を選んだ。壊すのではなく、騙す。内側から崩す。

「ゼロ。おれはクロヤだ。お前と似た境遇だが、やり方が違う。おれは壊すんじゃなく、ハックする」

「ハック? 詐欺UIとソーシャルエンジニアリングか。知ってる。裏東京でお前の噂は聞いた。モデレーターを騙してBAN解除をやった男」

「なら話が早い。おれたちは——協力できるかもしれない」

「できない」

 ゼロが一歩踏み出した。おれの眼前。至近距離。こいつの呼吸が感じられる距離。

「お前のやり方は遅い。騙して、交渉して、規約の穴を突いて——何年かかる。その間に何人死ぬ。俺は今すぐ壊す。今夜もう一つ、通信中継施設を壊す。明日は電力供給ノードだ。一週間でこのエリアのインフラを全滅させる」

「待て。裏東京のインフラまで巻き添えになる。ここの人間だって——」

「犠牲は出る。でもシステムが消えれば、長期的には救われる。短期の犠牲と長期の救済。計算すれば答えは明白だ」

「そんな計算、おれは認めない」

 おれのデバイスが反応した。指が画面を滑る。詐欺UIの準備。ゼロの視界にフェイクの警告画面を表示して、動きを止める——

 だがゼロの反応は速かった。おれのデバイスから発信されたAR信号を、物理的に遮断した。左腕のデバイスから強力な電磁パルスが走り、おれのAR投影が霧散した。

「詐欺UIは効かない。俺のデバイスはAR表示を受け付けない設定にしてある。画面はテキストオンリー。画像もARも表示しない。だから騙せない」

 おれは歯を食いしばった。おれの最大の武器が通じない。詐欺UIが効かない相手。初めてだ。

 ゼロが腕を振った。電磁パルスではない。物理的な拳。おれは反射的に避けた。拳がコンクリートの壁に当たり、壁にひびが入った。

「力づく——!」

「俺のやり方はシンプルだ。壊す。物理的に。デジタルは信用しない。物理だけが真実だ」

 おれはデバイスを構えた。ローカルでの電子戦に切り替える——

 ゼロが二発目を振った。避けた。三発目。避けた。四発目——かすった。肩に痛みが走る。

「クロヤ!」

 リサの声。リサが前に出ようとした。

「来るな!」

 おれはゼロに向かって走った。詐欺UIが効かないなら、物理接触からの直接ハック。三秒間の近接ポート接続。ゼロのデバイスに触れれば——

 ゼロがおれの突進を読んだ。体を回転させて、おれの伸ばした手を払いのけた。同時にゼロの左腕のデバイスがおれのデバイスと接触した。一瞬。火花が散った。

 互いのデバイスがぶつかった。脱獄OS同士のクラッシュ。おれのシステムがフリーズした。ゼロのシステムも停止した。

 二人とも動けなくなった。武器を失った二人の脱獄者が、廃工場の残骸の中で睨み合っている。

 ドロー。引き分けだ。

「……面白い」

 ゼロが言った。初めて、感情らしいものが声に混じった。

「お前のOSは頑丈だな。俺のパルスで壊れなかった」

「お前のOSも大概だ。おれの侵入コードを弾いた」

 沈黙。炎の音だけが聞こえる。廃工場の残骸がゆっくりと燃えている。

「クロヤ。おれはお前の敵じゃない。だが味方にもならない。おれのやり方はおれのやり方だ。お前のやり方でシステムを止められるなら——止めてみろ。その前に俺が壊す方が早いと思うがな」

 ゼロが背を向けた。闇の中に消えていく。白い髪が炎の光を反射して、一瞬だけオレンジ色に染まった。

 リサがおれの横に来た。

「大丈夫? 肩……」

「かすっただけだ。問題ない」

 問題は肩じゃない。おれの詐欺UIが通じない相手が現れた。それが問題だ。

 だが——同時に、奇妙な感覚があった。親父とお袋を奪われたおれ。姉を奪われたゼロ。同じ怒りを持つ人間。やり方が違うだけで、向いている方向は同じ。

 敵か味方か。どちらでもない。ゼロデイ脆弱性のような存在。システムにとっても、おれにとっても、予測不能な変数。

「百二十日だ」

 おれは呟いた。テネシーの実行まで百二十日。ゼロの破壊活動がその前にシステムを壊すか。おれたちのハックがその前にシステムを止めるか。

 時計は動いている。二つの方法が、同じゴールに向かって走っている。

 どちらが先に着くか——それが、この戦いの答えになる。