闇オークションの会場は、上位レイヤーの廃墟ビルの地下三階にあった。
廃墟といっても上位レイヤーの廃墟だ。裏東京のそれとは格が違う。壁はまだ白く、空調は動いている。ARで装飾されたエントランスには、金色のフレームに黒い文字で「INVITATION ONLY」と表示されている。
おれとリサは偽装パッチ全開で来ていた。ステータスはプレミアムプラン。信用証明は四十八時間かけて偽造したもの。デバイスの処理能力を限界まで使って構築した、おれの最高傑作の偽装コードだ。
入場審査は三重。第一関門がAR上のQRコード認証。これは偽造した信用証明で突破できた。第二関門が生体認証——虹彩スキャン。これはリサの提案で、スキャナーのAR表示を書き換えて、別人の虹彩データを流し込んだ。第三関門が人間の目視チェック。
目視チェックの担当は、黒いスーツを着た大柄な男だった。プレミアムプランの高画質ARが、男のスーツに微細なテクスチャを加えている。上位レイヤーの人間は服にARフィルターをかける。ブランド品のように見せるためだ。
「招待状を」
「こちらです」
リサが前に出た。在庫読みの目。門番の男の視線の動き、呼吸のリズム、手の位置を一瞬で読む。
「失礼ですが、遅れて申し訳ありません。会場の空調が少し低いですね——着替える時間がなくて」
世間話に見せかけた情報収集。門番の反応で、このオークションの客層と雰囲気を推測している。リサは昨日おれが教えたソーシャルエンジニアリングの基本を、もう自分のものにしていた。
門番がおれたちの招待状を確認した。三秒。五秒。おれの心拍が上がる。偽造が見破られたら、ここで終わりだ。
「どうぞ」
通った。
地下三階のフロアは広かった。天井が高い。ARで投影された豪華なシャンデリアが浮かんでいる。壁際にはガラスケース——ARのガラスケースだ——が並び、中に商品が展示されている。
商品は——異能だった。
「違法コピーされた異能パッケージ」
リサが小声で言った。声が震えている。
「知ってはいたけど、実際に見ると——」
「黙ってろ。顔に出すな。ここではこれが普通なんだ」
ガラスケースの中に、色とりどりの光の球が浮かんでいた。ARで可視化された異能データ。一つ一つにラベルがついている。
[LOT-017] 熱量操作 Lv.3 コピー元:エンタープライズ 開始価格:380万円 [LOT-023] 構造解析 Lv.5 コピー元:プレミアム 開始価格:720万円 [LOT-031] 記憶検索 Lv.2 コピー元:スタンダード 開始価格:150万円
他人の脳から抽出された異能データの違法コピー。コピー元のユーザーは、自分の異能が複製されていることすら知らないだろう。あるいは——知っていて、金のために売ったのかもしれない。
おれは会場を歩きながら、出品リストを探した。テネシー関連の情報。ミナミが言っていた、内部から流出したデータ。
見つけた。リストの最後尾。
[LOT-099] 研究データセット「T」 詳細非公開 開始価格:2,000万円
「T」。テネシーの頭文字か。二千万。おれの全財産の——計算するのも馬鹿らしい倍率だ。
「どうする? 二千万なんて」
「買わない。買えない。だから——別の方法を使う」
おれはデバイスを袖の中で操作した。闇オークションの入札システムのUIを解析する。上位レイヤーのUIだ。フリープランとは比較にならない精密さ。だが、UIはUIだ。人間が操作する画面である以上、騙す余地がある。
入札は匿名。参加者はハンドルネームで入札し、最高額を提示した者が落札する。支払いは暗号通貨。リアルタイムで入札額がAR上に表示される。
おれがやることは単純だ。入札UIを偽装する。
具体的には——参加者全員のAR視界に表示される入札ボードに、存在しない高額入札を挿入する。他の参加者が「もう勝てない」と判断して撤退したところで、偽入札を消す。場が混乱する。そのどさくさに紛れて、LOT-099の出品者に直接接触する。
問題は、この会場のネットワークセキュリティだ。上位レイヤーの闇オークションは当然、AR改竄対策を施している。おれの偽装が検知されれば——
「リサ。おれが合図したら、会場の照明ARに干渉しろ。一瞬だけ明度を上げる。全員の視界にフラッシュが走る。その間に入札ボードを書き換える」
「照明ARに? 私のデバイスで——」
「お前の端末からローカルARにパケットを送れ。照明制御はセキュリティが甘い。商品データと違って、照明に侵入する馬鹿はいないと思われてるから」
リサが頷いた。目が真剣だ。昨日まで教科書を読んでいた生徒が、今日はもう実戦に出ている。
入札が始まった。LOT-099の番が来る。
[LOT-099] 研究データセット「T」 開始価格:2,000万円
入札が入った。
HANDLE_A:2,100万円 HANDLE_B:2,300万円 HANDLE_C:2,500万円
三人が競っている。会場の空気が張り詰める。二千五百万。この金額が、データの価値を証明している。テネシーの情報は本物だ。
「今だ」
リサが操作した。照明ARが一瞬だけ白く弾けた。参加者たちが目を細める。その零コンマ五秒の隙に、おれは入札ボードに偽の入札を注入した。
HANDLE_X:5,000万円
会場がざわめいた。五千万。他の入札者の倍額。圧倒的な金額。
HANDLE_AとBが撤退した。Cが数秒迷って、撤退。誰もHANDLE_Xに対抗できない。
だがHANDLE_Xは存在しない。おれが作った幽霊入札者だ。
落札のカウントダウンが始まった。十秒。おれはその間に偽入札をフェードアウトさせた。HANDLE_Xの入札が「通信エラー」で無効化される。入札ボードが混乱。オークショニアが「システムトラブルです、LOT-099は一時保留」とアナウンスした。
完璧だ。
場が混乱している間に、おれは出品者を探した。LOT-099の管理タグを辿って、会場の隅に立っている人影を特定した。
小柄な人間。フードを深く被っている。性別不明。ARのフィルターで顔が完全に隠されている。
「テネシーのデータを持ってるのは、あんたか」
フードの人間がおれを見た。フィルター越しに、目だけが光っている。
「誰だ。HANDLE_Xの関係者か」
「HANDLE_Xはおれが作った幽霊だ。あの入札は偽物。おれは金じゃなくて情報が欲しい」
沈黙。三秒。
「面白い」
低い声。だが若い。おれと同年代か、少し上。
「名前は」
「トバリ。元オムニバース社のQAエンジニア。テネシーのバグを報告したら、バグじゃなくて仕様だと言われた。そしてクビになった」
「仕様——」
「そうだ。テネシーのバグは仕様だ。設計通りに動いている。設計そのものが狂っているんだ」
トバリがフードを少しだけ上げた。鋭い目。疲れた目。ミナミと同じ種類の目だ。真実を知ってしまった人間の目。
「金はいらない。代わりに——あんたの技術を貸してくれ。おれ一人じゃ、このデータを活かせない」
「データの中身は」
「テネシーの技術仕様書。全百二十七ページ。ナノダスト制御プロトコルの書き換えアルゴリズム。そして——実行予定日」
「実行予定日——もう日程が決まっているのか」
「百二十日後だ。テネシーは百二十日後に全ユーザーに対して実行される」
百二十日。四ヶ月。
おれの脳内タイマーが、その瞬間から動き始めた。カウントダウン。百二十日。二千八百八十時間。百七十二万八千秒。
全ユーザーの異能が書き換えられるまでの、残り時間。
「データをよこせ。おれたちが止める」
トバリの目がおれを見た。リサを見た。フリープランのウォーターマークが、偽装パッチの隙間から一瞬だけ漏れた。
「フリープランか。面白い。底辺がシステムを止めるのか」
「底辺だからこそ止める理由がある。おれたちの脳が最初に書き換えられるんだからな」
トバリが笑った。乾いた笑い。
「気に入った。データを渡す。だが——追われる覚悟はあるか。このデータを持ち出したことは、もうバレている。おれに、そしてこれからはあんたたちにも、刺客が来る」
「来るなら来い。おれの専門は、来た相手を騙すことだ」
オークション会場のざわめきが遠くなる。おれのデバイスにテネシーの技術仕様書が転送されていく。暗号化されたデータの塊。百二十七ページ分の、世界を変える——あるいは壊す——情報。
百二十日のカウントダウンが、静かに刻み始めた。