朝七時、作戦が始まった。ガシマは毎朝八時に商店街に現れる。エリアマネージャーは規則的に動く。会社員だから。
リサが準備を終えた。広告配信のカウンターを確認している。次の広告まで十四分。
「フェーズ1。盾の消耗。俺から行く」
俺はジャンク屋の裏口から出た。路地裏を迂回して、商店街の南端に出た。
八時二分。ガシマが北端から入ってきた。灰色のスーツ。法人カード。SSR武装三点セット。剣、盾、鎧。
俺はデバイスを構えた。ピング攻撃。最低威力。ダメージゼロ。
撃った。
ガシマのAR上に、ほんの一瞬だけ攻撃判定のフラグが立った。自動防御が起動。盾が展開された。
盾の耐久値。残り七。
ガシマは気づいた。
「おっと。誰か撃ったね」
探している。周囲を見回している。だが俺は路地裏の奥にいる。直接は見えない。
三十秒待った。二発目。ピング。
盾が起動。残り六。
「面白いね。ゼロダメージの嫌がらせか」
三発目。残り五。四発目。残り四。
ガシマが苛立ち始めた。ゼロダメージだから実害はない。だが毎回盾が起動するのは気持ちが悪い。
五発目。残り三。
ガシマが路地裏の方向に剣を振った。威嚇。AR上のエフェクトが路地の壁に走った。
六発目。残り二。七発目。残り一。
「しつこいな」
八発目。
盾が——砕けた。
AR上の盾のアイコンが灰色になった。耐久値ゼロ。盾が使用不能。
ガシマの表情が変わった。初めて。
「壊れた? まあいい。買い直せば」
タブレット端末を操作した。ガチャ画面。十連。三万三千円。
金色のエフェクト。新しい盾が出た。
俺のデバイスが決済リクエストをキャプチャ。支払い方法フィールドを書き換え。リボ払い。
「購入完了」。ガシマのAR上には一括三万三千円。サーバー上はリボ。手数料込みで三万八千円。
「フェーズ1完了。フェーズ2に移行」
リサに合図を送った。メッセンジャー。
リサが商店街の東側の路地から姿を現した。銀髪。灰色のウォーターマーク。
ガシマの視界に入った。
「おや。銀髪の嬢ちゃん。君が噂のBAN解除者か」
「元エンタープライズよ。よろしく」
「エンタープライズ! それがフリープランに。人生何があるか分からないね」
リサがガシマに向かって歩いた。挑発的に。ゆっくりと。
ガシマの剣が光った。攻撃態勢。
「近づかないほうがいいよ、嬢ちゃん。これ結構痛いから」
「痛いかどうか、試してみる?」
リサの広告カウンター。残り八秒。
七。六。五。
ガシマが剣を振った。
四。
リサの目が虚ろになった。広告が始まった。
剣の一撃が——リサの体を通り抜けた。
REJECTED: target input channel locked
「何?」
ガシマの顔が歪んだ。攻撃が通らない。
剣の耐久値。残り十一。
五秒後。リサの視界が戻った。十メートル後退。次の広告まで三十六分。
「一回」
リサが呟いた。残り十一回。
三十六分のインターバル。その間にリサはガシマの視界から離れ、位置を変える。次の広告の直前に再び姿を見せる。挑発する。ガシマが攻撃する。広告が来る。空振り。
二回目。残り十。
三回目。残り九。
ガシマが怒り始めた。
「なんだこれ。なんで当たらない。買い替えるか」
剣を捨てて、新しいガチャを回した。十連。三万三千円。リボ払い。
新しい剣。耐久値十二。
四回目。残り十一。五回目。残り十。
ガシマが三回目の剣を購入。十連。三万三千円。リボ。
六回目。七回目。八回目。
昼になった。ガシマは剣を五本消費していた。十連ガチャ五回。十六万五千円。リボ払い込みで約十九万円。
そして盾も二回壊れた。追加購入二回。六万六千円。リボ込み七万六千円。
午後。ガシマの攻撃がさらに乱暴になった。剣だけでなく、ガチャで出た他のSSR武装、槍、弓、ハンマーを片っ端から使い始めた。
使えば使うほど壊れる。壊れるたびに買い直す。買い直すたびにリボ払いの手数料が上乗せされる。
デバイスの経費モニター。
ガシマ経費消費(推定): 累計購入額: ¥4,280,000 リボ手数料累計: ¥620,000 経費精算上の総消費: ¥4,900,000 残り枠(推定): ¥100,000
十万。残り十万。
「リサ。あと一押し」
リサが最後の挑発に出た。ガシマの正面。十メートル。
「ねえ、おじさん。経費、足りてる?」
ガシマの顔が歪んだ。初めて、余裕が消えた。
「何を」
「法人カードの今月の経費枠。もう残り少ないでしょう。あなたが買い物するたびに、リボ払いの手数料が上乗せされてるの。知ってた?」
ガシマの手が止まった。タブレット端末の画面を見た。
経費精算の明細。一行一行。購入金額の横に「リボ払い手数料」の欄が追加されている。
「なっ」
「あなたの決済リクエスト、三日前から全部リボ払いに書き換えてたの。一括のつもりで買ってたでしょう? でもサーバー側はリボ。手数料が積み上がってる」
ガシマの顔が紫色になった。怒りか。恥辱か。
「お前ら」
ガシマが最後のSSR剣を振りかざした。渾身の一撃。リサに向かって。
リサの広告が——来た。
REJECTED
空振り。
剣が砕けた。最後の一本。耐久値ゼロ。
盾はない。剣はない。鎧は紙同然。
そして法人カードの残り枠は。
ガシマがタブレットを操作した。ガチャを回そうとした。
決済エラー: 月間経費上限に達しました 購入を続けるには経理部門に上限引き上げを申請してください
「限度額——超過」
ガシマの声が震えた。
武装なし。防御なし。予算なし。
スーツ姿の太った中年男が、商店街の真ん中に立っている。手にはただのタブレット端末。
「撤退だ」
ガシマが踵を返した。
「待て」
俺はガシマの前に立った。
「端末のデータを置いていけ。エリアマネージャーの端末には、モデレーター部門の管理情報が入ってるはずだ」
「ふざけるな。会社の端末を」
「経費で殴ろうとしてきた相手に言うか? お前が使った四千九百万。全部記録してある。経費の私的流用で報告されたくなかったら、端末を置いて帰れ」
ガシマの顔が白くなった。
経費の私的流用。SSR武装のガチャに四千九百万を使った。業務目的だと主張できるが、明細にリボ払い手数料が乗っている。手数料は通常、経費として認められない。つまり手数料分は私的な支出。
「……取りに来る。必ず」
「来い。そのときはまた同じことをする」
ガシマがタブレット端末を地面に置いた。去っていった。太った背中が商店街の入り口に消えていく。
端末を拾った。無意識に右耳の後ろに手が伸びた。
リサが隣に来た。
「終わった?」
「終わった」
「疲れたわ」
「俺もだ」
端末のロックを解除した。ガシマの経費精算パスワードは端末の裏面にシールで貼ってあった。管理職の情報リテラシー。
中を見た。
モデレーター部門の管理ファイル。配置図。人員リスト。予算表。
そして二つのフォルダ。
一つ目。「データセンター運用報告」。
二つ目。「生体ボットネット 月次レポート」。
開いた。
データセンター。オムニバース社の中核インフラ。所在地は東京湾岸。具体的な住所は伏せられているが、地図の概形がある。
生体ボットネット。月次レポートの数字。
「対象ユーザー数: 2,340,000」 「月間搾取演算量: 1.2エクサフロップス」 「月間廃棄ユーザー数: 847」
廃棄ユーザー。月に八百四十七人。年間で一万人以上。
ボットネットの負荷に耐えられなかった人間が毎月八百人以上、「廃棄」されている。
廃棄の意味は分からない。死亡か。脳死か。アカウント削除か。
俺の両親もこの数字の中にいる。
「クロヤ。大丈夫?」
リサの声が遠く聞こえた。
「大丈夫だ。大丈夫じゃない。でも」
端末を握りしめた。
「これで戦える」
ジャンク屋に戻った。オヤジがコーヒーを淹れてくれた。薄い。いつもの味。
七人が集まっていた。あの七人。防衛戦を一緒に戦った住人たち。飯田さんもいた。先生もいた。
誰も歓声を上げなかった。静かな安堵。コーヒーの匂い。夕方の光。
オヤジが言った。
「坊主。次はどうする」
次。
端末の中のデータ。データセンター。生体ボットネット。月に八百四十七人の廃棄。
「次は上に行く」
上位レイヤーへ。データセンターへ。オムニバース社の心臓部へ。
リサが隣に座った。弁当の残りを食べている。飯田さんの弁当。
「一緒に行くわよ」
「当たり前だ」
窓の外で、蒲田の夕日が沈んでいく。
今日の戦いは終わった。だが——戦争はこれからだ。