掃討部隊を撃退してから三日。蒲田の区画は一時的に静かになった。一時的に——その静寂が破れたのは四日目の朝だった。律がジャンク屋の窓から外を覗いて、言った。
「あの、クロヤさん。スーツの人が来てます」
スーツ。
モデレーターは防塵コートを着ている。スーツは着ない。スーツを着るのは管理職だ。
窓から見た。商店街の入り口。一人。灰色のスーツ。ネクタイ。革靴。四十代後半。髪を整えている。体型はふくよか、というか明確に太っている。
手にタブレット端末。もう片方の手に法人カード。黒い。プラチナの光沢。
「エリアマネージャーだ」
「エリアマネージャー?」
「オムニバース社のモデレーター部門の管理職。現場には出てこない。普段はオフィスで予算を動かしてる人間だ」
「なんでそんな人が」
「掃討部隊が全滅したから。現場のモデレーターで駄目なら、上が出てくる。予算つきで」
ガシマ。
そう名乗った。名刺は出さなかった。AR上に表示される名前がそれだった。
ガシマは商店街に入ってきた。堂々と。隠れる気がない。
ワンクリック・トラップが反応した——はずだった。
反応しなかった。
デバイスのログを見た。トラップの発動記録がない。ガシマがトラップの上を通過しているのに、一つも起動していない。
「おかしい。トラップが反応しない」
「壊された?」
「壊されてない。トラップは生きてる。ただ」
ログの続きを見た。
[09:12:04] TRAP_N-001: triggered → OVERRIDDEN by PREMIUM_SHIELD_LV5 [09:12:04] Auto-purchase: "Premium Shield Lv5" — ¥49,800 [09:12:04] Payment: CORPORATE_CARD ****-8821 — APPROVED
上書きされている。
トラップが発動した瞬間、ガシマの端末が自動で「プレミアムシールドLv5」を購入している。四万九千八百円。トラップの効果を無効化する防御アイテム。
次のトラップも。その次も。自動購入。自動防御。自動課金。
「課金で……トラップを消してる」
「何それ」
「Pay to Win。金で勝つ。トラップが発動するたびに、防御アイテムを即座に購入して無効化してる。経費で」
ガシマが商店街の中央まで来た。太った体を揺らしながら、のんびり歩いている。周囲を見回している。物見遊山の観光客のように。
無意識に右耳の後ろに手が伸びた。俺は外に出た。ガシマの正面に立った。
「ここの管理者か」
ガシマの声は穏やかだった。怒っていない。脅してもいない。
「管理者じゃない。住人だ」
「住人ね。君が六人のモデレーターを無力化した少年か。報告書を読んだよ。ワンクリック詐欺とCookie同意バナー。創意工夫があるね」
褒められている。嫌な褒め方だ。
「ただ、創意工夫には限界がある。ちょっと見ててくれ」
ガシマがタブレット端末を操作した。
AR上に——画面が展開された。ガチャの画面。「プレミアム武装ガチャ SSR確率3% 10連¥33,000」。
ガシマが十連を回した。
金色のエフェクト。SSR武装が三つ出た。確率通りなら一つ出るかどうかだが、三つ。
そのSSR武装が、ガシマの周囲に実体化した。AR上の武装。光る剣。光る盾。光る鎧。
「経費だよ。レシートは後で経理に回す」
光る剣が振られた。商店街の路面にAR上のエフェクトが走った。俺の足元にひび割れのテクスチャが表示される。直撃ではない。威嚇。
「君の詐欺UIは面白いが——僕のやり方はもっとシンプルだ。金で買えるものは全部買う。君が罠を仕掛ければ、その罠を無効化するアイテムを買う。君がシールドを張れば、そのシールドを貫通する武器を買う。無限に」
「経費が、無限?」
「法人カードだ。限度額は、まあ君が想像するより多い」
リサが隣に来ていた。銀髪が朝風に揺れている。
「クロヤ。あの人の武装、全部SSR。ショップで買えるアイテムの最上位。一つ三万三千円の十連を何回」
「さっきので一回。三つ出た」
「三つ? 確率3%で三つ?」
「SSRの排出テーブルは天井がある。百回回せば確定。金さえ出せば」
「金で確定する仕組み」
ガシマが笑った。太った顔の笑顔。
「そういうことだ。このゲームは、最終的には課金額で決まる。創意工夫は楽しいが、予算には勝てない」
俺は詐欺UIを展開しようとした。偽の警告画面——「あなたのアカウントに不審なアクセスがあります。確認のためパスワードを入力してください」。
ガシマの視界にポップアップが表示されたはず。
ガシマはポップアップを見もしなかった。タブレット端末を操作して、「ポップアップ・クリーナー ¥9,800」を購入。俺の偽ポップアップが即座に消えた。
「君の得意技だろう? 報告書に書いてあった。偽のポップアップで相手を誘導する。でも僕は読まないよ。読む必要がない。消すだけだ。お金で」
読まない。
詐欺UIの根幹は「相手に読ませる」ことだ。読んで、反応して、間違ったボタンを押す。それが俺の戦術の全てだ。
読まない相手には通じない。
「リサ」
「分かってる。撤退」
走った。路地裏に。ガシマは追ってこなかった。追う必要がないのだ。区画にいる限り、いつでも来れる。予算がある限り。
ジャンク屋の二階。息を整えた。
「あいつは違う」
「違うわね」
「今までのモデレーターとは質が違う。詐欺UIが通じない。読まないから。金で全部上書きする。どうすれば」
リサが椅子に座った。銀髪を手で押さえた。考えている。エンタープライズ出身の分析能力が回転している。
「クロヤ。あの人のやり方は企業の論理よ。コスト対効果。詐欺UIを読んで判断するのはコスト(時間)がかかる。読まずに金で消すほうがコスト効率がいい。だから読まない」
「じゃあどうする。金で殴ってくる相手に、俺たちは金がない」
「金がないなら、相手の金を使えなくすればいい」
「使えなくする?」
「法人カードには限度額がある。『無限』じゃない。ただとても高い。限度額を超えさせれば」
「どうやって」
リサが微笑んだ。戦闘的な微笑み。
「あの人の在庫を——読む」
窓の外で、ガシマが商店街をのんびり歩いている。SSR武装をまとったまま。経費で身を固めた男。
金で殴る男に、金のない二人が立ち向かう。
頭の処理が追いつかない。どうやって。