小説置き場

第15話「クッキーの檻」

3,817文字 約8分

地雷原で五人を止めた翌日、六人目が消えた。配置図から姿が消えた。南の高架下にいたはずのモデレーターが、朝の巡回で確認できなくなった。

「逃げたんじゃないの?」

 リサが言った。

「逃げない。モデレーターは撤退命令なしに持ち場を離れない。契約上の義務だ」

「じゃあどこに」

「ステルスだ」

 ステルス型モデレーター。通常のモデレーターとは別枠の特殊ユニット。AR上の識別情報を完全に消して活動する。ウォーターマークも表示されない。ニューロリンクのセンサーにも引っかからない。

 見えない敵。

「厄介ね」

「厄介だ。ワンクリック・トラップはAR上のオブジェクトに触れたときに発動する。ステルス型はAR表示をオフにしている。トラップが見えないから、触れない。触れないから、発動しない」

「じゃあ地雷原が効かない」

「効かない」

 四畳半の部屋で考えた。巻き戻せ。何が使える。

 ステルス型は見えない。ARセンサーに映らない。だが物理的にはそこにいる。人間だ。体温がある。足音がある。重さがある。

 問題は、物理的に見つけても意味がないことだ。相手のシステムを停止させるには、デバイスを使ったデジタルな攻撃が必要になる。物理的に殴っても、ニューロリンクの能力は止まらない。

 デジタルで見つけるしかない。

 ARセンサー以外の方法で。

「クロヤ。一つ聞いていい?」

「何」

「ステルス型って、AR表示を消してるのよね。でもニューロリンク自体は動いてるの?」

「動いてる。能力を使うためにはニューロリンクが稼働していないと」

 止まった。

 リサが言いたいことが分かった。

「ニューロリンクが稼働しているなら、通信している」

「そう。ステルスはAR表示を消せるけど、ニューロリンクとオムニバース社サーバーの間の通信は切れないはず。切ったら能力が使えなくなるから」

「通信している。つまりサーバーとの間でデータのやり取りがある」

「そしてデータのやり取りには」

「Cookie」

 Cookie。ウェブの基本技術。サーバーがクライアントに発行する小さなデータ片。ユーザーの識別、セッション管理、トラッキングに使われる。

 オムニバースのシステムも、内部通信にCookieに相当するセッショントークンを使っているはずだ。ステルスであろうとなかろうと、サーバーとの通信がある以上、セッショントークンは流れている。

「Cookie同意バナーを出す」

 俺はデバイスのキーボードを叩き始めた。

「区画全域に、偽のCookie同意バナーを展開する。『当エリアではCookieを使用しています。同意しますか?』。見たことあるだろ。あの画面だ」

「ウェブサイトのやつ?」

「同じ原理だ。同意をクリックした瞬間、相手のセッショントークンがこっちのサーバーにダンプされる。位置情報付きで」

「ステルスでも?」

「ステルスはAR表示を消しているだけだ。Cookie同意バナーはAR表示じゃない。システムレベルの通知だ。消せない。消すには管理者権限が要る。モデレーターは管理者じゃない」

 リサが目を見開いた。

「つまり」

「ステルスを解除しなくても、Cookie同意バナーは見える。見えれば、人間は押す。押せば見つかる」

 二時間で仕込んだ。区画全域に、二百四十のCookie同意バナーを展開した。どこを歩いても三歩ごとにバナーが出る。

 普通のフリープランユーザーには「同意する」を押してもらえばいいだけだ。害はない。だがステルス型モデレーターが押した場合、セッショントークンの発信元IPと物理位置が特定できる。

 待った。

 昼の十二時。蒲田の商店街。表の世界の人間が昼飯を食っている。立ち食いそば屋の湯気。中華屋の油の匂い。

 デバイスが震えた。

  [12:14:33] COOKIE_CONSENT: accepted   [12:14:33] Session token captured: MOD_STEALTH_01   [12:14:33] Physical location: 35.5627°N, 139.7160°E   [12:14:33] Accuracy: ±3m

「捕まえた」

 位置はジャンク屋から百五十メートル。商店街の裏路地。こっちに向かっている。

「近い。来てる」

 リサが立ち上がった。

「作戦は?」

「リサ。お前の広告、次はいつ来る」

 リサが自分のAR視界の端を確認した。フリープランには広告の配信カウンターが表示される。次回配信までの残り時間。

「四分後」

「ちょうどいい。俺が近づいて、三秒ルールを仕掛ける。お前は広告の無敵時間を使って、奴の注意を引け」

「注意を引く? 見えない相手の?」

「Cookie同意のログで位置はリアルタイムで追える。方向だけ合わせてくれればいい。あとは体で覚えろ」

 裏路地に出た。

 昼の蒲田。人通りはある。一般市民。彼らには見えない戦場。

 デバイスの位置追跡。ステルス型モデレーターは路地の角を曲がった先にいる。五十メートル。四十メートル。近づいてくる。

 見えない。ARセンサーに何も映らない。だが位置データは生きている。三メートル単位で追跡できている。

 三十メートル。

 二十メートル。

「リサ。準備しろ」

「広告まで三十秒」

 十五メートル。

 ステルス型は俺たちに気づいているか。分からない。だが近づいている以上、偵察ではなく攻撃の意思がある。

 十メートル。

「広告まで十秒」

 俺はデバイスのケーブルを引き出した。先端にUSBコネクタ。ニューロリンクの生体ポートに物理接続するための端子。三秒間、相手の首の後ろに押し当てれば、システムを書き換えられる。

 三秒。たった三秒。だが見えない相手に三秒間接触し続けるのは。

「広告——来る」

 リサの目が虚ろになった。広告が始まった。五秒間のinput lock。

 リサが走った。

 広告中でも体は動く。脳幹レベルの運動指令はロック対象外。リサは目が見えない状態で、位置データだけを頼りに、いや位置データも見えないはずだ。広告で視界がジャックされている。

 直前に見た方向に、真っ直ぐ走っている。

 ステルス型モデレーターの位置が動いた。リサに反応した。見えない相手がリサに何かを撃った。

 当たらない。

 input lock中のリサには、攻撃が通らない。ログにREJECTEDが流れた。

 モデレーターが一瞬だけ動きを止めた。攻撃が無効化されたことへの困惑。

 その隙に——俺は走った。

 位置データ。五メートル。三メートル。ここだ。

 見えない。何もいない空間。だがデータはここだと言っている。

 手を伸ばした。ケーブルの先端を、虚空に突き出した。

 感触があった。布地。その下に固い金属。ニューロリンクの外付けモジュール。首の後ろ。生体ポートの蓋。

 押し当てた。

 一秒。

 見えない力で腕を掴まれた。振り払おうとする力。強い。モデレーターの身体強化能力。

 二秒。

 デバイスの画面に接続ステータスが流れた。REWRITING...

 腕が軋んだ。もう片方の手で手首を固定した。歯を食いしばった。

 三秒。

  REWRITE COMPLETE   Target ability grid: CORRUPTED   Target stealth module: DISABLED

 腕を掴んでいた力が——消えた。

 目の前に、人間が現れた。

 ステルスが解除された。中年の男。黒い防塵コート。顔が蒼白だ。AR視界がグリッチしているのだろう。手が震えている。

 膝をついた。

 俺は一歩下がった。ケーブルを回収した。息が荒い。手が震えている。

 リサの広告が終わった。五秒間。視界が戻った彼女が、膝をついたモデレーターと、立っている俺を見た。

「……成功したの?」

「した」

「三秒ルール」

「三秒ルール」

 初めての実戦での成功。シミュレーションでは何度もやった。だが本物の人間に、本物のシステム書き換えをかけたのは初めてだ。

 手が震えている。恐怖じゃない。いや、少しは恐怖だ。

 モデレーターが顔を上げた。目が虚ろだ。能力グリッドが破壊されて、AR視界がまともに機能していない。戦闘能力はゼロ。

「撤退しろ。仲間の異議申し立てが完了する前に、ここを出たほうがいい。サポートセンターに連絡すれば、お前のグリッドもリストアできる。たぶん二日くらいかかるけど」

 モデレーターが立ち上がった。ふらつきながら路地の奥に消えていった。

 六人中六人。全員を無力化した。

 リサが隣に立った。銀髪が昼の風に揺れている。

「クロヤ」

「何」

「手、震えてる」

「……うるさい」

「初めて人に直接触ったのね。システム書き換え」

「ああ」

「怖かった?」

「怖くない」

「嘘。——でも、やったわね」

 やった。

 三秒ルール。物理接触によるシステム書き換え。理論は三年前から完成していた。実行する機会がなかっただけだ。

 今日、初めてできた。リサの五秒の盾があったから。

 一人じゃできなかった。

「リサ」

「何?」

「……さっきの走り方。広告中に目が見えない状態で走ったろ。怖くなかったか」

「怖かったわ。でも五秒で終わるって分かってたから」

 五秒で終わる恐怖。管理可能な恐怖。

 フリープランの鎖が、今日は盾になった。

 ジャンク屋に戻った。七人が待っていた。オヤジの薄いコーヒーの匂い。

「終わったぞ。掃討部隊は全員無力化した」

 歓声は上がらなかった。静かな安堵。ため息。誰かが壁にもたれて座り込んだ。

 オヤジがコーヒーを差し出した。

「坊主。——よくやった」

 三年間、オヤジにそんなことを言われたのは初めてだった。

 コーヒーを飲んだ。薄い。でも今日は少しだけ味がした。