小説置き場

第14話「ワンクリック・マインフィールド」

2,771文字 約6分

二十四時間で、六十八個のトラップを仕掛けた。トラップの中身はシンプルだ。ワンクリック詐欺。モデレーターが区画内の任意のARオブジェクトに触れた瞬間、強制的に架空のプレミアムサービス契約画面が展開される。契約内容は嘘。だが利用規約のフォーマットは本物と同一だ。

 オムニバース社のシステムには奇妙な癖がある。利用規約の形式を正確に踏んだ契約画面が表示された場合、たとえそれが詐欺であっても、システムは「契約処理中」のステータスフラグを立てる。フラグが立っている間、そのユーザーの他の操作にはペナルティ遅延が発生する。

 契約が無効だと証明するには、サポートセンターへの異議申し立てが必要になる。異議申し立ての処理時間は最短三分。

 三分間の足止め。一つのトラップにつき三分。六十八個あれば。

「数学は得意?」

 リサが聞いた。

「嫌い」

「六十八掛ける三分は二百四分。三時間半よ」

「全部踏めばな」

「踏むように誘導するのが、あなたの仕事でしょう」

 その通りだ。

 トラップの配置には法則がある。人間の動線に沿って配置する。モデレーターは訓練されている。通常のフィッシング画面なら即座に閉じる。だがこのトラップは画面を「閉じる」操作にも罠を仕込んである。

 閉じるボタンを押すと、別の契約画面が開く。その契約画面を閉じようとすると、さらに別の。無限ループではない。三段階。三段階目にようやく本物の「閉じる」が出る。だがその頃にはシステム側で契約処理フラグが三つ立っていて、それぞれに異議申し立てが必要になる。

 一つ踏むだけで九分。

「悪質すぎない?」

「褒め言葉として受け取る」

 深夜三時。配置完了。

 俺は蒲田の区画の地図をデバイスに表示した。赤い点が六十八個。地雷原。

 モデレーターの侵入経路は三つ。北の交差点。東の商店街。南の高架下。それぞれの経路に均等に配置——してない。

「南に偏ってるわね」

「わざとだ。北と東は薄くしてある。モデレーターは偵察で配置を調べる。薄い方を選ぶ。北か東から来る」

「でも南が本命なの?」

「違う。北と東が本命だ。薄く見せて、奥に密集配置してある。入り口は通れる。でも百メートル進んだところで、連鎖する」

 リサが地図を覗き込んだ。細い指で経路をなぞった。

「……ここ。この路地を曲がった瞬間に三つ同時発動。次の十メートルで二つ。さらに五メートルで」

「絨毯爆撃。五十メートルの区間に十五個。一歩ごとに契約画面が爆発する。モデレーターの視界が契約書で埋め尽くされる」

「閉じても閉じても出てくるのね」

「ポップアップ広告の悪夢だ。二十年前のインターネットが蘇る。懐かしいだろ」

「私の世代じゃないわ」

 朝が来た。

 六時。蒲田の街が目を覚ます。表の世界の住人、ニューロリンクを持たない一般市民が通勤を始める。彼らの目にはモデレーターは見えない。防塵コートを着た怪しい集団としか映らない。

 七時三十二分。

 動きがあった。

 北の交差点のモデレーター三人が、隊列を組んで区画内に侵入を開始した。

 俺はジャンク屋の二階の窓から見ていた。デバイスの画面に、トラップの状態がリアルタイムで表示されている。赤い点が待機中。

 モデレーターが最初の五十メートルを通過した。トラップは反応しない。薄い区間だ。

 百メートル。曲がり角。

 先頭のモデレーターが路地に入った。

 赤い点が——光った。

「第一波、発動」

 デバイスのログが流れた。

  [07:33:12] TRAP_N-014: triggered. Target: MOD_UNIT_03   [07:33:12] Contract display: "Premium Cache Optimization Plan"   [07:33:12] Target status: CONTRACT_PROCESSING   [07:33:14] Target attempted: CLOSE   [07:33:14] TRAP_N-014b: triggered. Secondary contract display   [07:33:15] Target attempted: CLOSE   [07:33:15] TRAP_N-014c: triggered. Tertiary contract display

 三段連鎖。先頭のモデレーターの視界が契約書で埋まっている。

 二人目が止まった。先頭が動かなくなったのを見て警戒している。

 だが止まった場所が——トラップの上だった。

  [07:33:18] TRAP_N-015: triggered. Target: MOD_UNIT_04

「二人目、捕捉」

 リサが画面を覗き込んでいる。

 三人目のモデレーターが後退しようとした。振り返った。一歩踏み出した。

  [07:33:21] TRAP_N-013: triggered. Target: MOD_UNIT_05

「三人目。全員捕まった」

「……すごいわね」

「すごくない。仕組みは単純だ。ただの詐欺ポップアップだ。でも単純なものほど避けにくい」

 画面のログが加速した。三人のモデレーターが同時に契約書を閉じようとして、次々に新しい契約書が開いている。視界が書類で埋まっている。まるで役所の窓口で永遠にたらい回しにされているような——。

 いや、まさにそれだ。

 俺がやっているのは、官僚制度のデジタル版だ。書類と手続きで人間を拘束する。銃もナイフも要らない。必要なのは利用規約の知識と、ポップアップのタイミングだけ。

 七時四十五分。東の商店街からも侵入があった。二人。こちらも同じパターンで捕捉。

 八時十分。南の高架下。こちらは偵察だけで引き返した。南の密度に気づいたのだろう。だが北と東はもう地雷原の中だ。

 デバイスの集計画面。

  捕捉モデレーター: 5/6(推定)   発動トラップ: 23/68   平均足止め時間: 7分32秒(推定)   異議申し立て処理待ち: 累計68件

「六十八件の異議申し立て。オムニバース社のサポートセンターが処理するのに」

「最短で四時間。現実的には半日。その間、こいつらの能力使用にはペナルティ遅延がかかり続ける」

 リサが息を吐いた。感嘆とも呆れともつかない息。

「あなた、本当に詐欺師ね」

「最高の詐欺師だ。東京一の」

 で、その結果がこれなわけだが。

 オヤジが階段を上がってきた。薄いコーヒーを二つ持っている。

「坊主。モデレーターの連中、路地で固まって動けなくなってるぞ。通行人が不審がってる」

「放っておけ。あと四時間は動けない」

 オヤジがコーヒーを置いた。俺とリサの分。

「もう一杯淹れてくるかい」

「誰の分だ」

「下で待ってる連中の。昨日の七人。朝から来てる」

 七人。昨日集めた無課金ユーザー。戦況を見に来ている。

「……淹れてやってくれ」

 俺はコーヒーを飲んだ。薄い。いつもの味だ。

 窓の外で、蒲田の朝が普通に流れている。通勤の人波。パン屋の開店。消防車のサイレン。表の世界は何も知らない。

 裏側では地雷原が、静かに機能している。