小説置き場

第13話「クリーンアップ・アップデート」

2,504文字 約6分

異変に気づいたのは、オヤジのジャンク屋だった。朝八時。蒲田の裏路地。オヤジが店のシャッターを開けようとして、手を止めた。

「坊主。来い」

 呼ばれて階段を降りた。リサはまだ寝ている。ボットネット負荷の影響で朝が弱い。

 オヤジがシャッターの隙間から外を指した。

 路地の向こう。二百メートル先の交差点に——人影が三つ。黒い防塵コート。フードを目深に被っている。手にはタブレット端末。首の後ろに金属の光。ニューロリンクの外付けモジュール。

 モデレーターだ。

「昨日からいる。夜中に来た。交差点に三人、駅前に二人、商店街の入り口に一人」

「六人?」

「見えてる分でだ」

 六人。アンダー・ラグの一区画に六人のモデレーター。普段は一人来るかどうかだ。しかも連携配置。交差点を押さえている。逃走経路を塞ぐ布陣。

「掃討だ」

 俺は呟いた。

「掃討?」

「定期的にある。オムニバース社がアンダー・ラグの無課金居住者を一掃する作戦。やつらの社内用語じゃ『クリーンアップ・アップデート』だ。バグ修正と同じ扱い。俺たちはバグだから」

 オヤジの顔が歪んだ。三十年ジャンク屋をやってきた男の顔が、初めて恐怖に近い色を見せた。

「前回は二年前だった。あのときは南側の地区が潰された。住人の半分がBAN処理された。残りは散った」

「知ってる。うちの常連が三人消えた」

 消えた。BANされた。凍結されたのではない。アカウントごと削除された。ニューロリンクを強制遮断され、脳にダメージを負い、廃人同然になった者もいる。オムニバース社の公式発表は「不正利用アカウントの停止処理」。

 二階に戻った。リサを起こした。

「クロヤ? まだ六時」

「八時だ。寝坊してる。外を見ろ」

 リサが窓から外を見た。表情が変わった。

「モデレーター、何人?」

「少なくとも六。たぶんもっといる」

「掃討作戦?」

「ああ。お前がエンタープライズにいた頃、聞いたことないか。下層浄化とか」

 リサの顔がこわばった。

「……あった。四半期レポートに『不良セグメント清掃』という項目があった。数字だけ。処理件数と処理率。あれが、これなのね」

「数字の中身がこれだ。ようこそ現場へ」

 部屋の中で考えた。巻き戻せ。何がおかしい。何が必要だ。

 逃げるか。俺とリサだけなら逃げられる。蒲田を離れて、別の区画に移ればいい。モデレーターの包囲網は面ではなく点だ。裏道を使えば抜けられる。

 だがオヤジはどうなる。

 ジャンク屋のオヤジ。三十年ここにいる男。この店が生活のすべてだ。逃げろと言えば逃げるだろう。だが逃げた先に店はない。三十年分のジャンクは持ち運べない。

 オヤジだけじゃない。この区画には何十人もの無課金ユーザーが住んでいる。家族もいる。ニューロリンクの有無に関係なく、ここで暮らしている人間がいる。

 俺は復讐のためにここにいる。オムニバース社に両親を殺された。その報復。それだけが目的だった。

 この区画の住人を守る義理はない。

 ないはずだ。

「クロヤ」

 リサが俺を見ていた。

「何か考えてるでしょう」

「考えてない」

「嘘。あなたが天井を見るのは、選択肢を比較してるとき」

 バレてる。

「逃げられるわ。私たち二人なら。でもあなた、逃げる気ないでしょう」

「……なんで分かる」

「さっきオヤジさんの顔を見たとき、あなたの手が止まったから」

 リサの観察力は相変わらず鬱陶しいほど正確だ。

「義理はねえんだよ。ここの住人と俺は仲間じゃない。利用し合ってるだけだ。オヤジには場所を借りてる。その対価に修理をしてる。取引だ。取引相手が潰されるなら、次を探せばいい」

「でも探さないのね」

 黙った。

 探さない。次のオヤジはいない。次の蒲田はない。三年かけて俺がここに根を下ろしたのは、ここが居場所だったからだ。

 復讐のための拠点。それだけのはずだった。でも三年住めば、匂いを覚える。油と埃とはんだの匂い。オヤジが淹れる薄いコーヒーの匂い。朝の蒲田の、湿った空気の匂い。

「——戦う」

 口に出した。

「この区画を守る。掃討を押し返す」

「どうやって?」

「俺一人じゃ無理だ。この区画の無課金ユーザーを集める。連携して防衛する」

「あなたが? 人を集めて?」

「何がおかしい」

「おかしくない。ちょっと意外なだけ。いいわ。手伝う」

 一時間後。

 ジャンク屋の一階に、七人が集まっていた。

 全員、この区画に住む無課金ユーザー。フリープランの灰色のウォーターマークを浮かべている。年齢も性別もバラバラ。共通点はひとつ。金がない。

 俺は部品棚の前に立った。

「手短に言う。モデレーターが来てる。掃討作戦だ。このまま何もしなければ、この区画は三日で更地になる。BAN処理されたくない奴は聞け」

 七人の目が集まった。

「俺はお前らの味方じゃない。正義の味方でもない。オムニバース社に恨みがあって、やつらに損害を与えたい。今回の掃討を跳ね返せれば、やつらの四半期レポートに赤字が一行増える。——それだけだ」

 沈黙。

「でも今、お前らの生存と俺の目的が一致してる。利害が重なる間だけ、協力する。終わったら元の他人に戻る。——それでいい奴だけ残れ」

 誰も立たなかった。

 七人全員、座ったまま俺を見ていた。

 オヤジが壁にもたれて、薄いコーヒーを啜っていた。何も言わなかった。ただ、口の端がほんの少しだけ上がっていた。

「作戦を説明する。使うのはワンクリック詐欺のフレームワークだ。モデレーターが区画に侵入してきたら、こっちの仕掛けたトラップを踏ませる。システムの中で足止めする」

「足止め? モデレーター相手に?」

「できる。やつらもオムニバースのユーザーだ。利用規約に縛られている。規約の中で戦えば、こっちにも勝ち目がある。準備に二十四時間かかる。それまでに奴らが攻めてきたら」

「逃げる?」

「逃げる。全力で」

 笑いが起きた。小さな、乾いた笑い。だが悪くない空気だった。

 リサが部屋の隅で、腕を組んで俺を見ていた。銀髪。灰色のウォーターマーク。元エンタープライズの令嬢が、蒲田のジャンク屋で無課金ユーザーの作戦会議を聞いている。

 目が合った。

 リサが小さく頷いた。

 お前ら、人を守るのに向いてるわよ、という顔。

 余計なお世話だ。

 俺は復讐者だ。人を守る側の人間じゃない。

 ——はずだった。